BLACK=OUT 2nd
第十二章第五話:離別
予告のない攻撃。並のメンタルフォーサーなら反応出来ない雷撃。しかし、近衛は完璧に反応してみせる。
「ばきゅーむっ」
ぱちりとウインクしてみせる近衛は、余裕の態度だ。彼女の前で空気が渦を巻き、そして征二の雷撃が、そこに吸い込まれていく。
「真空状態を作ったのか……!」
考えていたよりもずっと器用な近衛に、征二は思わず歯噛みする。
渦の中心は、まるで雷撃を導くように、壁側へと移動を始めた。だが、ここで終わらせるわけにはいかない。
「貫け、氷撃!」
ノースヘル式の、一言詠唱。即座に生まれた氷の槍が、近衛目掛けて放たれる。元より一撃で決められるとは思っていない。そのための余力は残しておいた。さっきの雷撃には遠く及ばないが、使える精神力の全てを突っ込んで吐き出した氷塊である。風を自由に操れる近衛でも、運動エネルギーを止めることは困難だ。ましてや雷撃を誘導している今、そちらに集中しなければならないはずである。
「はっ! そんなもので、その程度で、妾を止められると思うてか!」
近衛は動じない。それどころか、高らかに笑い飛ばす。
「妾の前で、爆ぜよ。ばーん」
右手で雷撃を誘導しながら、近衛は左手をぎゅっと結ぶ。すると、彼女の目の前が瞬時に爆散した。——ちょうどそこまで到達していた、征二の氷塊と共に。
氷塊が千々に砕け、一部は瞬時に蒸発し、辺りに蒸気が立ち込める。爆発で生まれた気流が、それを立ち尽くす征二の元にも運び、視界を白いカーテンで覆った。
——そうか、届かなかったか……。
もう征二には、精神力はほとんど残っていない。撃ったところで、さっきと同じどころか、近衛のところまで届くかどうかすら怪しい。そもそも近衛は、征二が次を撃つまで待ってくれないだろう。もしかしたら、もう既に撃ったのかも知れない。
だとしても、もうレジストするだけの精神力すら、残ってないのだが。
——勝負は、着いたね。
目隠しの霧の中で、征二は深く、息を吐く。
「もう手詰まりじゃろ? 次は接近戦でもしてみるかや? お主が望むように踊ってやろう」
征二からの返事はない。万策尽き心も折れたのか。心が折れれば牙も折れる。後はただ、嬲り殺すだけだ。
近衛は扇子を一払いし、霧のカーテンを散らす。そこには武器を失い項垂れる、哀れな征二がいる——はずだった。
「……どういう、ことじゃ」
呆然とする近衛を、後ろからふわりと抱きかかえる腕がある。耳元で、征二のささやき声がした。
「ごめんね」
リリース、という声と同時に、どすんという衝撃が近衛の胸を叩く。視線を下ろすと、胸から何かが生えていた。その先は鋭利に尖り、紅く、温かくぬめっている。
すぐにその槍は砕けて消えた。きらきらと光る粒子が散り、やや遅れて鮮血が、穿たれた穴から噴き出す。
目の前が暗くなっていく。脚に力が入らないが、倒れたりはしていない。ふわふわと、浮いているみたいだ。自分で自分のコントロールが出来ない。五感を失ったのか。
ああ、これは確かに致命傷だ。二度と立ち上がることの出来ない疵だ。それだけが今、たったひとつの確かなことだ。
——そうか、妾は、死ぬのか。
不思議と怖くはない。覚悟が決まっていたのか、それとも、もう既に遠のきつつある、この意識のように、そんな感情すら薄れているのか。
——あやつは、自分を責めるかの。
少しずつ消えていく意識の底に残ったのは、自分の運命についてではなかった。たった一人、最後まで自分の前では笑ってくれなかった男だ。
彼は今、近衛の顔を覗き込んで、何かを必死に叫んでいる。その声も、もう近衛には聞こえていなかった。
——そんな顔するな。調子が狂うわ。
お主のせいではない、そう言いたくても、口を開くことすら出来なかった。せめて最期に、いつもの意地悪を言いたかった。「なんじゃ、女を抱いても平気なくらい、女嫌いは治ったのか?」と、笑いながら。
ままならぬなら、仕方ない。近衛は唯一、最後まで残された自由を——ぼやけた視界で、その男を見つめる。
——セブン、
——最期に見た顔が、お主で良かった……。
◇
征二の手からひったくるように近衛の身体を奪ったセブンは、必死で呼び掛けた。
「近衛、近衛! しっかりしろ、意識を保て! 駄目だ、死ぬな! フォー、はやく近衛に回復を!」
しかしフォーは、黙って首を横に振った。
「その傷じゃ……もう、助かんねえよ……」
フォーの答えに、セブンの顔が絶望に塗り替えられていく。
「嘘だ……嘘だ嘘だ! 近衛、俺は、俺が守ると言った! 俺を嘘つきにするな! 近衛、頼む、死ぬな、死なないでくれ……」
声の最後は嗚咽に変わっていった。感情を見せたことのないセブンの、見たことのない姿に、誰ひとり動けず、ただ見守るしかない。
「守るって……言ったのに……」
血で汚れるのも構わず、セブンは近衛の小さな身体を抱きしめる。
ふと、近衛の唇が動いたような気がした。セブンははっとし、泣き腫らした顔で近衛を見つめる。近衛の顔は青く、目の焦点も合っていない。それでも。
それでも近衛は、最期に、笑って見せた。
「行こう」
征二が階段を上り始めた。セブンは近衛の亡骸を抱いたまま動かない。
「でも……征二……」
ライカの声は弱々しい。迷っているのだ。近衛の死はライカにとっても少なからずショックで、近衛を殺したのが、他でもない、征二であることも、彼女を打ちのめしている。何のためにここに来たのかを忘れたわけではないが、こんな状態のセブンを放っておくことも、また出来なかった。
「……行かせると、思うか?」
セブンが、地を這うように低い声で呻いた。
「このまま、お前を……行かせるわけ、ないだろうが」
「水島君、行くんだ。ここは僕たちで抑える。マークス、君は水島君と行ってくれ」
宮葉小路の指示にマークスは肯き、二挺の銃でそれぞれセブンとフォーを捉えながら、ゆっくりと征二の元に歩み寄る。
「ライカは、どうすんの? ここであたしたちと待ってる?」
「私……は……」
ライカが視線を泳がせる。セブンは近衛の亡骸を抱いたまま動かない。きっとセブンは、宮葉小路たちを倒してまで、征二を追おうとはしないだろう。そんな気力は、もうない。
ライカだって同じだ。全身から力が抜けていくのを感じる。考えようとしても頭の中はいつまでも空っぽで、何一つ湧き出してこない。
征二が、近衛を、殺した。
ライカは選べないまま立ち尽くす。立ち尽くすライカを置いて、征二は行ってしまう。
一歩ずつ二人の距離は遠くなり、やがて廊下の奥に征二は消えた。