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朝露の約束

十、一月

 いつかは、言わなければならない。
 これから彼が背負うものを、これから彼が迫られる選択を。
 そして私の中の〝悪魔〟は、あの日のように言うだろう。

 ――選択を悔いるな、と。

 私は決めた。彼なら、彼が選んだことなら、受け入れられる。

 でも、願わくは。
 私という存在が、消されませんように。

 元日、大路神社は大盛況だった。
 言うまでもなく、初詣客で、である。
 普段は着物など着ないような、陽介たちと同年代くらいの女の子たちも、この日ばかりは皆、艶やかな振袖姿を披露している。朱だ青だと眩しいほどの人混みだが、華やかさはあっても目に痛くはない。
「うわぁ、何だか凄く混んでるね」
 圧倒されそうな光景に、陽介は不覚にも怯んだ。元来、人の多い場所は苦手である。
「神社はここと、あと旧集落に一つしかないから」
 そんな陽介の様子にクスリと笑いながら、真露が解説をしてくれた。
 今日は真露も着物姿だ。藍を基調とした紬は初詣の衣装としては少し地味だが、真露にはよく似合っている。肌が白い分、暗めの色が合うようだ。
 拝殿まで、境内の両脇には縁日のように露店がずらりと並んでいる。これもまた渋滞の一助となっているらしい。
「ね、折角だし、何か買おうか」
 言うが早いか、陽介は真露の手を取って露店へと向かう。真露は小走り気味に付いていきながら、「うん」と答えた。
 並んでイカ焼きを買い、二人は再び初詣の参列に加わる。
 みんな、笑顔だ。新しい年に期待を寄せ、おみくじの結果に一喜一憂する。これから始まる一年は、どんな年になるだろうか。
 ――真露にとって、新しい年になるだろうか。その時自分は、隣にいるだろうか。
 去年の写真から、真露が三月までは「中学三年生」をしていたことは確認出来ていた。記憶を失い、真露の存在が書き換えられるのは、恐らく三月だろう。もう、時間はあまり無い。
 真露を助ける方法は、まだ見つけられないでいる。そもそもどうして真露だけが、こんな状態になってしまっているのか。それが判らなければ、解決など望むべくもない。
 賽銭箱に五円玉を投げ入れ、陽介は祈った。
 真露とずっと、一緒にいられますように……と。

「あれ? 何で兼人、あんな所にいるんだ?」
 社務所の隣、臨時に張られたテントでは、何故か神主の格好をした兼人がおみくじを売っていた。隣には、いつもよりも少し豪華な巫女服を着た茅もいる。
「何かの罰ゲームかな」
「違うよ。兼人くんね、茅さんにお手伝い頼まれたんだって」
 つまり、タダでこき使われているということらしい。陣中見舞いに一声掛けようと近付くと、兼人が思った通り泣き付いてきた。
「うおーぅお二人さん! ちょっとでいいから手伝ってくれよぉ。オレじゃ捌ききれなくって……っつーか茅の人使いが荒いったら……」
 当然ながら、兼人は横から鉄拳制裁を食らった。
「やっほー陽介、真露ちゃん。明けましておめでとう」
「今年もよろしくね。それにしても、凄い人混みね、茅さん」
「お正月は掻き入れ時だからね。お父さんが仕事したがらないから、今稼がないと生活危ないのよ」
 それで兼人を引っ張ってきたわけか。陽介は納得して、兼人に視線を戻した。哀れな兼人は売られていくロバのような顔をしている。
「――ま、こんな兼人を放ってなんておけないよね、真露?」
「えへへ……そうだね、陽介」
 笑って頷き合った二人は、おみくじが置かれた長テーブルの向こう側へと回り込んだ。
「じゃあ真露はこっちで。はーい、四列に並んでくださーい!」
 陽介が大声を張り上げる。
「陽介、いいの?」
 兼人の隣に陣取った陽介に、茅が尋ねた。
「もちろん。さ、どんどん売るよ茅。ほら、兼人もシャキッとしなよ。あ、真露、これを小銭入れに使って」
「なんつーか……ホント、物好きだなヨースケ」
 兼人の口から、苦笑が漏れる。
「よっし、くたばっててもしょうがねぇし、一丁ばら撒くか!」
 境内に響く、四人の鬨(とき)の声。
 いつまでも、この四人で、一緒にいられたら。
 早く、見つけなきゃ。
 真露を助ける、方法を。

