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BLACK=OUT

第八章第二話:朱いパスタ

「時間も時間だし、メシにすっか」
 デバイスの時計を見て、日向は言った。
「マークスは何が食べたい?」
「え? あ……日向さんの好きなもので……」
「………………」
 しばらくマークスをじっと見た後、日向はふぅっと大きなため息を吐(つ)いて、言った。
「おまえさ、何か変だぞ」
 マークスは、何も答えない。
 彼女にだって解っている。自分がおかしい事くらい。だが、ではどうおかしいのか、それが解らない。したい事をしたくない、矛盾した衝動を、何と呼べばいいのだろう。
「ごめん……なさい……」
 それは、何に対して、どのような意図を持って紡がれた言葉だったのか。
「別に怒ってる訳じゃねぇよ。謝らなくったっていいぜ」
 日向は呆れたような顔で、そう言った。

 周りは、流れる河のような人の群れ。
 おそらくは、昼休みなのだろう。OLやサラリーマンと言った風の人々が、目ぼしい屋台へとざわめきながら動いている。
 結局、日向たちは手近な店で済ませた。屋台のパスタ屋で、日向はカルボナーラを、マークスはナポリタンを調達し、今は人ごみを避け、露店街の外れに並んで座っている。
「ほら、冷めない内に食おうぜ」
 白いパックを無造作に開けながら日向が言う。
「で……でも……」
「何だよ」
「いえ、その……」
 しばらく逡巡していたマークスだったが、やがて小さく息を吸うと、ぽつり、と呟いた。
「私は、日向さんの隣にいていいんでしょうか……」

 しばらくの、間。
 それは一瞬だったか、あるいは永遠なのか。
 問いかけられた日向は、答えるべき言葉を持っていない。

 徐々に、だが、はっきりと。
 マークスの表情が、悲しく曇っていく。

「……訳わかんねぇ事、言ってないで……さっさと、食え」
 そんな彼女の姿を見ていたく無かったのか、日向は乱暴に話を切り上げた。
 それが、残酷な答えであったとしても。
 傍に、いて欲しくない。
 それが、今の彼の答えだから。
  どうにも遣り切れなくて、日向はパックの中央目がけてプラスティックのフォークを突き立てた。固まったチーズのソースにフォークの先が、ずん、と刺さる。 持ち上げると、パックの中のパスタが全て付いて来た。思わず、小さなため息が漏れる。隣を見ると、マークスは何の問題も無くナポリタンを食べていた。
 日向はもう一度、今度は大きくため息を吐くと、絡まりあったパスタをかじり始めたのだった。

 半時ほど経ち、昼食を求める人々がまばらになり始めた頃、ようやく日向は腰を上げた。慌てて、マークスもそれに倣う。
 集合時間までは、まだ間がある。二人は何をするでもなく、露店街をぶらぶらしていた。
 日向は、特に何か欲しい物があるわけではない。よって、いくら露店を覗こうとも面白くも何とも無いのだが、マークスは違うようだ。その視線は、ちらりちらりと露店と露店をひっきり無く移動し、忙(せわ)しないことこの上無い。
「あっ」
 小さく声を上げたマークスの視線が、ある露店の店先で止まる。そこはアクセサリー類を主に取り扱った露店で、ピアスやリング、プレート、変わったところではチョーカーまで置いていた。
「ん……?」
 日向が、マークスの視線の先を追うと、そこにはペンダントがあった。流線型の小さな金属塊が3つ絡まり合った構造をしていて、中々に洒落ている。よく見ればいくつか色の違う物も混じっている。鍍金(メッキ)だろうか。
「………………」
 マークスは視界がそこに固定されたのか、動かない。
「おい、これいくらだ」
 突然日向は、マークスが見ていたペンダントを手に取り、店番をしている中年の男性に突き出した。
「え? あ……日向さん……?」
「おぅ、そいつぁ8,000円だ。彼女に買ってやるのかい? なら負けてやるよ、7,000円でどうだ」
 丸い黒サングラスの男が、算盤(そろばん)を弾(はじ)きながら答える。どう見ても、店にあるどの商品より算盤の方が高そうである。今や算盤など骨董品なのだ。
「マークス、色はこれでいいのか?」
 手にした銀色の装飾品を指しながら、日向は言う。
「え、あ、はい……あ、じゃなくて……」
 マークスは混乱した様子で、何が言いたいのかさっぱり要領を得ない。そんな彼女を放っておいて、日向はペンダントの代金を支払い、それをマークスへと押し付けた。
「あ、あの……」
「やるよ」
 それだけ言うと、日向はさっさと先に行ってしまう。
「日向さん……」
 胸の前で、銀色のヘッドが揺れている。何となく、日向の言いたい事が解ったような気がした。

 もうすぐ、集合時間になる。相変わらず、露店街には人が多い。次から次へと、前後左右様々な方向から向かい来る人の間を縫うように日向は歩く。
 先ほどのアクセサリー屋の前にマークスを置いてきたので、今は一人だ。全く、女の子にプレゼントだなんて、我ながら似合わない事をしたものだ、と日向は思う。それでも、どうしてだろうか。放っておくなど、出来なかった。
(こんな時……誰かを守れる力が、あったらな)
 思わず、そう考えてしまった時。
「ひゅ……日向さーん!!」
 背後から、聞き慣れた声が近づいてくる。振り向くと、今まさに日向の許へと到着したマークスが、肩で息をしながら呼吸を整えているところだった。
「どうしたんだよ、マークス」
「あの、これ……」
 マークスが、右手を差し出す。その先には、濃灰色のペンダントが揺れている。マークスに買った物の色違いだ。
「日向さんに。お礼です」
「お、俺に? 似合わねぇよ、そんなもん」
「そんな事ないですよ。……ほら」
 マークスが、正面から日向の首に手を回す。一瞬、抱き付くような格好になって、日向はドキリとした。
「……ね? 似合います」
 一歩下がって、マークスは言った。
 日向は、自分の胸をそっと見下ろす。
 そこには、暖かな、鈍い光が揺れていた。

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