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朝露の約束

九、十二月

 師走も中頃を過ぎて降りだした雪が日谷に舞い、山々を薄っすらと白く染め始めると、町は俄然慌しさを増す。
 クリスマスと年の瀬を控え、忙しさの中にも浮かれ気分が混じり合う雑踏。
 今年が、終わろうとしていた。

「うー、さみぃ……」
 防寒着でモコモコになった兼人が、精一杯身体を縮めながら言った。どうやら彼は、寒さには弱いらしい。学校の廊下でこれでは、外に出たら命が危なそうだ。
「本当に寒くなったよね。もう冬だなぁ」
「とっくの昔に冬だっての! っつーかヨースケ、全然寒そうじゃねぇだろっ」
 薄手のコート一枚で平気な顔をしている陽介に、兼人が突っ込む。顔は兼人の方が断然スマートなのだが、今は格好が格好なので陽介の方が色んな意味でクールに見えた。
「あはは。じゃあ兼人が凍死するといけないから、早く帰りましょ。真露ちゃん、帰るわよー」
 茅が教室の中へと呼びかける。真露はちょうど帰り支度を終えたところだった。
「あ、うん。すぐ行くね」
 僅かに微笑みながら返した真露だが、その目が陽介と合うと解り易いほどに緊張と動揺が走った。それは陽介も同じで、ぎこちなく視線を逸らしてはちらりと伺うように見遣る。
 あれから、真露は以前ほど露骨に陽介を避けることはしなくなっていた。こうして登下校には付き合っているし、昼食を再び皆で摂るようにもなっている。
 しかし、陽介と真露、二人の間には妙な緊張感が残ったままだった。
 陽介は、だがそれでも良かった。避けられ続けていたことを思えば、何てことはない。
 まずは、真露の記憶を留めること。それさえ出来れば、問題は全て解決する。

 ――そう、思っていた。

「そういや、もうすぐクリスマスだよな」
 校門で茅と別れ、陽介たち三人はいつものように商店街へ向かっている。兼人の言葉に周りを見れば、なるほど、ツリーを飾っている家がちらほら見受けられた。
「実はさ、毎年ウチでクリスマスにはパーティーやってんだけど、お前ら予定入ってたりしてねぇよな?」
 予定。そもそもクリスマスが近いということすら、陽介は今気が付いたくらいなのだ。そんなものが入っているはずもない。
「僕は、特には」
「わたしも」
 答えた二人に、兼人はよっし、と拳を握り締めた。
「んじゃ、お前ら参加決定ね。ちなみに拒否権は無い」
 どうやら、絶対参加らしい。兼人がこういった半ば強引な誘い方をしてくることは珍しいので、何かあるのかもしれない。
「真露も来るんだぜ、ちゃんと」
「えっと、うん、大丈夫。プレゼント、用意して行くんだよね」
 こうして陽介は、兼人の家に呼ばれることになった。
 真露との間に、微妙な緊張感を孕んだまま。

 クラッカーの弾ける音。ミニコンポから流れるジングルベル。マラカスを振り回す兼人と、持ったマイクを放さない茅。初っ端から置いて行かれ気味の陽介と真露は、とりあえずの手拍子で苦笑いを誤魔化しつつ料理を突付く。
「ほーれほれ! ヨースケ、お前も何かやれよ」
「い、いや、無理だって僕には」
「真露ちゃーん、一緒に歌おー!」
「茅さん、マイク一つしか無いよ……」
 当然ながら、アルコールが入っているわけではない。仲良くオレンジジュースである。
 陽介は手渡された……否、押し付けられたマラカスを、遠慮がちに上下に振った。左右を一度ずつ振ったところで、即座に兼人の駄目出しが飛ぶ。
「ああっ、もう違うってーのっ。いいか、マラカスはジャラジャラ音がしちゃダメなんだよ。こう、手首のスナップを利かせてだな、チャッ、チャッ、とこう……」
 再びマラカスを手にした兼人が手本を見せる。なるほど、陽介がすると盆の上に載せた豆を転がしたような音になるが、兼人の音は粒が揃っている。マラカスは振っていればいいものだとばかり思っていた陽介は、当然ちゃんとした奏法があるなどとは知らなかった。
「いやぁ、凄いね兼人。マラカスってそうやって振るんだ」
「わはははは、マラカスマスターと呼びたまえ、陽介君」
「はいはーい、そんなダサい名前は置いといて。メインイベント、プレゼント交換でーっす!」
 茅がマイクを握り、マラカス談義が盛り上がっている二人の間に割って入る。
「ルー ルは簡単! この箱の中に、一番最初にくじを引く人以外の名前が入った札を入れます。最初の人が引いたら、引いた名前を発表。名前を発表された人が、二番 目にくじを引く人になりまぁす。プレゼントは、自分が引いたくじに書いてある名前の人にあげてくださいっ。三番目に名前が発表された人は、一番最初にくじ を引いた人がプレゼントをあげる人になります!」
「誰が一番に引くの?」
「いい質問ね真露ちゃん。それは――ジャンケンよっ」
「随分普通だなぁ」
 陽介の突っ込みが聞こえているのかいないのか、茅は予め用意してあった「くじセット」をテーブルの下から取り出す。
 厳正なジャンケンの結果、最初にくじを引くことになったのは陽介だ。陽介を除く三人の名前が書かれた札が、箱の中に投入される。
「さあ、引いて陽介! これが運命の分かれ道よっ」
 ノリノリだなぁと陽介は、一番最初に手に触れた札を引く。確か、名前を読み上げれば良かったはずだ。
「ええっと……読み上げます。『ぷりちぃ茅ちゃん』」
「あは、あたしだ」
「『ぷりちぃ』じゃねぇっ!」

