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BLACK=OUT 2nd

第五章第一話:小さな灯火

 目の前を、沢山の人が行き過ぎる。誰もが皆楽しそうに、目を輝かせて。家族連れ、恋人同士、学生たちのグループ。誰もが誰かと繋がっていて、そこに刻んだ歴史を持っている。当たり前の話だ。人は決して一人では生きていけない。自分一人が今まで生きるために、どれだけの人の手を借りただろう。そして自分もまた、意識するか否かにかかわらず、誰かに手を貸している。人と繋がり、新たな時間を刻んでいく。人が生きていくというのは、そういうことだ。
 だから、自分を形作っているのは人との繋がりであると征二は思う。最近は特に、そんな考えが頭をよぎることが多くなった。
 B.O.P.に来るまでは、そんなことは考えたこともなかったと思う。征二にとっての世界はあの狭いアパートの部屋だけで、水島と暮らせる、それだけで十分なものだった。それが、B.O.P.に来て変わった。
 彼らの目に映る自分は水島征二ではなく、会ったこともない日向和真という人間。B.O.P.にいるのは、彼らにとっては「日向和真」なのだ。
 そんな現状を変えようと、δ区の戦闘では全力を尽くした。日向にはないはずの能力で、征二しか持ち得ない力で、チームの一員として奮闘したはずだった。なのに。
 征二はため息をついて、二度三度、頭を振った。やめよう、今くらいは暗い顔をしないでいよう。
 β区は相変わらず人が多い。露店街の端に設けられた休憩スペースのベンチに腰を掛け、途切れることのない人の往来を目で追う。その中に、見知った顔を見付けた。
「お待たせ。ごめんね、遅くなって」
 笑顔で手を振る彼女に、征二もまた笑って手を振り返す。ライカ=マリンフレア――征二はあの日から度々、この少女と会っていた。

「今日はどこに行こうか。征二はどうせ、どこでもいいんでしょ?」
 二人で並んで、露店街を歩く。ライカはいつも楽しそうだ。そんな彼女を見ていると、征二も自然と心が軽くなる気がする。
「ひどいなぁ。……まあ、そうなんだけどさ。僕は君と会えて話が出来れば、それだけでいいから」
「よくそんな恥ずかしい台詞が言えるよね」
 ライカが少し顔を赤らめて口を尖らせる。その仕草が微笑ましくて、征二は知らず口元が綻んだ。
「そういえば、MFTの人たちとは上手くいってるの?」
 ライカが何の気なしに言った一言で、征二の表情は一気に暗くなった。
「……上手く、いってないの?」
 答えない征二の様子に察したのか、ライカが遠慮がちに訊く。
「ダメだった……かな。やっぱりあの人たちにとって、僕は僕じゃないみたい」
 自嘲気味に笑う。暗い話はしないつもりだった。だが駄目だ。一度零れた本音は堰を切ったように溢れ出して、止めることなど出来なかった。
 頑張ったと思う。やれることは全部やったと思う。だけど、それでもダメだったんだ。僕はどうすれば良かったんだろう。僕が日向に似ているから、ただそれだけの理由で、僕が僕じゃなくなる。あの人たちの中で、僕は日向と重ねられる、比べられる。どうしたって僕は日向になれないのに。僕は日向と違うのに。
 吐露する内面を、ライカは黙って聞いていた。いつの間にか、周囲に人がいなくなっている。露店街を抜けていた。
「……私にとって、征二は征二だよ」
 立ち止まり、そっとライカが呟いた。
「B.O.P.の人たちが君と日向って人を比べたとしても、私にとって征二は征二だから。それだけは、忘れないでね」
 ライカは日向と面識がない。彼らと違うのはそれだけだ。もしライカが日向を知っていたなら、彼らと同じように征二と日向を同一視していたかもしれない。征二にもそれくらいは分かる。
 けれども、今の征二にはライカしかいないのだ。自分を否定し、既に死んだ者と事あるごとに比べるような人たちを、どうして仲間と思うことが出来るだろうか。
「どうしても無理ならさ、辞めればいいよ。無理してそんな人たちに付き合う必要はないって」
「わかってる。でも――」
 自分が、何も持たない自分が、ようやく水島に恩を返せる機会なのだ。ここで辞めたら、きっと水島をがっかりさせる。辞めるのならせめて水島に恩を返してからだ。それまでは辞めるわけにもいかない。
「……そっか」
 水島の話を聞いて、ライカが小さくため息を漏らした。
「でも、気持ちはちょっと分かるかも。私も両親がいないけど、育ててくれた人がいて、その人の役に立ちたいっていう気持ちは、やっぱりあるから」
 両親がいない――征二は頭の中でその言葉を反芻する。ライカの、真っ直ぐに前を見つめるその横顔は、思わず見とれるほど綺麗で。
「だからね、征二が、それが大事だって思えるなら、大事にしたらいいと思う。だけど、もしもっと大事な何かが見つかって、そのためにB.O.P.を辞めなくちゃならなくなったら、その時はきっと私を頼ってね。絶対に、征二の力になるから」
「……どうして――」
 ライカを心の支えとして必要としているのは征二の方だ。ライカはそれに付き合っているだけに過ぎない。なのになぜ、こんなに良くしてくれるのか。
「征二にはここで……β区で助けてもらったし、それに――」
 ライカが征二に向き直り、小さく笑う。
「何だか似てる気がするんだ、私たち」
 征二には分からない。ライカは自分よりもずっとしっかりしていて、自信があって、明るくて――およそ自分とは真逆だと思うのに。
 だけど。
 「力になる」、その一言は、思った以上にすとんと胸の中に落ちて、収まった。ライカならきっと助けてくれる、力を貸してくれる。無条件にそれだけは信じられる。そんな気がした。
「じゃあ、僕も約束するよ。ライカが困った時は僕が助ける。ライカにとって一番いい選択をする。絶対だ」
 ライカが笑った。
「約束ね」
 どちらともなく差し出した右の小指を、互いに絡め合う。
「指切り。もし破ったら――」
「破らないよ」
 ライカはこの約束を決して破らない。そう信じている。だから。
「君は絶対に破らない。だから、僕も絶対に破らない」
 この誓いは、きっと確かなものだ。記憶がなくて、積み重ねた時間がなくて、希薄で欺瞞に満ちた人間関係の中にいる自分にとっては唯一の。
 この娘が自分を征二と呼んでくれるなら。たとえこの娘だけでも、自分の気持ちを知っていてくれるなら。まだ戦える、まだ頑張れる。水島征二は水島征二として、B.O.P.の中で存在し続けることが出来る。
 β区、露店街の外れ。喧騒を遠くに聞きながら結ばれた約束。
 それは、小さな灯火だった。

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