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BLACK=OUT 2nd

第九章第七話:反転、こもごも

 そわそわとして落ち着かない。マークスは横目でちらりと、ベッドに並んで腰掛ける日向を見た。思えば、自分の部屋に日向を招き入れたのは、これが初めてだ。浮き足立つマークスだったが、一方の日向は極めて落ち着いていて、自分ばかりがどぎまぎして不公平だと、マークスは内心で口を尖らせた。
「ごめんな、こんな時間に。ちょっと話したくて」
「えっ、あ、ううん、大丈夫、だいじょうぶ」
 マークスは慌てて、両手をバタバタと振った。あまりこんなことを考えているなんて、知られたくない。
「私も、和真さんのところに行こうかと思っていたから。でもその、ちょっと恥ずかしいね。ちょっとだけね」
 咄嗟に誤魔化すマークスに日向が微笑む。橙色の明かりのせいか、その表情はとても柔らかく見えた。二年前はこうだっただろうか。
 いや、もっととげとげしかった。いつも何かに責め立てられているようで、追い立てられているようで、ずっと張り詰めていたように思う。誰かを傷付けながら、そのことで自分も傷付いていく危うさがあった。傍若無人に振る舞うくせにひどく自虐的で、一人で何でも背負い込み、自分の中に閉じ込めてしまう。まるで、そうあらねばならないように、孤独だった。
 ——でも、そうか。もう、そんな必要はなくなったんだね。
「……変わったな、マークス」
「え?」
 心臓が跳ねた。
「強くなった」
 勿論だよ、とマークスは笑う。もう二年前の自分じゃない。自分の足で前に進むことを教えてくれたのは、他でもない日向だ。
「背もちょっと伸びたし、女らしくなった。胸も少し大きくなったしな」
「ば、バカ!」
 隣に並ぶ肩をポカポカと叩く。悪戯っぽく笑う日向こそ、きっと大きく変わったのだろう。きっと、彼はもう、本当の意味で一人ではないのだ。
「その……ずっと何の連絡も出来ないでごめん。マークスが怒るのも当然だと思うけど、許してくれ」
「いいよ。だって仕方なかったんだし。和真さんがこうやって生きていてくれて、それだけで、本当に……」
 最後は涙声になっていた。ああ、ダメだ、湿っぽくなるのは嫌だったのに。
「その割にはすっげー怒ってたじゃん……まさかあの状況で説教食らうとは思わなかったぜ」
 日向も分かっているのか、空気を変えるように明るくおどけてみせた。口を尖らせる日向が面白くて、マークスは泣きながら吹き出してしまう。
「だ、だって、和真さんだって思ったら何か安心しちゃって、そしたら色々ばーって出てきちゃって……宮葉小路さんとか神林さんの前だったし、照れちゃったと言うか、その……分かんないかな、もう!」
 眦に浮かぶ涙を拭いながら、マークスの顔が綻ぶ。

 ゆったりと、残された時間が流れていく。この時間は日向の寿命だ。落ちていく砂を止めることは、日向にも、もちろんマークスにも出来ない。
「これから先、俺はどうなるかは分からない。もうマークスの前に現れることもないかもしれない。でも——」
「和真さんは、ここにいる。そうだよね?」
 そう、きっと、それが分かれば良かったのだ。日向に恋し、日向に焦がれ、日向を欲するのは、まだまだこれからなのだから。
 ふわり、と、マークスの身体が包まれる。日向の腕の中で、マークスは幸せそうに目を閉じた。

 重い暗闇の中で、ライカは目を開いた。何度も何度も瞼の裏に、豹変した征二の姿が浮かんで消える。
 ——征二、大丈夫かな。
 征二の体を奪ったのは、彼によく似ているという日向だった。何のことはない、征二と日向は同じ体を共有する別人格だったということだ。
 征二は戻ってくるのか、征二はどうなったのか、征二は——大丈夫か。
 思考は同じ所で止まっている。もしも征二がこのまま戻らなかったら……私は、征二と同じ顔の日向と戦えるのか。
 ライカはベッドの上で、ぎゅっと身体を丸める。出来るわけがない。あの頼りない笑顔を、不器用な一途さを、この手で永遠に壊してしまうなど、出来るわけが。
 フォーもセブンも、状況がはっきりすれば戦うことに異論はなかった。雅に至っては、はっきりと戦意を持っている。それを押し留め、猶予をもらったのはライカだ。
 あの時、α区から離れる際、日向が耳元で囁いた言葉が、何度も何度も反響する。
 ——明日の朝、お前一人で征二を引き取りに来い。
 真意が掴めない。日向に、あのまま征二の体を奪う意思はないということだろうか。
 いや、そんなことはあるまい。B.O.P.に、しかも一人で来いと言うのだ。これが罠でなくて何なのだろうか。
 ああ、だが悔しいことに、ライカには他に選択肢はないのだ。征二の命運は日向に握られている。首縄を掛けられた以上、縊られようとも従わざるを得ない。
「白……あんたの気持ち、ちょっと分かったよ」
 大切な人を奪われる痛みに、ライカの顔が歪む。そうだ、これは最初からそういう話だった。マークスとライカの、大切な人を奪い合う戦い。
 征二はずっと、見えない日向の影と戦っていた。苦しみ傷付く征二を支えるライカは、ある意味で傍観者のはずだった。まったくお笑いだ、自分こそが当事者だったとは。
 きっと、征二はこれから日向と戦わなくてはならない。彼が意識する相手が、マークスから日向へと変わる。なら私は、私こそがマークスと戦おう。傍観者ではなく、当事者として、大切な人を奪い合う戦いをマークスと繰り広げよう。
 これは、私たちの戦いだ。
 ライカが身体を起こす。前髪がぱさりと、闇に光る瞳に落ちる。爛としたその色に、いつの間にか迷いは消えていた。
 そうだ、罠だったら何だと言うんだ。征二が待ってる。私が行かないで、誰が彼を助けられると言うんだ。私は行く。行って、どんな障害も打ち壊し、踏み潰し、塵芥の中をまさぐって、飲み込まれた征二を引き上げる。白が阻むなら張っ倒す、黒が拒むなら何度だって呼ばわる。征二が目を覚ますまで、私に気付いてくれるまで、何度でも、何度でも。
 征二、私は……覚悟を決めたよ。
 コンプレッサーの小さな音だけが部屋に響いている。水槽の中の小さな魚たちに酸素を送る、彼らの命を繋ぐ気泡。次々と生まれては浮かび上がり、そして弾けるあぶく。
 自分たちは水槽の中の魚だ。誰かに生かされ、そうあるべく整えられ、行儀良く泳ぐことを求められたペットだ。どれだけ外を望んでも、出てしまえば生きられない。
 征二の水槽は壊れた。焼けた大地で水を求め喘いでいるなら、するべきことは、いや、したいことはひとつだ。
 ——待っていて、征二。
 ライカ=マリンフレアは一人、ただ朝を待つ。

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