BLACK=OUT
第三章第六話:碧の焦燥
宮葉小路の放ったテクニカル「蒼弓の舞」を体の中心に受け、尚も立ち上がる黒いコートの男。
日向達との距離は、約10m……普通の人間と対峙しているならば、安全圏と言えるであろう。
しかし、今目の前にいる男は、たった一言で術を詠み、術を相殺する男だ。
それは最早、自己暗示と呼べる類の業ではない。
――洗脳。
「……っ」
宮葉小路の額に、うっすらと水滴が光る。
最上級テクニカル、それも、本来は拡散性の術を指向性詠唱により、対象をあの男一人に絞ったのだ。
更には、本来単独で放つメンタルフォースの矢を、己の式神に乗せて貫かせた。
――これで倒せないはずがない。
今、宮葉小路は、畏怖と混乱の入り混じった顔で、男の顔を凝視していた。
「……指向性詠唱か……面白い……」
動じず、男は言い放つ。
其れは宛ら、巨躯を有する岩壁か。
術により対象者が決まっているテクニカルは、当然広範囲に効果を与える。
しかしその反面、決定的な一撃には威力が足りないのだ。
故に、いや、必然に。
その対象を、焦点を絞るが如く集中させる事になる。
――それが、指向性詠唱。
並みのマインドブレイカーならば10や20は容易く霧散させるその力は、此処に於いて其の一点にのみ放たれる。
強敵と対峙した時の定石、らしいと言えば彼らしい、マニュアル通りの戦いは。
――しかし、男には届かない。
「強すぎる力は、出口を求め暴れだす。それを纏めるための詠唱……というわけか」
実に、つまらなさそうに。
「だが、能力が無ければ、其れも叶わん」
男は、そう吐き捨てた。
「……っくっ……!」
ゆるりと近づく男を目の前に、宮葉小路は屈辱に顔を歪める事しか出来ない。
一歩、また一歩……男との距離が縮んでいく。
対し、じりじりと後退を余儀なくされる宮葉小路。
両者の距離は、最早7m……!
ざん、と。
銀髪の少年が、シタールを手にいづる。
「バカか? テクニカルユーザーが前に出てどうすんだよ」
毒づく日向は、しかし男から視線を外してはいない。
少しでも隙を見せれば、この男の事だ、その時は容赦なく彼らを焼き尽くすだろう。
後衛の二人を庇う様に右へと突き出されたシタールを、ぐっと握り締める。
感情により相手に干渉するメンタルフォースは、故に術者との距離が離れればその分威力は落ちていく。
例えテクニカルと言えども、理想なのは密着状態で放つ事だ。
男に近づかれる前に斬らなければならない。
だが、この男に、隙などがあるだろうか……。
こうしている間にも、男は確実に距離を詰めている。
あと、5m……。
少しでも、時間を稼がなければ。
仮に無理だとしても、突っこんでいくしかない。
しかし、この余りにも一方的な戦いは。
「……ふ。まあいい」
男の一言で、呆気なく終結した。
「日向和真、お前は未完か。……言わずもがな、あの方はお前の『鍵』を知らない。力ずくで目覚めさせるには、意識階層のプロテクトが堅い。……いずれ折を見て、再び相見えよう」
「……何っ!?」
男の言葉に、宮葉小路が走り寄ろうとする。
が、
「smoke」
男の一言で出現した白煙に視界を奪われ、その足を止めざるを得なくなった。
「自己紹介が未だだったな。我が名はグラン=シアノーズ。時が来ればまた会おう」
白煙から響く其の声は。
遠く、彼方へと消えていった。
「………………」
路地に立ち込めていた白煙が消えてなお、その場に立ち尽くす日向達。
誰もが、あまりに鮮烈な戦力差や、目まぐるしい程に突然な展開に、言葉を奪われていた。
微かに耳に届く、露店街の喧騒。
彼らの耳に、今の戦いが聞こえていなかったという事は、つまり。
――やはりこの路地は、人々の意識から隔離された「別世界」……。
「日向、お前、あの男を知ってるのか?」
重たい沈黙を、最初に破ったのは宮葉小路だった。
「知らねぇよ」
「知らないはないだろう! あいつはお前の事知ってたぞ!?」
宮葉小路が激昂するのも無理はない。
自分の認知できるキャパシティーを超えた出来事が、目の前で起きたのだ。
彼じゃなくても……誰かの所為に、したがるだろう。
「ホントに知らねぇよ、あんな奴。……それより、この件は重要視しねぇとダメなんじゃねぇか?」
彼……いや、彼らは、この路地と露店街を使って、MFCの実験を行っていたのだ。
もちろん、違法である。
そして、MFTである自分達を襲ってきた……。
「これから、どうしますか?」
おずおずと、マークスが口を挟む。
すっかり忘れていたが、彼らはエレナの捜索に来たのだ。
それに、あくまで「休憩中」である。
「俺の予想じゃ、エレナの身に何かあった……って可能性は無さそうだ。むしろ、もう戻ってるんじゃねぇかな。とりあえず本部に戻ろうぜ」
日向が、路地の出口……露店街の反対側、大通りへと歩を進める。
その姿が、宮葉小路には何故か……。
――彼が、昂ぶっている様に見えた。