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BLACK=OUT 2nd

第八章第一話:自由

 墨に沈んだような闇の中で、少女は膝を抱えてうずくまっていた。身動ぎひとつしない様はさながら西洋人形で、ブラインドの隙間から射し込む月光だけが、停滞した泥の中に金色の髪を浮かび上がらせている。
 どうしてこうなったのか。少女は幾度となく繰り返してきた問いを、また再び己に投げる。
 見付け出せたら終わるはずだった。そうしたらまた、あの日に戻れるはずだったのに。
 ようやく探し出した宝物には、知らない人の名前が書かれていた。予想外だったが、それでも手掛かりは掴めたのだ。手繰る導線が残されているなら、あとはこれを手繰ればいい。そうすればきっと、取り戻すことが出来る。
 必死だった。必死でその影を追った。立ち塞がるものは全て破り、微かにちらつく灯火に手を伸ばし続けて、それでも――。

 なぜいつも、いなくなってしまうのだろう。

 窓から射す光が浅くなり、腕に隠れた碧眼を照らす。虚ろなそれはどこか鬼気迫り、少女の根幹を外へと漏らしていた。
 ――そうだ、壊してしまおう。
 和真さんを囲う檻を。縛る鎖を。障る枷を。
 そうすればきっと和真さんは戻ってきてくれる。前みたい戻れる。

 マークス=アーツサルトは闇の中で、ぎゅっと自身の身体を抱き締めた。

「あの、これは……?」
 一歩踏み込んだ部屋を見て、征二は絶句した。水島から言われて来たのは、ノースヘル社内にある会議室のうちのひとつだ。何やら手続きがあるからと聞いていた征二は、一歩下がって室外のプレートを確かめる。――間違ってはいない。
 会議室は十人くらい収容できそうな広さで、その正面に、派手に色付けされた横断幕が掛かっていた。他に、いくつものカラフルなオーナメントやテープが壁を覆い、普段は殺風景であろう室内をこれでもかと賑やかしている。中央の大きな長デスクもデコレーションの犠牲になっており、机上にはクラッカーやサンドイッチなどの軽食とドリンクが用意されていた。そしてその周りに、デスクを囲み見知った四人がこちらを見て立っている。
「っはは、間違ってないぜ。おら、さっさと入って来い」
 その中の一人、フォーがおかしそうに笑いながら征二を招き入れた。未だ事態の飲み込めない征二は狐につままれたような心持ちで、おずおずとドアを閉める。これは一体、何の手続きなのだろう。
「青、いや、征二、お前の歓迎会だよ。これからは仲間だ。仲良くやろうぜ」
 フォーがグラスを持ち上げて笑い、そのまま中身を飲み干した。すかさず隣のライカがフォーの頭を叩く。
「乾杯まで待ちなさいよ。――あ、その、良かったよ、征二がノースヘルに来てくれて。征二と敵対するなんて、嫌だったから……」
 顔を赤らめるライカの横で痛む頭を押さえながら「へいへい、お熱いこって」とぼやいたフォーがもう一発貰う。すごく楽しそうだ。
「ライカから話は聞いた。あの時俺たちを助けてくれたのはお前らしいな。礼を言う。お前の機転がなければ、俺たちは殺されていたかもしれない」
 その二人とデスクを挟んだ向こう側に立つ長身の男、セブンが無表情のままで頭を下げた。
「いや、そんな、僕は……」
 容姿端麗な青年に畏まられて、征二は慌てて両手を振った。何だか、自分が場違いな気すらしてくる。
「まあそう謙遜するな、征二よ。妾もお主のお陰で助かった。ライカが先に唾を付けていたのでなければ、妾がお主を貰い受けるところじゃ」
「ちょっと、雅ちゃん! 征二は私の――」
「彼氏か? ほれほれどうなんじゃ言うてみろ」
「だから、その……」
 言葉に窮するライカ。そしてそれを面白そうにからかう雅たちを見て、征二は思う。
 ここは違う。B.O.P.とは、B.O.P.みたいな所とは。
 ――やっぱり、ここが自分のいるべき場所なんだ。
 そう思うと征二は何だか嬉しくなってしまい、自然に顔が綻ぶ。自分を抑え付けていた重石が、少しずつ消えていくのを感じた。思えば、初めて会った時から、彼らに親しみを感じていたような気すらしてくる。中でもライカには特に、強く惹かれた。自分を自分として見てくれる、誰かの代替品ではなく、征二自身と向き合ってくれる。ただそれだけのことが、こんなにも貴重で、そして自分が渇望するものだったなんて。
 そして、今、自分はその場所にいるのだ。
「ありがとう。それから、よろしく。みんなと仲良く出来たら、いいな」
 口にしてみると何だかひどく気恥ずかしく、征二は俯きたくなるのを懸命に堪え、顔を上げ続けた。
「うむ、是非とも仲良くしよう。妾はお主を気に入ったぞ」
「お前は我らの恩人だ。こちらこそよろしく頼む」
「うはっ、照れてやがる! そう緊張すんなよ、これからはここがお前の家で、俺らが家族だ。水くせえこと言うんじゃねぇぞ」
「ようこそ、ノースヘルへ。いらっしゃい征二。それと――おかえりなさい」
 ただいま。それは、口から出て来なかった。代わりに征二は、何度も頷く。視界がぼやけ始めていた。

