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BLACK=OUT 2nd

エピローグ:二番目の青

 征二がいなくなって一ヶ月。未曾有の混乱は人々の主人格が戻ったことにより終息した。事件は水島が独断で起こしたものであり、ノースヘルは無関係であると主張、その言い分は通っている。公式にはノースヘルにはお咎めなし、直接荷担したフォーとセブンがどうなったのかまでは、既に情報の入手先を失ったB.O.P.には知る由もない。
 少なくとも表面的にはノースヘルは大人しくなり、B.O.P.はまた、平和な日常業務に戻っている。もちろん出動はあるが、自然発生のマインドブレイカーや母体によるものだけで、それも大規模な災害に発展する前に抑えられている。B.O.P.は、暫しの休息に入ったと言えた。
「あっ、和真さん。おはよう」
 朝食を摂るために食堂に現れた日向をいち早く見付け、マークスが立ち上がって手招きする。この一ヶ月、ずっと続いてきたいつもの光景だ。
「……お前、いつも俺より先に食堂に来てるけど、何時に起きてるんだ?」
 日向は眠そうな、というよりも不機嫌そうな半目で、マークスの隣に座る。だがマークスはニコニコと上機嫌顔だ。
「えっとね、和真さんが来る一時間くらい前だよ。こうやって待つ時間も楽しいの」
 以前のマークスは、待つことは嫌いだったはずだ。待っていて来ないことが怖かった。二度と会えないかも知れないという思いが拭いきれなかった。だが。
「和真さんは絶対に来てくれるから。だからもう怖くないよ」
 マークスは、トラウマを乗り越えた。待つことしか出来ない無力感ではなく、闇雲に走るのでもなく、信じて待つ強さを手に入れたのだ。
「……相変わらず早起きなんだな……ふああ」
「神林さんはもっとすごいよ。朝稽古もしてるんだからね」
「おっ、なになに? あたしの話?」
 並んで座る二人の間から、神林がひょっこりと顔を出した。
「あっ、神林さん。宮葉小路さんは起きました?」
「ふふふ、叩き起こしてきたよお。半分以上まだ寝てるけど!」
 マークスが首を回すと、神林の後ろで「うむ、うむ」と起きているのやら寝ているのやら分からない様子の宮葉小路が、左右に揺れながら寝言を繰り返していた。
「おはようございます、宮葉小路さん」
 一方の日向は挨拶どころか、二人を無視してさっさと食事を始めた。これもいつものことである。

