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BLACK=OUT 2nd

第一章第四話:青の争奪

「『感情は質量を持つ』。十年以上前、ある心理学者が提唱した学説だ」
 宮葉小路がソファーに深く腰掛け直し、話し込む体勢になった。こうなった以上、仕方がない。征二は諦めて、彼の話を聞くことにする。興味はない、いや、持ちたくないが、淹れてもらった紅茶は美味しかった。しばらくは、この味を楽しむことで気を紛らわそう。
「脳の処理は、全て微弱な電気信号だ。感情も例外じゃない。感情をパルス波だとするなら、確かに感情には質量があると言えるだろう。そして、感情は自分以外――つまり、外部にも影響を及ぼす。あまりポジティブな感情ではないが、殺気を感じたりするのは、まさにそれだ。その心理学者は考えた。ならば、感情というものをどんどん大きくしていけば……もっと大規模に、周囲に影響を及ぼすことが出来るんじゃないか、とね」
 特殊心理学、と呼ばれる分野の黎明だね、と宮葉小路は言った。
「後にメンタルフォースと呼ばれるこの力は、しばらく学会には取り合ってもらえなかったようだ。だがそれから数年して、不可解な現象が各所で発生し始める。突然精神を壊される人間が増え始めたんだ。原因は不明だったが、同時期、異形の生き物を見たという報告が徐々に出始めた。ここで問題だったのは、見える者と見えない者がいたことだ。まるで、幽霊のようにね。見える者の一部は、この謎の生物を追い払うことが出来たらしい。多方面からこの現象の研究がなされ、心理学会がこの生物を、感情の塊であると定義した。例の博士が過去に発表していた論文が役に立った形だね。もっとも、その時既に、件の博士は行方をくらませていたんだが」
 巨大化した感情の塊が独立し、特定の目的を繰り返し行うようになったそれは、「心を壊す者」――マインドブレイカーと呼ばれるようになった。
「それだけの感情を持つなんてね、普通の人間には無理なんだ。心が壊れて、一つの妄執に取り憑かれ、そしてマインドブレイカーを生む存在へと変わっていく。彼らのことを、僕たちは『母体』と呼んでいるけど、元は人間でも、彼らはもう、人間じゃない」
 母体――確か、あの時襲ってきた棒のような奴を、マークスはそう呼んでいた。彼女は躊躇無く殺そうとしていたが、元は人間なのか。
「少しずつ研究が進み、メンタルフォースを操る者、メンタルフォーサーが、唯一マインドブレイカーに対抗出来る存在だと分かってきた。だが、十分なメンタルフォーサーを確保する前に起こってしまったんだ。大規模なマインドブレイカーの大量発生――サイコロジカルハザードが」
 公的に対応出来る手段を持たない政府は何ら手を打てず、唯一技術的に対応出来そうなのは、「特殊心理学研究所」という民間研究組織だけだった。
「研究に協力する名目で集めていたメンタルフォーサーの有志が、少ない人数でこの大災害に立ち向かったんだ。きっと、彼らは、彼らにとって大事な誰かを守りたくて立ち上がったんだろうね。だが、十分なサポートもなく、ましてや戦闘訓練なんて受けていない彼らだけでは無理があった。結局全滅し、災害は自然に沈静するのを待つしかなかったわけだが、皮肉にも、これがモデルケースの一つとなった」
 特殊心理学研究所は「BLACK=OUT Project」と改名され、研究設備だけでなく、サイコロジカルハザード対策部隊をも包括した、特殊心理学分野全域に渡る組織となった。新たにメンタルフォーサーを確保するのは難しく人数も揃わなかったが、メンタルフォースの戦闘への利用を最適化するために体系化を施し、その方面での研究も行った。その成果が、今のMFTだ。
「ここは本部だが、ご覧の通り、MFTはたった三名の所帯だ。それでも僕たちは戦う。守りたいものや、守りたい誰かがいるから」
 水島征二君、と改まった様子で宮葉小路がこちらを見つめる。
「君がサイコロジカルハザードに巻き込まれた時の映像は見せてもらった。君の力――シールド能力は、きっと、君にとって大切な何かを守るのに役立つと思う。強制はしない。だが、もし君に大切な誰かがいるのなら……君の力を僕たちに貸してもらえないかな」
 宮葉小路の顔は真剣そのものだ。神林もマークスもこちらを見ている。征二は居心地悪そうに首をすくめた。
「でも……僕はそんな、戦ったりなんてしたこと……」
「もちろん、入隊してくれるなら責任を持って訓練を行おう。適性に合わせたポジションについてもらう方針だから、訓練内容もそれに応じたものになる」
「心配しなくても大丈夫だって! だってマークスちゃんでも一端の戦士になれちゃうんだもん」
「そうですよ。……って神林さん、それどういう意味ですか」
「あは、細かいことを気にしなさんな」
 唇を尖らせるマークスを横目に、征二の顔は晴れない。見た目は一番大人しそうだけど、本質はこの中で一番危ない人なんじゃないか。
「迷ってる?」
「いきなりすぎて……僕に務まるとも思えませんし……」
 ニコニコと笑う宮葉小路に、征二は無難に答えた。まさか「出来れば関わりたくないです」などと言うわけにもいくまい。
「ところで水島君、君は記憶を失っているんだったね。君の身元は、今……」
「あ、はい。水島柾さんという方にお世話になってます」
「じゃあ、こう考えたらどうだろう。入隊してもらう以上、こちらはちゃんと対価を支払う。もちろん危険手当含めて、安くない金額だ。君は君の力で生きていける。君を保護してくれた恩人に、その恩を返すことも出来るよ。どうだい?」
 宮葉小路が、楽しそうに笑った。

