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BLACK=OUT 2nd

第六章第五話:瓦礫の下で

 戦況は圧倒的に不利だった。数の有利が、たった一人の少女によって覆される。それはまさに悪夢だった。
「お前が言った『マークスは危ない』ってな、こういうことかよ。確かにやべぇぜ、どうなってんだ、こいつ……」
 フォーの声には、はっきりと畏れの色が含まれていた。無理もない、征二とてマークスがこんな戦い方を持っているとは思っていなかったのだ。
「フォー、頼むよ、手錠を外してくれ! このままじゃライカが、マークスに殺される!」
 征二がどれだけもがいても、手錠は虚しく肌に食い込むだけだった。今、征二を自由に出来るのはフォーしかいない。
「け、けどよ……一応、お前は人質なんだし……」
「ならあんたはライカを助けられるのかよ!」
 フォーは動揺こそしているが、征二を解放しようという素振りは見せなかった。征二はなおも激しく暴れる。
「僕は嫌だ、絶対に嫌だ。死なせない、死なせるもんか。ライカだけは、絶対に――!」

 身体中の痛みで、もう指の一本も動かせない。ライカはただ、死がゆっくりと歩いてくるのを待つしかなかった。一歩ずつ、それは近付いてくる。ライカがもう動けないことは、見通されているようだ。
 マークスが目の前で止まる。顔を上げると、少女は冷たい目でライカを見下ろしていた。
「誤算……だったわ……。征二が、あんたにとっての逆鱗だって……気付かなかった……」
 狂気に見下されながら、それでもライカは笑ってみせた。それは虚勢かもしれない。あるいはこれから先訪れるであろう、己の死という運命への反抗か。どちらでもライカにとっては良かった。ただ、みっともなく足掻いて命乞いをするなんて、したくなかっただけだ。
 だがマークスは、そんなライカを意に介さず、これから殺す対象を静かに睨む。
「あなたが奪ったんですね。あなたが私から、和真さんを奪った。返してもらいます。あなたを殺して。そして私は絶対に、和真さんを取り戻します」
 マークスが言った名に、ライカは怪訝な顔をする。マークスは征二に執心していたわけではないのか。ならこの状況は何だ。何か彼女のトラウマを掘り起こすようなことをして、フラッシュバックでも引き起こしたのだろうか。
 マークスが拳を固める。右手にメンタルフォースが集中していく。回避は無理だ。まともに受けて、防御だけでどうにかなる攻撃ではない。自分は確実に死ぬ。
 ――作戦を、最後まで遂行出来なかった……。
 歯噛みするライカの目の前で、拳がゆっくりと持ち上げられ、そして、

 轟音と共に、振り下ろされる。

「ライカーっ!」
 叫びが聞こえたかと思うと、目の前が影で覆われた。
「征二!?」
 正面から庇うように覆い被さられる。
「――っく!」
 マークスは振り下ろした拳を止めることが出来ない。力尽くで無理やり軌道を変え、床のコンクリートを打ち抜いた。ズン、という地響きとともに、ライカたちの足元に亀裂が走る。揺れながら崩れていく床にマークスは体勢を崩し、耐えられず肘を突いた。直後、足元が大きく崩れ三人は階下へと落ちていく。
「ライカ!」
 瓦礫とともに落ちながら、征二が空中でライカの身体を引き寄せ、強く抱き締めた。
「征……二……」
 ライカが覚えているのはそこまでだ。一秒に満たないその時間の間に、ライカは気を失った。

「う……っ」
 自分の呻きで、ライカは気が付いた。目の前が暗い。自分は、死んでしまったのだろうか。
 身体に重みを感じる。崩落した瓦礫に埋もれてしまったのだろうか。ならば、自分は生きているのかもしれない。
 そう意識すると、途端に身体中の痛みが戻ってきた。今度ははっきりと、痛みで呻き声を上げる。少しずつ、意識が現実に追い付いてきた。ああ、暗いはずだ、私は目を閉じている。
 現状がどうなっているかは分からない。もしかしたら、手足の一本でも潰れているかもしれない。それどころか、腹から鉄筋が生えているかもしれなかった。あまり見たいものでもないが、現状を把握するのは大事だ。
 呼吸を整え、幾ばくかの勇気をもって、ライカはそっと瞼を開けた。
「――っ!?」
 目の前、鼻先数ミリのところに征二の顔がある。彼はライカを庇うように重なっていた。感じた重みは、征二の体重だったようだ。
「せ、征二、征二!」
 驚き息を飲んだライカだったが、すぐにそれどころではないことに気が付いた。僅かに光が差し込んで来るだけの隙間はあるものの、自分たちは完全に瓦礫の下敷きになってしまっている。恐れていた、自分の身体がどこか潰されている、という事態にはなっていないようだが、身体を動かそうにも征二の下では自由に動けない。目の前の征二は意識を失っているようで、胸に感じる彼の呼吸から、死んでいないことが分かる程度だ。征二の方こそ、どこか大怪我をしているかもしれない。
「――ったた……ライカ、だいじょうぶ?」
 征二が薄っすらと目を開けた。この状況の割に呑気な口調だが、ライカはそんなことに頓着していられない。
「私は大丈夫。でも、征二は? どこか怪我を……ごめんなさい、私を……」
 私を庇ったばっかりに、と最後まで続けられなかった。自分でも分かるほど、涙声になっていることに気付いたからだ。
「怪我なんてしてないよ、安心して。それより、ライカが無事で良かったよ」
 征二がいつものように笑う。その様子に、少しだけ緊張が緩んだ。そうすると今度は、別のことが気になってしまう。
「あ、あの、征二? ちょっとだけ、動けないかな。その……近すぎるっていうか……」
 今までこんなに近くで征二の顔を見たことはなかった――いや、一度だけあったか。
 β区で初めて征二と接触した時、彼は母体の攻撃からライカを守ってくれた。その時もこんな風に――。
 そこまで考えて、ライカは気が付いた。
「ご、ごめん。でも動けないんだ。下手に動いたらこれ、崩れちゃうかもしれないからさ」
 二人が無事なのは偶然ではない。征二がシールドを張って、瓦礫を防いでくれたのだ。瓦礫が安定するまでシールドがもったのは幸運と言うより他ないだろうが、征二がいなければ間違いなく、ライカは潰されていただろう。
「……ねえ、征二。どうして征二は私を助けてくれたの? 私は……私は君を騙してた。君に酷いことをしたのに、どうして?」
 征二は一瞬きょとんと目を丸くした後、恥ずかしそうに、そして少し寂しそうに笑った。
「だって、それはライカの仕事だったんでしょ。僕は確かにB.O.P.だけど、僕にとってライカはライカだし、代わりなんていないから。ねえ、ライカ……僕の名前、呼んで」
「えっ……? 征二……水島、征二」
 うん、と頷いて、征二は微かに嬉しそうな顔をした。
「僕には記憶がない。少ない僕の知り合いで、僕を征二って呼んでくれるのは……征二として接してくれるのは、ライカだけだから」
 思い出した。あの時マークスが言った名、あれは以前征二から聞いたことがある。彼女のかつての恋人。今は行方不明の、征二と瓜二つだと言う男。
 日向和真。
「だから、お願いがあるんだ、ライカ。もし……もし、ライカさえ良ければ、また僕と会ってくれないかな」
 ライカの胸の上で、征二が小さく、そう言った。

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