「で、どうなんだ、お前の方は」
 そう宮葉小路が切り出したのは、大方食事も片付いて、皆がゆったりと休んでいた時のことである。さすがの宮葉小路ももう目が覚めており、口調はいつも通りにしゃきっとしている。
「どうって何だよ」
「水島を失ったということは、もうお前のブラックアウトを受容する人格はないってことだろ? このままじゃ結局、お前の人格はどんどん細かく分かれていって、いずれ狂い死ぬぞ。何か対策しないとまずいんじゃないか」
 宮葉小路の言う通り、日向個人の状況だけを見れば、二年前に戻ったに過ぎない。日向が置かれた危機的状況はそのままで、日向もまた、いずれ死を迎えるであろうことは容易に想像できる。
 しかし日向は「そうだなあ」と他人事のように適当に答えるだけで、およそ危機感というものが感じられない。有効な、そして明確な対策も挙げられないまま一ヶ月が過ぎてしまった。
「それよりライカだ。あいつ未だに部屋から出てこねぇんだろ?」
 そして、どうやらそれは今日も変わらないようだ。話はB.O.P.が保護している客人、ライカ=マリンフレアに移ってしまった。
「メイフェルさんの話では、食事はちゃんと全部食べてるみたいなので……自殺とか、そういうのは心配しなくていいと思うんですが……。部屋で一人で食べてますし、部屋から一歩も外に出ようとしないみたいで」
 マークスの沈痛な面持ちは、ライカに対する心配を如実に物語っている。殊更彼女には、ライカの気持ちが痛いほど理解できた。
「部屋にはトイレもお風呂もあるもんねえ。でも一人で塞ぎ込んでても何も解決しないのに」
「そう言うな命。部屋の外に出れば否応なく和真の顔を見るだろう。それは今の彼女にとって……辛いだけだ」
 ライカの存在はB.O.P.にとって、日向の次に大きな問題だった。何しろ彼女にはもう帰る場所がない。さりとて征二のいた——征二のもういないB.O.P.への入隊を提案など出来るはずもなく、一時的に保護するという建前のもとで無理矢理ライカを手元に置いていた。
 ——そう、今や彼女は、ある程度とはいえB.O.P.の内情を知ってしまっている。もしもノースヘルがライカを取り戻せば、それはB.O.P.にとって致命傷になりかねない。この判断を下したのは隊長の宮葉小路だが、もちろんそんな戦略上の理由がなかったとしても、人道的に彼女を放り出すことなど出来なかっただろう。征二を支えたのがライカであることは明らかだからだ。
「少し……もう少し、時間が必要だと思います。いずれにせよ、どこかで踏ん切りを付けないといけないことは、ライカさん自身が分かっているはずですから」
 マークスの言う通り、彼らはただ見守ることしか出来ない。それは、歯痒いのだ。
「……ま、あと一週間ってところだ。その頃にはあいつも、どうするかの答えを出すさ」
「一週間って……和真さん、どうしてそんなことが言えるの? 今のライカさんの様子じゃ、とても一週間で立ち直るなんて出来ないよ」
「俺が話を付ける」
「和真さんはダメ! 水島さんを思い出して余計辛い思いを——」
「まあ待て、二人とも」
 何かに気付いた宮葉小路が、二人を手で制する。彼の視線の先、食堂の入り口を目で追うと、
「ライカ……さん……」
 そこには、ライカ=マリンフレアが立っていた。

