BLACK=OUT
第九章第十話:黒と白
ベッドに仰向けに倒れたまま、天井へ掌をかざす。
――もうすぐ、俺は、消える。
日向はその手を、ゆっくりと握り締めた。
宮葉小路たちにはああ言ったが、父親に会っても、自分のBLACK=OUTを抑え込む、その手段が見つかるとは思っていない。どの道、消えるのだ、自分は。
ぱたり、と、上げていた腕を落とす。受け止めたベッドは優しく、その衝撃を緩和した。
顔を横に向けると、いつの間にか馴染んでしまった部屋が目に入る。
ほんの、父親を見つけるまでの、仮住まいであるつもりだった。備え付けられたデスク、無機質な照明、それ以外に何ら私物の無い、殺風景な部屋。それが、当たり前のように、自然とそこに在る。
この、見慣れた風景も。
あの、大切な仲間も。
今日で、見納め。
この夜が明けたら、MFTは最後の戦いに赴く。
B.O.P.は最早役割を為さず、街は壊滅。加えて、自分の自我も、恐らくはもう限界。明日の戦いに全てを賭け、委ね、託す。
日向たちが負ければ、つまりは彼の身柄と意思は、日向伸宏とノースヘルに握られる。その時は、“封神の力”をも奪われることになるだろう。そして間違いなく、マークスたちは……殺される。
仮に日向たちが勝ったとして、彼にとっての結末は変わらない。
いずれ覚醒するBLACK=OUTを放置など出来ないのだから。彼は、彼自身で決着を付けねばならない。
――B.O.P.を、去る。
大切なものを守るために、自分が、自分であるために。
日向は、別離を選択した。
胸を締め付ける、寂寥と共に。
その時、天井のスピーカーからアラームが聞こえた。続けて室内のメインモニタに表示される、MFTのIDナンバー。
「……今、開ける」
ベッドで仰向けになったまま短く答えると、日向はゆっくりと起き上がり、枕元のスイッチに手を伸ばした。
ピッという電子音と共にロックが解除され、やや間を置いてその扉が訪問者を迎え入れる。
「お、おじゃまします……」
今、誰より会いたくて。
今、誰より会ってはいけない人。
「こんな時間にどうしたんだよ、マークス」
金髪の小柄な少女は、部屋の中に一歩入ると、そこで歩みを止めた。両手を前で、もじもじさせている。
「あ、ううん、その……ごめんね、遅くに。邪魔……だった、かな?」
ずっと考え事をしていたので気付かなかったが、もう日付が変わっている。「こんな時間に」とは言ったものの、思った以上に遅い時間だったようだ。
「いや。俺もマークスの顔、見たいと思ってたから」
事実だ。
明日の戦いが終わったら、もうここには戻れない。
だから最後に、ちゃんと見たかった。
大切な人の顔を。仕草を。言葉を。その全てを。
「え? そ、そうなの? うん、私もね……」
「いいから、立ってないで、ここ、座れよ」
日向はベッドの、自分の隣をポンポンと叩いて促した。
「あ、う、うん……」
マークスは顔を真っ赤にしながら、それに従う。こういう恥ずかしがりなところも可愛いな、と日向は思った。
二人分の重みを受け、ベッドのスプリングが音を立てて軋み、沈む。隣の少女は、相変わらず耳まで赤く染めて、小さくなったままだ。
「も……」
「も?」
マークスが、下を向いたまま何かを言いかける。見れば、膝の上に置かれた両手が、きつく握り締められていた。
「もうちょっと、そっち行っても……いい?」
日向との距離は、およそ30センチ。彼女なりの遠慮の結果なのだろうが、それはあまりにも他人行儀な距離だった。
「いいぜ。ってか、開き過ぎだ、これじゃ」
思わず漏れる苦笑。一体、何なんだか。
よいしょ、とマークスが、その小さな体を寄せる。触れた左腕に感じる温もりと、彼女の香り。そして途端に思い出される、来るべき別れ。
「ずっと……」
マークスが、日向にもたれ掛かったまま呟いた。
「ずっと、続けばいいのにな、この時間が……」
それは、叶うことの無い願い。
叶わぬことすら、知らない願い。
日向は。
「ああ、そうだな……」
その一言が、精一杯だった。
どれだけ、そうしていただろう。
二人の間に言葉は無く、ただ静かに、時計はその針を進める。
やがて。
「私……」
杯に満ちた水が、溢れるように。
「私、和真さんに会って、初めて“願い”を持った」
自然にそれは、マークスの口から流れ出した。
「それに、命さんに会って、初めて自分が何を望んでいるのか、知ることが出来た」
日向の肩に、頭を預けて。
呟くように、歌うように、その言葉は紡がれていく。
「私、みんなに会えて良かった。日向さんに会えて、良かった。日向さんに会えなかったら、見つけられなかったもの。私の、“大切なもの”……」
マークスがそっと、日向を見上げる。
穏やかな、微笑と共に。
「和真さん……」
マークスの目が、ゆっくりと閉じて。
そのまま、少しずつ、二人の唇が、重ねられていく……。
「俺も……同じだ、マークス」
唇を離し、だが顔を近づけたまま、日向が囁いた。
「お前に会えて良かった。ここで会ったのが、お前で良かった」
二度と会えない、その事実を隠して。
しかし、だからこそ、その惜別の情を詰め込んで。