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BLACK=OUT

第九章第五話:黒い煙幕

 鋼の廊下を二人は駆ける。互いに言葉は無く、その必要も無い。
 階段を下りて右、壁から突き出た液晶標識が、目的の場所を示している。宮葉小路は速度を落とさず、デバイスに嵌め込まれたインカムを取り外し、耳へ。

――激しい、ノイズがした。

(デバイスの故障? くっ、こんな時に……!)
 悪い時には悪い事が重なるものだ。日向たちとは連絡が取れず、加えてデバイスの不調。この状況下で出るなど自殺行為だが、さりとて出ない訳にもいかない。
「命、どうも僕のデバイスは調子が悪い。通信は命に任せきりになるが構わないか?」
 背後で聞こえていた足音が止まる。
 ガレージまで、あと数歩。
「利くん……」

 訝しげに、宮葉小路は振り向いた。
 そこには、自らのデバイスを手に立ち尽くす――そこにある危機に呆然とする、神林の姿。

「あたしのデバイスも、認識されない……」

 神林の一言に、宮葉小路は凍りつく。
 その事実が何を指しているのかなど、火を見るより明らかだ。
「戻るぞ命! 奴らの本当の狙いは……!」
 最後まで言わせず、目の前の――ガレージの扉が、吹き飛ばされた。鋼の焼ける臭いが鼻につく。
「くっ、遅かったか!」
 黒煙を掻き分けるように、ガレージへ飛び込む二人。
 目の前の光景は、悲惨極まるものだった。
 ガレージの中は既に火の海で、息を吸えば喉が焼ける。もうもうと立ち込める煙は視界を塞ぎ、その隙間から幾人か倒れているのが見えた。
 薄い緑の作業着、恐らくはメカニックたちだろう。カーキ色のシャツは、ドライバーなど輸送班のスタッフだ。
 誰も彼も、動かない。
 奥には、激しく燃える車両のフレーム。恐らくこれが爆発の原因だろう。
 周囲を見回すと、溶接に用いるガスボンベが目に入った。隣には、酸素ボンベも並べられている。爆発の衝撃で転倒しなかったのは、チェーンで固定してあったからだろうか。
「まずい、アセチレンに引火したら大惨事だぞ!」
「利くん、これ冷やせる?」
「攻撃用のテクニカルを応用すれば、何とか。けど、術式はかなり長くなるぞ」
 多少は時間が掛かろうとも、今はこのボンベを冷却する事に神経を集中すべきなのだろう。
 だが、これは事故ではない。ここに火を放った者がいる。
 「どこか」にいるのではない。
 渦巻く黒煙の向こう、炎が揺らめくその先に。

――こちらを見据えて、立っている。

「あんたたち、どうしてこんな事!」
 叫ぶ神林に応えるかのように、ざり、と人影は一歩を踏み出す。爆風が破った扉から、視界を遮るカーテンが外へと吸い出された。目の前に現れたのは、背格好の違う5人の男女。
「何故、だって?」
 その中の一人、一際長身の男が、表情を変えずに応える。
「理由など無いさ。これは『手段』であって『目的』では無い。そのように命令を受けている、というだけの話だ」
 淡々と伏目がちに語る男は、左右の手で炎――メンタルフォースを弄んでいる。
「命令……やっぱり、ノースヘルね?」
「否定はせん。が、肯定もせんな」
 右手の炎を握り潰し、男は後ろへ丁寧に撫で付けられた髪を掻き上げた。それが合図であったかのように、マークスよりも尚低いであろう身長の少年が、双剣を逆手に男の前へと進み出た。体勢は低く、既に臨戦。
 ごうと燃える業火、それに時折掻き消されながら、途切れ途切れスピーカーからの声が聞こえる。

――本部施設内に侵入者……施設各所から次々と侵入……人数不明……メンタルフォーサー……MFTは至急……。

 酸素の足りない環境、呼吸すら困難な高温。
 ガスと酸素のボンベという、時限爆弾。
 次々と侵入してくる、メンタルフォーサー。

 そして。

 圧倒的な、この人数差。

「どうする、命」
「『努力し善処する』」
「どこかの政治家みたいな言い方するな」
 大太刀を手に、神林は矢面に立つ。宮葉小路は神林の後ろ、ちょうどボンベの真正面。
「どこまで持つか判らない。けど、ボンベの冷却は口述詠唱じゃないと無理だ。命の支援は、記述でしか出来ない」
 記述のみ、というのは、既に定型として出来上がっているテクニカルしか詠めない事を意味する。応用的な運用など、望むべくも無い。
「十分よ。あたしを誰だと思ってるの?」
 この窮地にあって、不敵な笑みを浮かべる神林。
 信じろ、敵は己自身。
「神林流心刀継承者、MFT屈指のインファイター……」
 胸の中心に、真円を描く。
「そして、誰よりも大切な人の笑顔を守りたい。そうだろ?」
 煤けた顔で、宮葉小路は口の端を吊り上げる。
 何も迷いはしない。
 絶対に、誰も傷付けさせない。

 二人は、鉄壁なのだ。

 神林が、大地を蹴りつける。太刀の切っ先を床に当て、宙を舞う火の粉よりも尚鮮やかな火花を地に散らせ。
「ソロウ-アッパー-グレード-クール-イット-ウィズアウト-デストロイング-イット……」
 遠くに剣戟を聞きながら、そのリズムに宮葉小路の旋律が乗る。絶え間なく紡ぎ出される言葉、滑らかに繰り返される韻。
 右手は、まるで楽を奏でるようにしなやかに、しかし驚異の速度と正確さをもって印を描く。
 僅かな隙を突き、こちらに向かってくる敵も。
 その足を踏み出した直後には、神林という絶対防壁に阻まれる。

 状況は、最悪。
 言い換えるなら、最悪なのは状況だけなのだ。

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