 アパートの前まで帰ってくると、部屋に明かりが点いているのが見えた。
(水島さん、帰ってきてるんだ……)
 急いで階段を登り、鍵を開ける。
「ただいま、ごめん、遅くなった」
 ちゃぶ台の前に座ってテレビを見ていたらしい水島が、ちらりとこちらを見て「おう」と返事をした。
「ずいぶん遅かったな。どこ行ってたんだ」
 うんちょっと、と言いながら食事の準備を始める。水島もそれ以上追求してこようとはせず、再びテレビに意識を戻したようだ。ちょうど番組が終わり、CMが最近出たという家電を宣伝している。
 ――B.O.P.へ行くことで、水島への助けになる――。
 宮葉小路に言われたことが、まだ頭を掻き回していた。
 ――少し、考えさせてください。
 考えたって、きっと同じなのだ。何も出来ない自分に出来るかもしれない、たったひとつのこと。それが水島の役に立つというのなら、何を迷う必要があるのか。
 だが素直に動けない自分がいる。行くなと、関わるなと本能が叫ぶ。
 ならこの誘いを断ったら。そうしたらどうなるだろうか。
 どうもしない。今までと同じ日常が続くだけである。平和で、のどかで、無力な。
 それを望まないというのは嘘か? 今自分にとって一番の願いは――。
『こんばんは、六時のニュースです』
 アナウンサーの声に、意識が現実へと引き戻された。
『本日昼頃、商業区域であるβ区において、小規模のサイコロジカルハザードが確認されました。たまたま現場にいたサイコロジカルハザード専門組織、B.O.P.の職員が対応し、人的被害はありませんでした。B.O.P.によりますと、このサイコロジカルハザードの根本原因が取り除かれたわけではないということです。B.O.P.では警戒を強めており、引き続き近隣住民に注意を呼びかけています。それでは、次のニュースです――』
「近いな。ここから歩いても五分くらいの所だろ?」
「あ、うん。そうだね」
「物騒だよなぁ。こっちはメンタルフォーサーじゃないんだ、逃げようったってどこに逃げるって言うんだよ」
 画面に向かって文句を言う水島。どうやら、メンタルフォーサーだの何だのといのは、やはり一般常識だったらしい。
「……水島さん」
「ん、どうした?」
「どうやら僕、その……メンタルフォーサーみたいなんだ」
 水島は振り返り、「は?」と怪訝な顔をしている。
「えっと、そのサイコロジカルハザードの現場に、僕たまたま居合わせて……」
 征二は、今日の出来事を話した。水島も最初こそ驚いていたようだが、それほど長続きしなかったようだ。「ふーん」といった様子である。
「まあ、程度の差こそあれ、五百人に一人くらいはメンタルフォーサーらしいしな、今は。五年前に比べて数は増える一方だって言うし、お前がメンタルフォーサーでもおかしくはないか。珍しくはあるけどな」
 そんなものなのか。何となく拍子抜けである。
「だがまあ、天下のB.O.P.からお声が掛かるっていうのは凄いかもな。入ろうと思って入れる所じゃないし、貴重な経験が出来るんじゃないか?」
 お前が決めていいよ、と水島は言った。
「お前が正しいと思ったことをやればいい。やりたいようにやれ。俺を気にする必要はないぞ」
 うん、と頷いて、征二は夕飯の支度に戻った。
 多分、彼らには戦力として期待されてるわけじゃない。それに、あの人たちと自分は何かがずれている気がする。
 だけど、もう――。

「簡易のもんやけど、鑑定結果出ました」
 四宝院がモニタに情報を二つ並べて表示する。
「カップに残ってた指紋は、データベースにある情報と一致しました。DNAの鑑定結果出るまで確定出来ませんけど、九割九分、間違いありません」
「そうか」
 頷いた宮葉小路だけでない。マークス、神林、メイフェル……全員が、モニタに注目していた。
「よし、みんな聞いてくれ」
 パン、と手を叩いて、宮葉小路が注目を集める。
「鑑定結果は見ての通りだ。DNA鑑定まで結論は出せないし、これはあくまで僕の所見と推測だが、ほぼ間違いはないだろう。彼、水島征二は、日向和真と同一人物だ」
 誰の顔にも驚きの表情はない。半ば誰もが確信していたことだ。唯一マークスだけが、辛そうに顔を歪めた。隣に立っている神林が、そんなマークスの肩にそっと手を置く。
「彼を保護しているという人物、水島柾についての情報が欲しい。四宝院、情報部に集めさせてくれ。出来るだけ早くだ。メイフェルは今日の戦闘の映像分析を頼む。動きの癖、メンタルフォース特性、視線の動線と反応速度、他思い付く限りの多角的な分析だ。出来るな」
「はぁい。丸裸にしちゃいますぅ」
 ひと通りの指示を終え、宮葉小路が締める。
「ノースヘルは、まだ和真を狙っているだろう。僕たちは、和真を奪われるわけにはいかない。絶対にだ。――和真は、僕たちが獲る!」
 それは、新たな戦争の宣言だった。

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