 重たい空の下、雪の舞う中、陽介は山を登っていた。所々凍てついた土を、アイゼンを嵌めた靴で削りながら。
「話があるって……何だろ、真露」
 空を見上げる。時折顔に落ちてくる白雪が、冷たい。
 急ごう、真露が待ってる。
 あの、「秘密の場所」で。

 僅かに、歌声が聞こえる。あの日、聴いた歌だ。一歩一歩、その場所に近付いていく。歌声は、やがて少しずつ大きくなり、あの春の日を鮮明に思い出させた。
 ピンと張った糸が震えるように、連なった鈴が揺れるように、その声音は移ろい、冬の空気を震わせて見えない世界を描き出す。目を瞑れば、手が触れられそうな――。
 草葉を掻き分け、開けた場所に出る。一面の白に刻まれた、小さな足跡。中央まで続く、その先に。
 真露が、歌っていた。

「ありがとう、来てくれて」
 歌い終えた真露は、その顔をゆっくりと陽介へ向けた。陽介は僅かに微笑むと、真露の隣に並ぶ。
「……寒いね」
 見上げた空から降りてくる雪は、止む気配を見せない。いつまでも、いつまでも、降り続きそうな気がした。きっと、ずっと。
 それから、黙って二人は空を見上げていた。冬の澄んだ空気が、心地良かった。
「――もし」
 やがて真露は、呟くように、「それ」を口にする。後戻りを許さない、最後の問いを。
「もし、わたしの記憶を残す方法があったら……陽介は、知りたい?」
 陽介は、小さく息を吐いた。それは口元に白く残り、そして風が運んで霧散する。
「知りたい。僕が真露を、忘れる前に」
 真露は、陽介の前に回り込んだ。その、深く決意を刻み込んだ双眸が、
「――〝悪魔〟を、呼ぶね」
「……うん」
 紅に、変わる。
「気付いていたのか、葉月陽介」
「確証があったわけじゃない。けど、もし知っている人がいるなら……あなたしか、いない」
 強張った顔で、陽介は答えた。〝悪魔〟は、恐らくは初めて笑みを浮かべてみせる。淡く優しい、どこか寂しげな笑顔だった。
「真露が話したくないと思うなら、僕は無理に訊けない」
「真露は望んだよ。お前に、全てを話すことをね」
「なら聞きたい。教えてよ、真露を助けるには、どうしたらいいのか!」
 必死だった。いつも、どれだけ抑えていても、真露を忘れるかもしれないという不安から逃れることは、出来なかったから。
「ならば、話そう。三十年前、この日谷で何があったのか。何故真露はここにいるのか。全てを聞き、その上でお前が選べばいい。それは、お前にしか出来ないことだ」
 そうして〝悪魔〟は語った。日谷に生まれ落ちた一人の〝悪魔〟能力者の少女と、悲鳴と緋炎に彩られた、霧代家の終焉を。