「私、ここを出る」
 ライカの宣言は半ば予想通りで、四人はそれぞれに小さくため息をついた。
「ここを出るって、一体どこに行くんですか?」
 だが、ライカはマークスの質問には答えない。目を合わせることも避けていた。
「……ここの人たちには……感謝してる。こんなに世話になるつもりはなかったんだけど、行く当てもないし、どうしたらいいのかも、分からなかったから。だけどここは……ここにいるのは、やっぱり辛い。辛いんだ。特に……あんたの顔は、見たくない」
 ライカは横目で、ちらりと日向を見て、すぐに目を伏せる。
「ここにいたら、どうしてもあんたと顔を合わせることになるでしょ? そしたらきっと、私はあんたを許せなくなる。征二は……もういないのに、あんたがまだ生きていることが、あんただけが生き残っていることが。……白、あんたの気持ち、ようやく分かったよ。これは辛い、耐えられない。私は、あんたみたいに強くないんだ。……だから、ここを出て行く。日向を恨むことを、征二が望んでいるとは思えないから」
「行く当てないんじゃない? ほら、和真と顔を合わせるのが嫌ならさ、別棟で部屋を用意するから。もうちょっと考えなよ。あたしが言うのも何だけど、思い付きで行動しない方がいいって」
 努めて明るい調子で言った神林の提案にも、ライカは黙って首を振る。ライカにとってここは、辛い思い出が多すぎるのかもしれない。
「正直なところ、僕たちは君を手放したくない。君は元ノースヘルの人間だし、僕たちのことを知りすぎている。君がノースヘルに戻ることを、僕たちは到底看過できない」
「それはあんたたちの事情。ノースヘルが裏切り者の私を生かしておくとも思えないけど……でも、そうね。ノースヘルがあんたたちを滅ぼすというのなら、そのために私が必要であるなら、私はきっとノースヘルに協力するわ」
 宮葉小路の顔が見るからに険しくなる。今のライカは明らかに危険因子だ。守るものを失っての自暴自棄か、それとも征二を失った逆恨みか、いずれにせよ当たるのに適当な相手は、もうこの世にいない。B.O.P.への八つ当たりもいいところだが、ブレーキはとっくに壊れている。
 ライカを拘束する選択を取るべきか。こちらは四人いる。抵抗があってもまず勝てるだろう。だが下手に手を出せば、今後二度とライカはB.O.P.に力を貸してはくれなくなる。致し方のない決断が、後にどのような影響を与えるか——想像するのは難しい。
「宮公、そんな眉間にシワ寄せんなよ。ライカが行きてぇってんなら行かせてやりゃいいだろ。どうせ止めたって聞きゃしねぇよ」
 横から口を出した日向に——より正確にはその内容に、宮葉小路は面食らう。
「何を言ってるんだ。僕たちの内情がノースヘルに漏れれば、また二年前のようになるかもしれないんだぞ」
「それに、もしかしたらライカさん、ノースヘルに殺されるかもしれないんだよ?」
 宮葉小路だけでなくマークスも異を唱えるが、日向に気にした様子はない。
「けど、そうだな……あんたが出て行く前に、訊いておきたいことがある」
 日向はゆっくりと席を立ち、まだ食堂の入口で立ったままのライカに近付いていった。気圧されたのか後ずさるライカに構わず、覗き込むように顔を近付ける。
「征二に、会いたいか?」
 ほんの鼻先にあるライカの顔に、かっと朱が差す。困惑と警戒に塗られていた目の色が、怒りに塗り変わる。
「……なに、を……」
 ライカの声は震えていた。耐えるように歯を食いしばり、日向を睨み付ける。
「あんたが言うな、あんたがそれを言うな! 征二に? 会いたいわ、会いたいよ当然でしょう? 私は征二に生きていて欲しかった。たとえ世界が滅んでも征二が生きていてくれればそれで良かったの。でも征二は自分を犠牲にして世界を救った。私の願いは届かなかった!」
「征二は世界を救ったわけじゃねぇ。あいつにとってこの世界は、そうまでして救う価値なんざ、これっぽっちもなかったんだ。征二が救いたかったのは、そして救ったのは、水島柾と……あんただけだ」
 分かってる、でも、と、ライカが俯く。湿った声には悔恨が滲んでいた。
「それでも私にとって、征二は一番だったんだよ……」
 激情を吐き出すライカに、日向を止めようと腰を浮かせたマークスたちが言葉を失って固まる。仲間を、大切な人を失う痛みは、ここにいる誰もが経験していた。だからこそ迂闊に触れられないし、掛けるべき言葉など存在しないことも知っている。
 誰も動けなかった。その答えを持っていなかった。——ただ一人、日向を除いて。
 日向だけは、その答えを知っているかのように、ライカの痛みに触れる。俯き肩を震わせるライカを前に何事かを考え、そして——
「はあ、ったく、しょうがねぇな。まだちゃんと育ちきってねぇんだ、あと一週間は掛かるってとこだったんだぞ。けどお前がそんなんじゃ仕方ねぇ。このまま行かせたら、あいつに何て言われるか分かったもんじゃねぇからな」
 日向はライカの顎をつまみ、無理矢理顔を上げさせた。急のことに目を見開くライカに、日向は顔をぐいっと近付ける。
「征二に会わせてやる」
 え、とライカの声が漏れた。
「だがちょっと不完全でも文句は言うなよ。それとあまり長い時間は取れねぇ。言いたいことがあんならさっさと言え、いいな?」
 ライカの返事を待たず、日向は目を瞑った。そして再び、ゆっくりと目を開けたとき、今度は日向の方が、驚きに目を丸くする。
「……へ? うぇ? ラ、ライカ!? わ、た、た!」
 慌ててライカの顎をつまんでいた手を放し、上体を反らしながら後ずさる。そして当然のように躓き、バランスを崩して後ろへ転びかけた。
「危ない!」
 ライカは咄嗟に手を伸ばし、宙で暴れる手を掴む。渾身の力で引き寄せたお陰か、後ろへ転ぶことは避けられたが、勢い余って日向の体を抱き止める格好になってしまった。
「あ、ありがとう、ライカ。ほんとに和真ったら、僕を呼ぶにしてももうちょっとこう、場を整えてからにしてくれたらいいのに」
 ライカの胸の中でそう愚痴る男は、ライカのよく見知った人のそれで。
「せい……じ……?」
「うん。えっと……ごめんね、せっかくの再会がこんな……格好悪くて」
 照れくさそうに、困ったように。そしてそれをごまかすように笑うのは、紛れもなく。
「征二……征二!」
 胸の中にあるその頭を、ぎゅっと抱き締める。苦しそうな声が胸元から聞こえる気がするが構うものか。征二が——征二が、帰ってきたのだ。
 ああ、ここに、この腕の中に、私の全てがある。
 色とりどりの花が咲き、灰色の風景が暖かさを取り戻す。世界がもう一度、鮮やかに動き出す。
 こんなにも、こんなにも。