 歓迎会を終え、征二は広い廊下をフォーと二人で歩いていた。B.O.P.の廊下は監獄のように感じたが、ここはそんなことはなく、開口部を大きく取った窓と十分な照明のお陰で、広さ以上の開放感がある。すれ違う、恐らくは他の社員の表情も明るく、数も多い。
「珍しいか?」
 キョロキョロと辺りを見回す征二を面白そうにフォーがからかう。
「やっぱり、B.O.P.とは全然違うね」
「お前から聞いた話からするに、そうだろうなぁ。俺はんなトコごめんだね、鬱陶しい」
 そうだよねと征二は苦笑する。フォーは不良っぽい外見の通りに大雑把な性格で、まずB.O.P.のカラーではないだろう。
「こっちは福利厚生しっかりしてるからな。給料もいいぜ。生活に必要な物は、申請すれば大体支給されるし」
 一般企業の強みだ、とは、ここにいないライカの弁だ。B.O.P.は研究機関なので、その収入は政府からの助成金に依存する。要するに、いつも金欠だ。
「至れり尽くせりだね。でも、いきなりそんなこと言われても、どうすればいいか分からないや」
 征二が頭を掻くと、フォーは高く笑った。
「そんな難しく考えることじゃねーって。興味あるもんに手ぇ出せばいいんだよ。例えば俺は、自室にシアターシステムを入れてる。でっけぇスクリーンにド迫力の音響だぁ! もともと部屋の壁は防音がしっかりしてるから、隣のセブンに文句を言われたこともねぇぞ。あれが部屋で楽しめるのは、ちょっとした贅沢だぜ」
 フォーが大袈裟な身振り手振りで熱弁する。どうやら彼は、とても映画が好きらしい。
「他には、そうだな。ライカは魚を飼ってるぞ。熱帯魚なのかどうかは知らねぇが、派手なやつから地味なやつまで、いくつも持ってる水槽で泳いでる。それを眺めるのが好きなんだと。あいつの部屋は水槽だらけだ。行く機会もあるだろうから、見せてもらうといいんじゃね」
 魚か。そういえばライカから、ちらりと聞いたことがある。この目で見ることは叶わないだろうと思っていた彼女の生活に、触れることになるなんて、思ってもいなかった。
 征二たちはノースヘルのMFTの寮となっている棟を歩いていく。長い廊下の片側には、同じ形の白い扉がずらりと並んでいる。扉は、恐らくその部屋の主によって好きなプレートが掛けられていて、それぞれの個性を主張していた。
「君たちは……いや、僕たちは、軍人なんだよね?」
 それにしては、思っていた以上に自由だ。B.O.P.では、自室のプレートは支給された規格品のみ掲示が許されていた。
「自由に見えるか? ま、実際好き勝手やらせてもらってるよ。でもそれは片っぽだ。俺たちはここでしか生きられない。生まれてくる場所を選べる奴はいねぇが、俺たちは死ぬ場所だって選ぶ権利はない。死ねと命令されれば死ぬ。その制約と引き換えの自由だ。言ってみりゃ、俺たちは水槽の中の魚だな。どんな風に過ごしたってあいつらは文句を言われねぇが、水槽から出たら死ぬ。生きるか死ぬかは、飼い主の匙加減ひとつだ。俺はそれも含めて気に入ってるからいいけどよ」
 重たい内容に反して、フォーの口調はあくまで軽い。何と返したらいいのかと戸惑う征二を、横目のフォーが意味ありげに笑う。
「そう言えば、ライカが言ってたぜ。お前は魚に似てるってよ。あ、顔じゃねぇぞ。優男だが魚顔じゃねぇもんな。――ま、だからお前も案外、ノースヘルに向いてんじゃねぇの? 俺は前々からそう思ってるけど」
 おっと着いたぞ、とフォーがそこで足を止めた。俺の部屋だと示された扉には、原色でトゲトゲしい形の、そしてパンクな装飾がジャラジャラ付いたプレートがビタっと張り付いている。そこには「4666」と殴り書きされていた。かなりファンキーだ。
「隣がお前の部屋な。何かあったら遠慮なく言えよ。で、その向こう、俺じゃない方の隣がライカだ。嬉しいか? 嬉しいだろ。ちなみに寮規約で夜這いは禁止されてない。自由だ。どうだ素晴らしいだろノースヘル。いやーあの乱暴暴れ馬がどんな反応を見せるのか今から楽しみだぜ」
「ちょ、ちょっと、ライカが聞いたら怒るよ」
 征二が慌ててフォーの口を抑えようとしたとき、ライカの部屋の扉が大きな音を立てて開いた。そのままの姿勢で固まる二人。今度こそフォーは死んだかもしれない。
「ほら……言ったじゃないか……」
「い、いや、待て、防音は完璧だって言ったろ? 聞かれてる訳が……」
「征二、フォー」
 ライカに呼ばれ、二人の背筋がビシッと伸びた。
「ちょうどいいところに来たわ。出撃よ。すぐに準備して」
 見れば、ライカは白いユニフォームを身に付けている。
「何かあったの?」
「分からない。でも観測から、白が単独で動いていると報告があったの」
「また白かよ」
 フォーは嫌そうに頭を掻いた。マークスには何度も痛い目に遭わされている。
「マークスの目的は?」
「不明よ。でもある程度想像はつくわね」
 どういうことか。尋ねる征二に、ライカは一瞬の逡巡の後、口を開く。
「白が現れた場所はα区境界付近。まだ住居が一部残っているエリアよ」
 征二は目を見開いた。そこには、水島と住んでいたアパートがある。

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