 ――結果。
 陽介は「ぷりちぃ茅ちゃん」に、茅は「ダルマロイド兼人」に、兼人は「カラスっ娘真露ちゃん」に、真露は陽介にプレゼントをあげる ことになった。ちなみに、本当は陽介の札も作られていたはずなのだが、一番にくじを引いたので使われていない。一体何と書かれていたのか陽介は気になって しょうがなかったが、何やら尋ねるのも躊躇われたので止めておいた。
「それではっ! 交換ターイム!」
 茅の号令に合わせて、それぞれプレゼントを渡す。包みの大小も様々だ。
「それじゃ、開けようぜ。何かなー?」
「あ、可愛い。これ、ボールペン?」
 真露の手には、ノックヘッドに銀色の小さなクマの人形が付いたペンが握られていた。ペン軸は濃いグレーで、これなら男性が持っていたとしてもあまり違和感は無い。
「おう。結構さ、誰にあげても大丈夫そうなのって難しいよなぁ」
 ぐるぐる巻きにされた包装紙と戦いながら、兼人が答える。
 自分の分を開けた真露は、横目でちらりと陽介を伺った。彼女が用意したプレゼントは、今は陽介の手の中にある。
 五センチ角ほどの箱を包んだ包装紙を、丁寧に剥いでいく陽介。やがて、プラスティックのケースに入れられたそれが、姿を現した。
「これ……花?」
 それは、月草を模した硝子細工だった。花弁にあたる部分の内、二枚は青い硝子で色が付けられている。灯りに透かすと、散った光がそれぞれに輝き、幾つもの星を見ているようだ。
「……すごい……」
 思わず陽介は、息を飲んだ。手の中で煌く月草は、さしずめ氷に咲いた朝霜の月草、といったところだろうか。
「えっと、ごめんね。わたしも何がいいのか、よく分からなくて」
 申し訳無さそうに、真露が謝る。
「ううん、凄く綺麗だよ。ありがとう、大事にするね」
 陽介がそう言うと真露は、はにかんだような笑みを浮かべた。
 ――ああ、久しぶりだな、真露が僕にこうやって笑ってくれるのって。
 たとえ真露が自分を避けようとも、絶対に真露を助ける。その思いは、今も変わらない。それでも、やっぱり真露が笑ってくれると、それだけで嬉しい。それだけで、頑張ろうと思える。
 絶対に、見つけよう。真露を忘れないでいられる方法を。
 僕は、真露を忘れたくはないんだ。真露とのことが、全部無かったことになるなんて嫌なんだ。

