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朝露の約束

十一、二月

 もうすぐ、三十回目の一年が終わる。
 あの時陽介は、すぐに答えを出せなかった。
 当たり前だと思う。残酷な選択を強いていることも、解っている。
 それでも、悩んでくれる陽介に、嬉しいと思えた。真剣に悩んでくれていることが、判るから。
 だいじょうぶ。
 私は大丈夫だよ、陽介。

 たとえ三十一回目の一年を迎えることになっても、私が消えることになっても、私は受け入れるから。

 だから、どうか。
 悔いの無い、選択を――。

 まただ。
 また、選ばなきゃいけなくなった。
 兼人は以前、「自分がしたい方を選べ」って言ってくれたけど。
 だけど、そんなの、選べない。

 僕は真露を忘れたくない。真露との一年を、無かったことにしたくない。

 ――僕が、真露を受け入れれば。

 僕は、真露と一緒にいたい。真露がいなくなるなんて、耐えられない。

 ――僕が、真露を受け入れなければ。

 僕は……――。

 どうして、僕が――。

 全てを知ったあの日、陽介は真露に問うた。
 真露は、何を望むのか。真露が望む答えは、どちらか。
 今にして思えば、無意味な問いだったのかもしれない。そんなことは、判りきったことだから。
 真露はしばらく空を見上げ、振り返り、そして笑った。いつもみたいに優しい――遠い笑顔で。

 ――わたしは、

 積もった雪が眩しくて。

 ――わたしの存在が残るなら、嬉しいな。

 陽介は、真露をまっすぐに見られなかった。

 昼休み、いつものように兼人と茅が昼食を手に陽介の机に集まった。
「ヨースケ、メシにしようぜ。机寄せろよ、真露」
「あ……うん、ちょっと待っててね」
 んしょ、と自身の机を動かす真露。陽介はその様子を、暗い顔でぼんやり眺める。
 もう時間は無いのに。選ばなきゃいけないのに。
「椅子、椅子っと……さあ、食べよ、陽介!」
 動きに覇気が無い陽介の背中を、茅はパァンと叩く。先月から、ずっとこんな調子だ。
 食事中も、陽介はほとんど喋らない。「ああ」とか「うん」とか、何を言っても生返事である。
 一方の真露はと言えば、こちらはいつも通りに、いや、むしろそれ以上に明るい。何か吹っ切れたような、そんな印象を兼人は抱いた。
 二人は、目を合わせない。
 避けているのとはどこか違う、しかし決して自然には映らないその言動は、兼人に「何かあったのだ」と認識させるには十分すぎた。
 残された時間が少ないことは、兼人も知っている。あるいは、陽介は時間に責め立てられているのかもしれない。
 ――結局。
 陽介と真露は、今日も全く目を合わせないまま、昼休みを終えた。

 放課後、校門で茅と別れ、三人は下校の途に着く。ぴったりと、寄り添うように並んで歩く陽介と真露。どちらともなく、互いに指を絡め合う。
(何か変だな、ヨースケの奴)
 差し出がましいことは解っている。多分、自分に出来ることは、もう何も無い。後はあの二人の問題のはずだ。
 しかし、それでも。
「あ……じゃあわたし、こっちだから」
 三叉路。真露は、陽介の手を離す。何か言いかけて、結局口をつぐむ陽介。ただ短く、「うん」とだけ答える。
 ――ああ、ダメだ。見ていられない。
「ヨースケ」
 しょうがない。何がどうなってるのか解らないけど、放ってなんておけないよな。
「商店街、行こうぜ」

 いつもの肉屋でコロッケを買い、そのまま二人で商店街をぶらつく。
「で?」
 紙袋に手を突っ込みながら、兼人が切り出した。
「何かあったのか、お前ら」
「え? な、何かって?」
 いきなり核心を突いた質問に、陽介は慌てた様子で聞き返す。
「ケンカでもしたのかって思ったんだけどな。どうもそうじゃないみたいだし」
 陽介は答えない。コロッケをかじりながら、兼人は続ける。
「――真露の、記憶のことか?」
 途端に動いた陽介の表情から、兼人は肯定と受け取った。そのまま、陽介が話し始めるのを待つ。
 一つ目のコロッケを食べ終え、二つ目に手を伸ばしかけた時、陽介が口を開いた。
「真露の記憶を失くさないで済む方法、判ったんだ」
 本来であれば喜ぶべきニュース。陽介の沈痛な表情は、まだ続きがあることを示している。
「僕が真露を受け入れれば、真露にかけられていた〝悪魔〟能力の効果が切れて、真露の記憶は無くならない。だけど――」
 そうすれば、真露は消滅してしまう。
 兼人は溜め息を吐いた。
「それで――お前、どうするんだよ。残ってる時間なんて、もうほとんど無いんだぞ」
「判らない……決められないよ、そんなの」
 痛みに耐えるように、陽介は眉根を寄せる。
「僕が真露を受け入れても、拒んでも。真露がいなくなることには変わりがないじゃないか。目の前から消えるか、記憶から消えるかの違いだけで……っ」
 気が付けば、足は止まっていた。俯いて、拳を固く握り締める。耐え難き選択に、耐えるために。
「どうして僕が――せめて誰かが決めたことなら諦められた。しょうがないって割り切れたよ。けど、これじゃ僕は、自分で守りたかったものを壊さなきゃいけないじゃないか。どちらも捨てたくないのに、だから探してたのに!」
 溢れ出る激高を、陽介は止められない。吐き出して、少し落ち着いた陽介に、兼人は言った。
「それは違うぜ。もし他の誰かが決めてたら――お前、多分『助けられなかった』って、ずっと後悔したんじゃないか?」
 それが、自分にとって大切なものなら。
 それは、自分で決めなくちゃいけない。
「選ぶってのは、どっちかを捨てるってことじゃない。どっちを選んだって、お前は生き続けなきゃいけないんだぜ? 選んだものを、抱いたままで」
 兼人は、陽介の肩を掴み、真正面から睨みつける。
「お前はどうやって生きていきたい、ヨースケ。真露との一年間の思い出を抱いてか、それとも他人になっちまった真露を、他人として見ながらか!」
 僕は、
 僕、が――。
 兼人が離れる。
 背を向けて、彼は言った。
「悩めよ。考えろ。オレも茅も、真露に関しちゃ何にも言えないんだ。お前が決めるしかないんだよ、ヨースケ。そんで選んだら、振り返るな。振り返るくらいなら、選ぶな。お前しか選べないことを選んだなら、お前はお前に誇っていいんだぜ」

 兼人と別れ自宅に戻った陽介は、居間の畳に倒れ込んだ。仰向けに、天井を眺める。
 僕はどうしたい? 真露のいない日谷で生きていくのか? 辛さも、苦しみも、悲しみも、

 忘れてしまえば、楽だろう?

 目を、閉じる。
 春に来てから、今までを思い返してみる。
 もうすぐ消えるかもしれないこの記憶が、なんだかとても、貴重に思えた。
 脳裏に真露が笑う。照れたようなその笑顔が、とても貴重に思えた。

 ――わたしは、

 「秘密の場所」で。

 ――わたしの存在が残るなら、嬉しいな。

 真露は、そう言ったんだ。

 僕にとって、真露の「存在」ってなんだろうか。
 僕の真露は、どこに在るんだろうか。

 考える。
 手を伸ばして、霞の先にある答えに触れてみる。
 陽介が、そして真露が求めるその先は――。

 夜が明け始めた頃。

 陽介は、最後の選択を決めた。

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