 水島征二が、消える前に交わした日向との握手。それが征二が生き残った理由だ。
 日向はその時、征二の精神体の一部を封神の力で封じていた。そしてあれから一ヶ月、日向は自身の深部意識階層下で、日向が持つ征二の記憶を元に征二の人格を再構成し続けていた。
「つまり、今の僕は和真によって再生された人格、ってことになるね。——もう、オリジナルの僕じゃない」
 そうして笑う征二は少し寂しそうで、ライカはきゅっと唇を結んだ。これでもう、征二は本当に「二番目」になってしまった。今までのことを思えば感傷的になるのも仕方ない。
 だけど。
「征二がここにいる。ここに、いてくれる。それだけで、私には十分だよ」
 それが何だというのだろう。何が変わるというのだろう。
 触れられる征二が目の前にいて、変わらない笑顔を向けてくれるのなら。
 それは、そこに、その人がいるということなのだ。

「なるほど、意識階層下に封じた水島をBLACK=OUTにね……」
 感心したように頷く宮葉小路の背中をつつき、相変わらず状況が読めていない神林が不満そうな声を上げる。
「利くん、自分一人で納得してないで、ちゃんと解説して欲しいんだけど」
「ああ、悪い。つまりだな……」
 宮葉小路は毎度のことでいい加減慣れたのか、振り向き肩越しに答えた。
「僕たちのBLACK=OUTは意識階層下に存在する。同じように封神の力で封じた対象は、術者の意識階層下に封じられるんだ。意識階層下にある人格という点では、今の水島とBLACK=OUTに違いはない。だから今なら、水島にBLACK=OUTの役割を受け持ってもらえる。和真にとって水島は、二番目のBLACK=OUTということだな」
「なるほど……? ということは? 和真の人格は?」
「BLACK=OUTがいるんだから、崩壊の心配はない。まったく、それならそうとちゃんと教えて欲しいものだ。いらない心配をしたじゃないか」
 不満げに目を細める宮葉小路に、日向は口でこそ悪かったと言っているが、からかうようなニヤニヤ笑いを見る限り、そう思っていないことは明白だ。
「とにかく、これで丸く収まったということですね」
「ああ、あとは……ライカ、お前がどうするかだ」
 その場にいた全員の視線が、一斉にライカへ集まる。話題の主役に、もう後ろ向きの色は見られない。真っ直ぐに前を見据え、強く、そしてはっきりと。
「考えるまでもないでしょ。ここには征二がいる。私はいつでも、征二のそばにいる」
 それは赤だ。燃えさかる炎だ。火種ある限り尽きることのない情熱の赤。ライカ=マリンフレアはここに——そう、戻ってきた。
 それは、ライカがこの場所を、二番目の故郷と定めた瞬間だ。
「ああ、でも条件がある。一日一回、征二と会わせて」
「えっ、いやちょっと待て。一応俺のBLACK=OUTだ。そんなポンポン出したり引っ込めたりできねぇよ」
「そうですよ。水島さんはともかく、和真さんは私のですからね」
「独り占めとはさもしいわね白。うーん、じゃあ二日に一回でいいわ」
「馬鹿言ってんじゃねぇ、週一が限度だ」
「やった! じゃあ毎週一日、征二貸切ね」
「……やっぱり、あなたは私の敵なんですね……」
「私もあんたが嫌いよ、白」
 宮葉小路も神林も、遠巻きにニヤニヤ眺めるだけで、止める者のいない口喧嘩は延々続く。
 日向の中で征二もまた、同じようにこの不毛で幸せな諍いを聞いている。
 その場に自分がいなくても、今なら迷わず言えるだろう。

 水島征二は、ここにいる。

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