BLACK=OUT
第四章第二話:紅と蒼
気付けば、ずっと灰色。
降り続ける雨は、容赦なく路地裏を叩いている。
――前へ進む事が、許されなかったから。
彼女は、濡れる体もそのままに、景色に溶けていくだけ。
だから、ずっと、灰色。
上のコンソールルームから降りてきたのだろう。
タカタカと足音を響かせ、二人がやってきた。
「おつかれさま。やっぱエレナさんの勝ちやったな」
「はい、タオルとスポーツドリンクですぅ」
MFTの専属オペレーターである二人は、いつだって賑やかだ。
思い返せばこの一年間、彼らが笑顔を見せなかった事は一度も無い。
エレナとて、MFTのリーダーとして、チームのムード作りには気を配っている。
必要以上に沈み込むのを防いだり、逆に浮き足立つメンバーを抑えたり……。
だが彼らは、きっと自然体なのだ。
だから、あれほど純粋な笑顔を見せていられる。
不思議なものだ。
もとより「感情の力」であるメンタルフォースを操る自分達が、メンタルフォースを持たない、この二人のお陰で、いつも笑顔でいられるなんて。
「っ……! あのなぁ、そうまで言うならやってみろよ、四宝院」
負け惜しみか、悔しそうに宮葉小路は言う。
「エレナの動きなんて、そうそう見切れるもんじゃないぞ。スピードが身上の日向ですら、なかなかエレナに追いつけないんだからな」
四宝院の言うことは間違いではないが、かと言って彼ら二人をエレナと並べるのは無意味というものだろう。
日向も、そして宮葉小路も、命を賭けて戦場を駆けているからこその能力だ。
だからこそ一般人では手の届かない領域に達した動きを会得する。
そうしなければ、生き延びることが出来ないからだ。
しかし、それもここ数年の事。
物心ついた時には既に死地へ身を置いていたエレナとは、比べるべくも無い。
「ん? エレナさんと……?」
きょとん、と目を丸くする四宝院。
隣のメイフェルは、おかしそうに笑いをかみ堪えている。
「別にかまへんけど……ハンデ付なら」
「ハンデ?」
宮葉小路が問い返す。
「MFCのレベル上げて、メンタルフォースを全面禁止にするけど、それでいいんならやるで」
何でも無い事の様に四宝院は言うが、事はそう簡単ではない。
言うまでもないが、エレナはインファイターである。
もし対戦相手が宮葉小路なら、なるほどメンタルフォースを封じられれば大きなハンデになり得るだろう。
しかし、格闘技ベースの彼女に、純粋な格闘勝負を挑もうというのだ。
確かに「当てられたとしても」メンタルフォースが上乗せされていない分、ダメージは少ないだろう。
だが、勝つなら「当てなければ」ならない。
日向ですら一撃も当てられない相手、エレナに、四宝院は子供相手でもあるかのように挑もうと言うのだ。
それは策有っての事か、はたまた単なる無謀か。
「ん、それじゃやろうか、恭」
エレナはフィールドへと上っていく。
「それではぁ、私はコンソールルームにいってきますぅ」
全然心配してなさそうに、いつもの調子でメイフェルは言い残し、さっさと行ってしまった。
「オープンコンバット」
聞きなれた合成音声が戦闘開始を告げる。
だが、対峙する二人は動かない。
いや、二人とも立っているだけなのだ。
「エレナは……元々、構えなんてないんだが……」
暗殺術であるフォートカルト流に構えなど無い。
だが、ならば四宝院は何なのか。
何かしら武道の心得があると聞いたことはないし、データにも載っていない。
「……にしては、萎縮しているようにも見えないが……」
静かに火花を散らす二人。
戦闘時間を計測するカウンターだけが、時の音を奏でている。
宮葉小路は何気なく言ったのだろう。
エレナは考えていた。
彼女と「戦え」と言われて、何の経験も無い者が引き受けるとも思えない。
何より、彼の纏う異様な雰囲気が只者では無いと知らせていた。
(構えも無い……さぁて、どう攻めようか)
隙だらけに見えて、その実攻め入る穴は無い。
しかし、今は余りにも相手の手札が不明過ぎる。
(まずは、様子見、かな……)
数分程は続いただろうか、ここへ来て初めてエレナがその沈黙を破る。
タッ、と地を蹴り、四宝院の懐へと駆けて行った。
対する四宝院は、まだ棒立ちのままだ。
エレナは完全には踏み込まず、浅い間合いから右の前蹴りを繰り出した。
牽制に使う、予備動作が少なく速い攻撃である。
で、あるのに。
四宝院は、余りにもゆったりと動いた。
肩幅の半分、右へと。
たったそれだけの動きだが、もとより直線軌道である攻撃、その「線」さえ外してしまえば当たらない。
だが、目視不可能な蹴りと、優雅にすら見える静謐な歩行。
対極に位置する二人、さながら欠ける物を埋めるかに嵌り合う。
……見る者に、異様を与えながら。
振り出された右足が戻りきる直前、四宝院はエレナの右肩へと手を回し、自分の方へと引き寄せた。
「く……っ!」
四宝院の狙いを悟ったエレナは、咄嗟に引いた右足で勢いに任せ後ろから回し蹴る。
軸足である左には、全体重が乗っている。
左足を動かすことは、物理的に不可能なのだ。
体勢を崩される前に、四宝院を引き剥がさなくてはならない。
だが、放った右足は空を切る。
四宝院はエレナの動きを読んでいたように、彼女の左側面から正面を経由して右側面まで移動していた。
そして、回し蹴りの動きに合わせ、いつの間に握っていたのか、エレナの左手首をくっ、と引く。
崩れる体勢を支えるべき右足は空中にある。
舞うような優雅さで、四宝院はエレナを地に伏せた。