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BLACK=OUT 2nd

第十一章第四話:誰もが、誰かの

 征二が目覚めた時、視界にまず飛び込んできたのは心配そうなマークスの顔だった。彼女はベッドサイドのパイプ椅子に浅く腰掛けていて、征二が目覚めたことに、すぐに気付いたようだ。
「気分は……どうですか?」
 良い訳がない。しかし、今まで見たことのないマークスの表情に戸惑い、征二は開きかけた口を再び閉じた。
 そういえば、吐き気や目眩もだいぶマシになっている。自分の中から聞こえてくる無数の声も、努めれば気にならない程度には抑えられているようだ。
「……ライカは?」
 どうやら、まだ自分の体は大丈夫そうだと感じた征二は、次に気になっていることを訊いてみることにする。仮にも自分は彼らを裏切った男で、ライカは彼らにとって敵だ。酷い扱いを受けているのなら、せめてそれだけでも止めさせたい。
「オペレーションルームで、事情を訊いています。安心してください、あなたを助けてくれた恩人ですよ? 悪いようにはしません、絶対に」
 そうか、と征二は胸を撫で下ろす。マークスが言うのなら、きっと大丈夫だろう。
 思えば不思議なものだ。ここにいた頃の征二にとって、彼らは——特にマークスは、何を考えているか分からない存在だった。だが、記憶を取り戻し、日向を通して彼らを知った後では、無条件に信頼できると、そう思うのだ。今の征二は落ち着いている。彼らや、征二を取り巻く状況が変わったわけではないのに、以前のような居心地の悪さは感じない。
 一方で、なぜかマークスの方が落ち着かない様子で、そわそわと自分の手を弄び、視線は左右に泳いで定まらない。何度も口を開きかけては、その小さな唇をきゅっと結び直すことを繰り返している。
「いいよ」
 征二は苦笑混じりの面持ちで、ベッドに深く体を沈めて言った。マークスの身体が、はっきりと分かるほど硬くなる。
「言いたいことがあるなら、言えば良いよ。僕は、大丈夫だから」
 それでもまだしばらく迷っていたマークスだったが、やがて意を決したように顔を上げると、勢いよく、その頭を下げた。
「ごめんなさいっ」
 てっきり日向のことかと思っていた征二は少し面食らったが、そのままマークスの続きを待った。しばらく頭を下げていたマークスは、征二が何も言わないので、やがて諦めたようにしおしおと語り始める。
「私、ずっと水島さんのことを傷付けていたんですね。和真さんのことばっかりで、ちゃんと水島さんのことを考えてなかった……誰だって、そんなの嫌ですよね。本当に、ごめんなさい……」
 しょぼくれるマークスの肩は、頼りないほど小さく——これが、あの冷徹なまでに圧倒するメンタルフォーサーの少女だとは、とても思えない。この小さな肩にマークスは、ずっと日向の影を背負ってきたのだ。それがどれほどの重さだったのか、想像するに余りある。
 そして、今の征二は——。
「……記憶、戻ったんだ。和真の記憶。今、僕は和真と記憶を共有してる。だから、君のことも……みんなのことも、知ってる」
 マークスが驚いたように顔を上げた。征二は天井に届きそうなほどの深いため息をつき、疲れたように目を伏せる。
「僕は、水島さんに捨てられた。いや、違うか。——最初から、全部嘘だったんだ。水島さんは和真の封神の力が目的で、つまるところ、僕は和真の代わりでしかなかった。全く、お笑いだよ。水島さんだけが僕を水島征二として見てくれるって、そう思ってたのに。実のところ、水島さんこそ、僕を和真として見ていたんだから」
 マークスが辛そうに目を伏せる。そこに後ろめたさもあるのかもしれない。
「ショックだったよ。僕は、僕でいたかった。僕に違う誰かを重ねて見られることが、耐えられなかった。僕は誰かの中で、たったひとりの、確かなものになりたかった。でも、なのに、そんな僕は大切な家族を失ってどうしたと思う?」
 征二は自嘲気味に嗤った。
「あろうことか、その隙間をライカで埋めようとしたんだ」
 ライカは、日向和真を知らない。彼女にとって、征二は征二でしかない。それを知っているから、——都合が、良かった。
 マークスたちのことを知る前なら、自己嫌悪に陥っていたかも知れない。だが今は、自分の思う一番が、絵空事であることを知っている。征二は視線を、天井からマークスに移した。
「君が、君にとって大切な人を失って、そしてそっくりな僕に重ねて見るななんて、もう、僕には言えない」
 一言ひとことを噛みしめるように、征二は自分の中の気持ちを再構築していく。全てを失って、全てを否定されて、そしてようやく、自縄自縛を解くのだ。
「宮葉小路さんも、エレナさんを失って、その隙間を神林さんで埋めた。神林さんは和真と心刀を失った隙間を、宮葉小路さんで埋めた。誰もが誰かの二番目で、だからこそみんな笑っていられるんだ。僕が、きっと確かなものになれなかったのは二番目だったからじゃない。——僕は、何もしなかったんだから」
 征二が、ベッドからゆっくりと体を起こす。マークスが慌ててそれを止めようとするのを、征二は静かに首を振ってとどめた。
「しなきゃいけないことがあるんだ。僕の中の和真が教えてくれている。今やらないと、取り返しのつかないことになるって。それに、僕は水島さんを止めたい。僕が止めなきゃいけない。そう思うんだ」
 征二の額には冷や汗が浮かび、とても大丈夫には見えない。本当は無理にでも寝かせておくべきだと、マークスは思う。しかし——
「分かりました」
 にっこりと、マークスは笑ってみせる。
 征二にはそれがどういうつもりなのか、正確には分からない。あるいは日向なら分かるのかも知れない。だが、少なくとも今のマークスは、征二を信じ、征二に任せようとしてくれている。そんな気がする。その背後にあるのが、征二ではなく、日向への信頼だったとしても構わない。元より、信じてもらえるだけの何かが、自分にあるわけじゃない。日向の力を借りることで水島を止められるのなら、それでいいじゃないか。
「まだ、ちゃんと立ち上がれないんだ。歩くのも覚束ない。だから君の……みんなの力を、貸してくれないか」
「和真さんなら絶対に言わない台詞ですね。今頃水島さんの中で悶えてるんじゃないかな」
「違和感あるんじゃない?」
「水島さんですからね」
 それじゃ行きましょうとマークスが、ふらつきながら立ち上がった征二の腕を持って支える。その手は、とても熱かった。

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