BLACK=OUT
第九章第一話:黒の理由
「『黒』が、目覚めました」
ノースヘル第三支社。
ε5区で最高の高さを誇るそのビルは、全高360メートル。
その、最上階で。
「そうか、ようやく目覚めたか」
部下からの報告を受けた日向博士は、顔を綻ばせた。
「如何しますか?」
「ふむ……」
日向博士は部下からの問いに、暫し考えを巡らせる。神をも封じる「封神の力」、それが、もうすぐ手に入るのだ。
「ブライア総統は、今『南』だったな」
自分の顎に右手を当てたまま、日向博士は確認する。
「はい、総統は先日、ご出立なされました。……それが、何か?」
「いや。どうも派手な事はお嫌いらしいからな、総統は」
怪訝な顔をする部下に、含みのある笑みを浮かべて返す日向博士。どこか、安心した様子が見られる。
「部隊は動かせるか?」
「指示さえあれば、どこへでも」
博士の白衣と対照的な、黒い外套を纏った青年は、ひらりと優雅に跪く。
「黙っていれば、いつまで経ってもB.O.P.は動かん。こちらから動き、炙り出す。このビルには、そうだな……1階に5小隊を配備……」
日向博士は、矢継ぎ早に指示を繰り出す。
やがて始まる、戦祭りの膳立てを。
「この、虚無の世界を塗り替える。総統が戻られる前に、決着を付けたいのでね」
◇
マークス回復の報は、すぐさまチームを駆け巡った。神林など、感極まるあまり泣き出した程である。
大事を取ってその日一日は休養に充てたマークスだったが、今日になって現場に復帰。何事も無かったかのように、コンソールに向かっている。
「マークス」
「あ、和真さん」
彼女のコンソールの脇に立った日向を、マークスが見上げる。その顔は、今までの暗い表情が嘘のように晴れやかだ。
「調子、悪くなったらすぐに言えよ。我慢とか、するんじゃないぞ」
もう一日休め、という自分の勧めを押し切られたのもあってか、日向は心配そうにそう言った。
「うん、大丈夫。和真さんを困らせたり、しないよ」
自分の感情すら見えなくなっていた時には、気が付かなかった。
世界は、こんなに鮮やかだったんだ。
それが、マークスには嬉しかった。
「和真、ノースヘルの活動拠点だが、見当は付くか?」
当面の問題は、日向のBLACK=OUTの活性化と、何かを企んでいるノースヘル、そしてその中心にいるであろう、日向伸宏の存在。
MFTが真っ先に対処しなければならない対象は、自ずから決められてくる。
「悪ぃ。サッパリだぜ、宮公。大体、判ってたら真っ先に、そっち行ってたぜ」
シートの背にもたれ掛かり、日向は「やれやれ」と言うように両手を上げた。
「公的な記録では、『2018年、保安軍に射たれ日向伸宏死亡』。……当然、その後の足取りは全く掴めない」
「戸籍も抹消されてる。ノースヘルに逃げ込んだのは間違いねぇと思うけど、今までの出来事にノースヘルが絡んでいるという証拠もねぇ」
B.O.P.がノースヘルに行き着いたのは、β2区の事件がきっかけだ。しかし、それも「周辺の土地をノースヘルが所有していた事」と「その土地に大量のMFCが設置されていた事」だけ。
唯一、「ノースヘルか?」という問いかけに否定しなかったグランも、もうこの世にはいない。それ以前に、彼は肯定などしていないのだ。
「B.O.P.(ここ)が公的機関なら、強制捜査も出来るんだけどな」
そう呟いた宮葉小路の言葉を耳に留めたのか、神林が口を挟んできた。
「でもさ、一応資料も揃ってる訳だし、保安庁に通報すればいいんじゃないの?」
それは、至極尤もな意見だ。
「ダメだ。ノースヘルから保安庁に圧力が掛かっているらしい。それどころか、中も結構切り崩されているらしいぞ」
しかし、宮葉小路が即座に却下する。彼の話が真実ならば、少しばかり厄介な状況のようだ。
「ちっ、このままじゃ……」
「ああ、僕らは、動けない」
動いたところで、ノースヘルそのものは潰せないだろうしね、と付け加えて、宮葉小路はコンソールに向き直った。
今、自分たちに出来ることは、目の前の仕事を片付けることだけ。
今までと、何も変わりはしない。
尤も、日向はBLACK=OUTの活性化を防ぐため、メンタルフォースの使用を禁じられているのだが。
「それにしても……」
ふっと一息ついて、宮葉小路は両腕を伸ばした。自然、口から唸り声が漏れる。
「随分と丸くなったな、和真。それも、いきなり」
「マークスちゃんもご機嫌だし、そういうことじゃない?」
応える神林も、彼同様伸びをしている。こちらは、全身運動だ。
「何があったのかは知らないが、うん。良かった、本当に」
そう言って宮葉小路は、部屋の入り口を見ながら微笑む。
件の二人は、資料室に用があると言って連れ立って行ってしまった。
「でもさ、何でマークスちゃん、『自分の感情が解らない』なんて状態になっちゃったの?」
神林は自分のコンソールの上に置いてあるドーナツを一つ摘み、口へと放り込んだ。誰も注意しないが、仕事中に堂々と間食を摂るのは頂けない。
「MFT設立当初は、今みたいに4人体制じゃなくてね……」
どこか遠くを見るように、静かに宮葉小路は語りだした。
「最初は、3人だった。僕と、エレナと、それからもう一人」
とん、と細い指が、コンソールを叩く。
ディスプレイに現れたのは、どこかで見た顔と、良く知る名前。
「ジャック=アーツサルト。マークスの、兄だ」
そこには「2025年、殉職」の文字。
「マークスは、きっとその事実が受け入れられなかったんだ。あいつが首から下げているゴーグルはジャックの物だし、服だってそうだ。サイズが合わないから、仕立て直してはいるけどね」
だから、自分の心を無視するしかなかった。
もし直視していたならば、マークス自身が壊れていただろう。
脆く儚い自我が選んだ、あまりにも不器用な防衛策だったのだ。
「ここに来たのも、ジャックと一緒にいたかったからだろうな。……そう言えば、エレナが言っていた。『日向は、ジャックと雰囲気が似ている』って」
この場所に来たのは、逃避のため。
しかし、ここでかけがえの無いものを見つけた彼女にとって、ここは「大切な場所」だろうか。
日向にとっても、神林にとっても、そうなってくれるだろうか。
今はいない、自分の同期たちを偲び、宮葉小路はそっと願った。