 一方、茅は陽介から受け取ったプレゼントを開封し終えたところだった。マイクを握ったまま、何やら自前の派手な効果音とともに掲げられたそれは、キーホルダーだ。
「……なぁ茅、それ何?」
 兼人の質問に、茅は「見て判らないの?」と答える。
  キーホルダーには、人形が付いていた。赤茶けた色の、二頭身くらいの人型。目らしき物は付いているのだが、どうやら閉じているようでそこには横線が引いて あるだけである。兼人はそれを見たことがあるのだが、ファンシーショップやグッズショップで、ではない。歴史の教科書で、である。
「どう見たって遮光土偶でしょ? きゃー、可愛いっ」
 茅はキーホルダーを、ぎゅっと胸に抱き締める。どう見ても人を食ったような顔にしか見えない土偶を「可愛い」と表現するその感性は、兼人にとっては到底理解出来るものではない。
「っつーかヨースケ! お前これがプレゼントって、ちょっとセンスおかしくねぇかっ?」
「あれ? そうかな……でもさ、これ素焼きなんだよ。珍しいよ、こういうの」
「そういう問題じゃねぇ! っつーかこんなモン売ってるトコなんか見たことねぇっつーの!」
 見れば、真露も苦笑している。どうやら、キーホルダーが茅に回って正解だったようだ。
 さて、残るは茅からプレゼントを受け取った兼人だけである。四人の中では、茅のプレゼントが一番大きい。
「えーっと、何だこれ。服……だよな」
 最初に目に飛び込んできたのは、真っ白な布。それを取り出すと、下から朱色の布が出てきた。思わず陽介と真露は、茅とその布を交互に見る。色合いは、見慣れたそれと同じ。
「……茅」
 畳まれた布を広げた兼人が、その姿勢のまま硬直している。
「何で巫女服なんか入ってるんだ」
 いやぁ、と後頭部をポリポリ掻きながら、茅は悪びれもせずに言った。
「真露ちゃんが着たら似合うかな、と思って」
「だったら直接渡せ! っつーか真露に当たる確率なんて三分の一だしっ。そもそも男のオレがこんなモン貰ってどうしろと!?」
「あ、大丈夫よ。それフリーサイズだから」
「そういうこと言ってんじゃねぇっ」
「まあまあ、兼人も落ち着いて」
 陽介が、横から助け舟を出す。陽介とて、一歩間違えば同じ目に遭っていたのだ。さすが男同士、話が分かるぜ、と兼人が思ったのも束の間。次の一言で、それは一気に覆される。
「折角貰ったんだし、着てみれば?」
 陽介、極上の笑顔。真露を見ると、完全に目を――顔ごと逸らして我関せずの方針を貫こうと必死だ。茅は、言わずもがな。
 ――この瞬間、兼人の味方はいなくなった。

 後のことは、詳しく記すまでもないだろう。男として、見事な散り様だった。

「さて、もう遅いし、そろそろお開きにしましょうか」
 茅の言葉に時計を見ると、もう九時を回っている。今日も大介は帰ってこないので、陽介は多少遅くても問題無いのだが、女の子二人はそうもいかないだろう。それに、兼人の家の人に迷惑をかける。
「うん、じゃあそろそろ帰ろうか」
 簡単な片付けだけは手伝って、一同は玄関に移動した。途中、家の人に挨拶することも忘れない。
「それじゃあ兼人、今日はありがとう。楽しかった」
 靴を履きながら、陽介が礼を言う。夏からこっち、すれ違いが続いた四人が、こうして集まることが出来て本当に良かった。そう、陽介は思う。
「あ、あたしちょっと兼人に話があるから、二人で先に帰ってて」
 ぽん、と手を叩いて茅が言った。
「え? あ、うん、分かった。それじゃあ二人とも、お休み」
「お休みなさい」
 陽介に続けて、真露がぺこりとおじきをする。少し重たい引き戸を開けて、二人は兼人の家を後にした。

「――話なんて無いだろ」
 戸が閉まるのを待って、兼人が言う。その目は、陽介たちの去った方を見たまま。
「うん」
 茅はただ、短く答える。多分、これでもう、戻れない。
「いいのか? お前、ヨースケのこと……」
「でも、あたしはダメだったもん。二人が互いに想ってるなら、これが一番いいよ」
 判っていた。こうなることは、最初から。
 もう、陽介を好きな自分は終わり。今は、二人の友達としての自分。しなきゃいけないことなんて、決まってる。
「ま、茅がそう言うならいいけどさ。……どうする? 料理の残りでも突付いてくるか」
「あは。いいわね、そうしましょ」
 暗い雰囲気を吹き飛ばすように笑うと、茅は階段を駆け上がった。その後ろで、兼人が小さく溜め息を吐く。
 ホントに、不器用なんだからな、あいつ。ありもしない「毎年恒例クリスマスパーティー」をでっち上げてまでさ。
 でも、だから放っておけない。傍にいてやらなきゃと思う。
 ――ああ、オレも、十分不器用だよな、これじゃ。
 一人苦笑して、茅の背中を追う。今は、一緒にいよう。茅が、それを望むなら――。