 真露は、霧代家の第二子として生まれた。他の能力者と同じく〝悪魔〟を持つ者としての教育を施されながらも、いつの間にか真露は、村へと度々遊びに行くようになる。
 真露には、五歳年上の兄、慎太郎がいた。思えば、同族としか交流を持たない霧代家の中にあって、真露の奇異な行動は、彼の影響が大きかったのかもしれない。
 霧代家は、否、この日谷の人間は、霧代家の人間を〝悪魔〟能力者、としか見なかった。真露の両親とて同じで、自分の子であるにも拘らず真露を「日谷を守る道具」としか思っていない。
 恐らくは、慎太郎はそんな「霧代家の在り方」に疑問を持っていたのだろう。慎太郎だけは、真露に「妹」として接した。
 ――そう、真露の両親は、彼女に「肉親」として接してはいなかったのだ。そこに愛情は無く、差し伸べられる手は冷たい。
 真露は、「愛情」というものを、慎太郎から教わった。両親は、大人たちは自分に冷たいけど、村の子供たちなら。年齢の離れていない子ならば、きっと仲良く出来るに違いない。そう考えて真露は、毎日村へと遊びに行った。
 しかし、真露は村人にとっては畏怖の対象。遊んでくれる人など、いるはずもない。真露の姿を見ると、子供たちはすぐに隠れてしまう。
  そうして、悲しい気持ちを一杯に抱いて帰った真露を、慎太郎はいつも慰めてくれた。ぼくたち霧代家は、〝悪魔〟の力のせいで畏れられている。だけど、いつ かきっと、村人たちとも仲良くなれるから。好きだっていう思いさえ失くさなければ、きっと伝わるから、そうしてみせるから、と。
 真露は、兄の言葉に頷いた。
 知っている。村の人は、みんな優しい。だって、みんなあんなに素敵な顔で笑うんだもの。
 私は、この村が好き。村の人たちの、笑顔が好き。私もあの中で、一緒に笑いたい。
 ――もしも。
 私が霧代の人間じゃなかったら、〝悪魔〟能力者じゃなかったら。
 この願いは、叶うだろうか。

 真露が十歳になる頃、慎太郎は高校進学のため日谷を出た。村に高校は無く、また霧代の屋敷から通えるほどの距離にも無かったので、仕方の無いことだった。
 霧代にあって、唯一真露を「真露」として見てくれていた兄との長期に渡る別離は、その後の真露を歪ませていく。
 両親の目は、〝悪魔〟しか見ていない。村人たちの目には、真露は〝悪魔〟能力者にしか見えていない。誰一人として、自分を「真露」として見てくれない。

 ――兄さん。
 私が、消えていきます。
 霧代真露が、消えていきます。
 確かにここにいたはずの。確かに笑っていたはずの。
 私という、存在が。

 兄の帰省を切望する真露の想いも虚しく、慎太郎は結局一度も日谷に戻らぬまま大学へと進学した。交通の便が極端に悪い日谷では、それも致し方ないことではあった。
 しかし、結果的には。
 それが、真露を狂気へと追い込むことになる。

 誰もが「真露」を認識しない。いかに彼女が、自分を叫ぼうとも。誰も真露を「真露」と見ないのならば、それはいないのも同じだ。今ここにいるのは、日谷を守るためだけに存在する守り神、〝悪魔〟でしかない。

 消えていく。
 私が消えていく。
 伸ばしたこの手を、誰も取らない。
 私は、ただ。
 この村が、村人たちが、好きなだけだったのに。

 ――霧代家さえ、〝悪魔〟さえいなければ。
 私は、真露として生きられたのに――!

 十五歳になった夜、春の夜。
 満月の夜に。

 真露は、人間であることを捨てた。

 目を閉じ、自分の内側にある扉を、ゆっくりと開いていく。身体が一回り大きくなった感覚と、逆に収縮していく感触。
 霧代の屋敷、自分に宛がわれた広い部屋の中心で、真露はゆっくりと、日谷に「命令」を下す。
「術法、秘、」
 全部、こんなの全部。
「〝存在燃焼〟、消滅」
 無くなってしまえばいい。
「霧代、〝悪魔〟、存在証明、認識、記憶」
 言い終えた直後、屋敷に悲鳴が響き渡った。何人もが一斉に発したそれは、纏まった一つの咆哮として屋敷に響く。自分の周り、存在そのものが爆ぜる感覚に、真露はゆっくりと目を開いた。
 眼前は火の海。
 霧代の屋敷が、燃えていた。
 見開いたその目は紅い。存在を食い尽くす、猛る炎を映したかのように。
 〝悪魔〟になった真露は、ゆっくりと周囲を眺め見る。
 ああ、燃えている。伯父も、叔母も、従兄弟たちも。
 窓の外には、母親だったモノが燻り倒れていた。きっと父も、どこかで同じように死んでいるはずだ。
 見上げればそこには、朱に照らされた満月。

