BLACK=OUT
第七章第七話:碧と同じ者
「そんな……」
日向の口から語られる、まさかの事実。あまりにも唐突過ぎる告白は、マークスの思考を停止させ言葉を紡ぐ事すら許さない。
壁の向こう、隣り合わせの病室で、全く同じ会話が為されているなど、誰が想像しようか。
「けど……」
止まった時間を振り払うかのように、僅かに語気を強めて日向は続ける。
「そんなこと、どうでもいいんだ」
「どうでも……いいって……」
「お袋は、俺のBLACK=OUTを覚醒させる事に反対だった。俺が覚醒してからも、俺を臨床で使うことを、お袋はずっと反対し続けていたんだ」
窓の外を向いたまま。
思い出に耐えるように眉根を寄せる。
辛そうな顔を、自分に見られまいと、だからこちらを向かないのだと。
窓に映る日向の顔を見つめながら、マークスはそう思った。
「そんなお袋を邪魔に思ったあいつは、俺の目の前でお袋を……」
辛さから、悲しみへ。
悲しみから、憎しみへ。
「お袋を、殺したんだ」
だから、MFTに入った。
憎むべき父、母の仇である父を、己の手で討つ為に。
「お袋が殺された時の記憶はブラックアウトしてる。けど、その事実だけは覚えてるんだ。あいつへの憎しみは……10年前から、変わっちゃいねぇ」
「でも……本当のお父さんなのに……」
彼の想いも、マークスには解らない。
誰でも、肉親を殺されれば、犯人は憎いだろう。人によっては殺してやりたいと考えるかもしれない。
けど、その犯人が肉親だったら?どうして自分の手で、肉親を殺められるだろう。
「あんな奴、親父じゃねぇ!!」
窓ガラスを介し垣間見える彼の心は、耐え難い憎悪を剥き出しに。
握り締めた拳に、ぎり、と皮革が悲鳴を上げた。
◇
神林の語り口が止まった。
宮葉小路も、何も言わない。いや、正確には、口に出すべき言葉が判らない。
「あいつね、本当は助けたかったんだって。お母さんを」
その話を、日向から聞いた時の事を思い出しているのだろうか。懐かしむように、そっと栗毛の髪を触っている。白い指に、くるりと巻いて、するり解いて。
「中等校じゃ、あいつと同級生でね」
「同級生? お前、日向より年上だろう?」
「あー……いや、その、入学したときに色々あってね」
慌てた様子で誤魔化す神林。少なくともこの話には関係無いようだったので、宮葉小路は深く追求するのを止めておいた。こほん、と軽く咳払いして、神林は話を続ける。
「その学校、マインドブレイカーの吹き溜まりみたいな場所で……ま、人が大勢集まる場所なんて、何処もそんなもんなんだけどね……そこで、あたしと和真は二人でマインドブレイカー退治をしてたのよ」
「よ……よく学校側は止めなかったな」
「ちゃんと真夜中にやってたもん。……で、和真はね、口にこそ出さなかったけど、お母さんを自分が守れなかった分、あたしを守りたかったみたいで……」
「………………」
宮葉小路の胸に、微かな違和感が広がりだす。
「ある日ね、かなり強力なマインドブレイカーと戦ってね。あたしが無茶して突っ込んで行っちゃったもんだから、和真のフォローが遅れて、大怪我したんだ、あたし」
意識不明、とまでは行かないが、肋骨と右腕を折ったのだ。
「次の日、あいつはいなくなった。『俺じゃ、誰も守れないから』って言い残してね」
ここへ来て、宮葉小路は胸に支(つか)えた違和感の正体に気づく。
ああ、なんてことだ。
日向が、自分と、同じだなんて。
日向は神林を守りたかった。けど守りきれずに、自分には「誰かを守る力なんて無い」と思い込んでしまった。
自分はエレナを守りたかった。けど守りきれずに、弱い自分を呪った。そして、それは日向へと向けられたんだ。……憎しみという、形に変えて。
彼に自分の気持ちなんて解らないと思っていた。しかし実際はどうだ!解らない訳が無い、彼にとっては既に通った道じゃないか。
「僕は……何を……」
神林のいる方とは逆、左側へと顔を向け、宮葉小路は言葉を漏らす。
泣きたいのか、悔いたいのか、謝罪したいのか……いくつもの想いが渦を巻く。
「ね、利君」
冷たい手のひらが、彼の額に当てられる。その手が、さするように微かに、ゆったり動く。
「誰かを守るって、大変なことだよ。どんなに願ったって、どれだけ力があったって、守れないものって沢山あるもの。でも、守りたいって思うことを棄てたら、利君の大事なものを、誰が守ってくれるの? ……今、利君にとって大切なものを、守ろうよ」
どうしてだろう。
自分を許してくれるのは、エレナだけのはずなのに。
どうして彼女の言葉は、こんなにも透明で、染み込んでくるんだろう。
僕は、きっと。
誰かに許して欲しかったんだ。
ボロボロと涙が零れる。
噛み殺した嗚咽は壁へと吸い込まれ、流した涙はシーツを濡らす。
言いたい事は、沢山ある。
伝えるべきことも、沢山ある。
しかし、それは今じゃなくていい。
今はただ、全てを吐き出したい。
彼女を失った苦しみを。
何も出来なかった無力感を。
そこから逃げ、彼に押し付けた過ちを。
ひとつひとつを、忘れぬように。
ごめん、エレナ。
僕は、君を守れなかった。
だから、これだけは約束する。
君が愛したこのチームを、僕は絶対に守りぬく。
窓の外は、東の空が白んで。
ようやく、今日という日は始まった。