 踏みしめるたび、キュッと鳴る雪道を二人は並んで歩いた。見上げても重たい空はそこに無く、珍しく晴れ渡った夜空にぽっかり一つ、満月が浮いている。
 二人の間に、言葉は無い。何か話さないと、と陽介は思うのだが、しかし何を話せばいいのか分からない。一度始まった沈黙を破るには勇気が足りず、さりとて黙すれば尚この沈黙が息苦しい。
 ゆっくりと、時間が流れていく。月光に青く仄光る雪景が、町に夜空を映していた。その静寂に、二人分の足音だけが規則正しく響いている。
「ね」
 不意に、真露が口を開いた。
「行きたい所が、あるんだけど」
 真露の目は、山を見ている。日谷を囲う黒い威容は、何だか吸い込まれそうな――。
「今から?」
「うん。どうしても、行きたいの」
 その視線の行く先を追って問うた陽介に、真露は理由を告げず、ただそう答える。
 もう遅いし、山に入るのは危ない――だけど、真露が望むなら。
 四つ目の街灯を過ぎ、陽介は真露の手を取った。
「じゃあ行こう。一緒に、行こう」

 どこが道か分からないような闇の中を、真露は淀みなく進む。不確かな足元に時折躓きそうになりながら、陽介は黙って真露に付いて行く。
 やがて辿り着いた場所は、真露の「秘密の場所」、月草の広場だった。
 一面に施された雪化粧が、満月の光に照らされて青く光っている。その処女地を二人は、手を繋いだまま歩いていく。二人分の足跡を、並んで残しながら。
 広場の中央まで進んで、真露は天を仰ぎ大きく息を吸い込んだ。鼻の頭が、少し赤い。
「えへ、遭難しなくて良かったね、陽介」
「明かりが無いと、本当に山の中って真っ暗なんだね」
 吐息が白い。繋いだ手が、暖かい。
「でも、お気に入りの場所だけあって、全然迷ってなかったね、真露は」
 陽介の言葉に、真露はふっと小さな溜め息を漏らした。
「うん……わたし、人間じゃないから」
 真露が手を離し、背を向ける。
「わたしが人間じゃなくなった夜も、こんな満月だったなぁ」
 ゆっくりと、真露が振り向いた。寂しそうに、笑いながら。
「聞いてくれる? わたしが、誰なのか」

 そうして真露は、自分のことを語った。自分は、三十年前の人間であること。古くから日谷を守ってきた〝悪魔〟の家系、霧代家の人間であること。そして、ある事件をきっかけに霧代家は滅び、自分だけが無限の一年間を繰り返しながら、存在し続けていること。
「わたしは、三十年前に〝悪魔〟になって死ぬはずだった。ううん、〝悪魔〟になった瞬間、『霧代真露』は死んだの。だから、今ここにいるわたしは嘘。〝悪魔〟を制御するために、一時的に保存されている人格が、この身体を動かしているだけ」
 真露が〝悪魔〟になるのではなく、真露こそが〝悪魔〟だった。本来の姿は〝悪魔〟の方であり、今目の前にいる真露は、〝悪魔〟が保存している人格を再生しているだけに過ぎない。
 全てを聞き終え、陽介は深く、息を吐いた。
「――僕は……」
 真露は目を伏せる。宣告を、待つように。
「それでも僕は、構わない」
 陽介は、己の内に問う。大丈夫、変わらない、揺るがない。
「真露が何であれ、今僕の前にいる真露が、僕にとっては全てだから。真露を忘れたくないっていう思いは、変わらない」
 真露が目を開いた。見る見るうちに、そこに涙が溢れていく。
「もう一度、約束する。僕は絶対に、真露の記憶を失わないで済む方法を見つけるよ。――忘れたくないんだ、君のこと、君としたこと、君がいた全てを」
 陽介の胸に、真露がゆっくりと身を預ける。陽介はぎゅっと、強く、強く抱き締めた。真露が、消えてしまわないように。
 腕の中で繰り返される嗚咽を聞きながら、陽介は空を見上げる。青い、綺麗な満月だった。

 三十年間、誰の記憶にも残らず、また自分の記憶すらも残らない繰り返しを生きてきた真露。親しい友人を出来るだけ作らなかったのは、きっとそんな真露の 無意識が生んだ心の防衛策だったのだろう。たとえ忘れてしまったことすら忘失しても、ずっと心の中で澱のように溜まった寂しさと戦ってきたに違いない。だ からこそ拒んだのだ。もうこれ以上、苦しい思いをしたくないから。
 月光に濡れる雪原で、陽介は思う。
 真露を助けたい。いつ果てるとも知れぬ苦しみから、解放したい。
 僕は、真露が好きなんだ。

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