 ――ああ。
 月が、綺麗だ。

 せめて今度は、人として、生まれますように。

 日谷へ至る峠道を、慎太郎は旅行鞄一つ提げた軽装で歩いていた。
「昼前に出たのに、夜になっちゃったな。まあ、真露ももう中学三年生だし……まだ寝てたりしないよね」
 空を仰ぐ。皿のような月は、蒼い夜に穿たれた抜き跡。そこだけが、闇の向こうにある光を通している。
 今日の帰省は、知らせていない。日谷を出てからずっと忙しく、ようやく今年は春休みを利用しての日谷行きが実現した。内緒で帰って真露を驚かせてやろう、というのが、慎太郎の目論見である。
 徒歩一時間程度の峠道を越えて日谷に到着した慎太郎が見たのは、しかし激しく燃え盛る霧代の屋敷だった。
「真露っ!」
 近付いても熱くない炎。火事など簡単に消すことが出来る〝悪魔〟能力者が、この火事を消していない。屋敷から逃げた人たちも見当たらない。
(くそっ、これは〝悪魔〟の――っ)
 状況が判らない。今は何より、中にいる人を――真露を、助けなくては。
 慎太郎は、今にも焼け落ちそうな屋敷へと飛び込んだ。

 中では、炭化した霧代家の人たちが、少しずつ蒸発を始めていた。間違いない、〝悪魔〟能力者の仕業だ。真露の無事を祈りながら、慎太郎は紅の奔流の只中をひた走る。
 辿り着いた真露の部屋、渦巻く緋の中、漆黒のワンピースを炎に溶かしながら。
 真露は、身動ぎもせずに立っていた。
「真露、無事だったか!」
 爆ぜる音がうるさい。慎太郎は真露の肩を掴んでこちらに向き直らせた。しかしその目を見た瞬間、動きが止まる。
 真露の目は、紅玉のような赤だった。
「〝悪魔〟に……?」
 一瞬見開かれた目が、次には悔しそうに細く歪む。搾り出すような声で、慎太郎は訊いた。
「真露、これは、お前が?」
 首が縦に振られる。悲しそうな、目で。
「……どうして……お前が……」
 真露の、炎に照らされた唇が、ゆっくりと動いた。
「わたし……消えたく、なかった。わたしで、いたかった」
 鈴の鳴るような声で、真露は言う。
「〝悪魔〟のわたしなんて、わたしじゃない。好きなのに、ただ村のみんなが好きなだけなのに、わたしが、〝悪魔〟だから。わたしが霧代の人間じゃなかったら、〝悪魔〟じゃなかったら――」
 どこかで梁が落ちたのか、轟音が響いた。もう、長くは持たないだろう。
「霧代家さえ、〝悪魔〟さえいなくなれば、わたしは『真露』でいられる。……兄さんが、わたしを覚えていてくれる。わたしの存在は、残るでしょう?」
 泣いている。濡れた瞳で、笑っている。それは、今にも押しつぶされそうな――。
 慎太郎は、真露を抱き締めた。
「――違う……」
 それが望みだと言うのか。本当にそれでいいのか、お前は。
「こんな所で終わっちゃいけない。お前は、お前の全てを知った上で受け入れてくれる人を探さなきゃ駄目だ。〝悪魔〟の力も真露も、全部ひっくるめて」
 せめてそれだけは、真露に残してあげたい。
「もう、遅いよ。わたし、〝悪魔〟になっちゃったもの。……わたし、もうすぐ死ぬね」
 違う、違う、死なせない、終わらせたりしない。慎太郎はゆっくりと、自分の中の鍵を外していく。心音が、一際高くなる。
「真露の時間を止める。生じる違和感は、全て消してやる。だから探すんだ、真露を、真露だから愛してくれる人を」
 身体を離し、真露が驚きに目を見開いた。
「兄さん……まさか〝悪魔〟に……」
「いいな。お前なら見つけられる。この村を、この村のみんなを、真露は好きなんだろう?」
 猛る炎に照らされて、慎太郎が優しく微笑む。真露は、叫んだ。
 その声を掻き消して、天井が崩壊する。
 霧代の象徴が消えていく。日谷から〝悪魔〟が消えていく。
 凍りの満月だけが、それを見ていた。

「慎太郎は、真露の時間を止めた。そうしなければ、〝悪魔〟になった真露は死ぬからだ。〝悪魔〟能力は、命と引き換えの力だからな」
 三十年分の時間を吐き出して、〝悪魔〟はその紅い瞳を陽介に向けた。
「しかしそのままでは、いずれ異常が露呈する。正確に言えば、日谷を巡る矛盾が肥大化する。それを防ぐためには、少なくとも一年毎に真露と周囲との関係性を再設定する必要があった」
 だから、真露は忘れる。真露を忘れる。そうすれば、一年分だけの矛盾で済むから。
「それじゃあ……真露を助けるためには……」
「簡単だ」
 〝悪魔〟は、しかし言葉とは裏腹の重い調子で言った。
「お前が、全てを知ったお前が、真露を受け入れればいい。慎太郎が残した効果は、それが解除する鍵になっている」
「じゃあ、僕が真露を……」
「ただし」
 〝悪魔〟が、一際強い調子で遮った。
「全ての効果が解除されれば、真露の時間は再び流れ出す。慎太郎は、真露が消滅する直前に力を使った。解除されれば、時を待たずして真露は消滅するだろう」
 頭を、殴られたような気がした。このままだと真露と、それに関わった全ての人の記憶が消える。その記憶を留めるためには、真露が消えなくてはならない。つまりは、そういうことだ。
「そんな……〝悪魔〟なんだろ、あんたは。解除した直後に、真露の時間を止めたり出来ないの?」
「無理だ。〝悪魔〟の能力は、自分自身には適用出来ない」
 〝悪魔〟は静かに頭を振る。
 嘘だ。だって、そんな――何か、何か方法があるはずだ。
「慎太郎さんの効果に対して、たとえば真露の時間停止だけは解除されないように……」
「〝悪魔〟の能力は、他の〝悪魔〟能力の効果に干渉出来ない。大路の者に聞かなかったのか?」
 少しずつ、崩れていく。未来が、その可能性が、そして希望が。
「日谷を……記憶が書き代わる前に出て、〝悪魔〟能力の効果範囲から出れば……」
 声が弱くなっていく。それでも諦められない。真露が消えるなんて、そんなのは絶対に嫌だ。
「確かに、日谷を出たとしても真露の体内時計は維持される。しかし、記憶更新時に日谷にかけられた効果の機構との連動に失敗して、真露の時間停止だけが解除されてしまうだろうな」
 陽介は雪の中、脱力したように膝を付く。手から、足から、体中が凍っていくような感覚がした。
「嘘だ……どうして、そんな……何で、今頃……っ」
「バス事故の時に、言ったはずだ」
 陽介を見下ろしながら、〝悪魔〟は静かに言った。
「真露をどうするかは、お前しか選べない。真露はお前の選択を受け入れる。お前が選べ、陽介。繰り返しを終えるか、再び真露を留めるか」
 あの日の言葉を、〝悪魔〟は繰り返す。しかし、これほど残酷な選択があるだろうか。
「いいか、陽介。たとえそれがどんな結末を生もうとも、選択を悔いるな」
 そして〝悪魔〟は、その瞳を閉じた。ここでの答えは、望まないというように。
 陽介は、立ち上がる力も出なかった。ただ、その拳に雪を握り締めるだけで、精一杯だった。
 再び目を開けた真露が、そっと陽介の肩を抱く。
 いつの間にか、雪は上がっていた。
 黒く重なる雲の隙間から、太陽がその顔を覗かせる。
 それは、とても眩しくて。

 恨めしいほどに、明るかった。

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