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BLACK=OUT 2nd

第七章第五話:甘えることは決して

 落ち着け、とマークスは自分に言い聞かせた。この女性は自分の顔に虫が張り付いていることに気付いていない。見えていないのだ。ならばこれはマインドブレイカー、メンタルフォーサーでなければ見えない、感情の澱。それがこの女性に取り付き、今まさに精神を壊さんとしているのだ。
「失礼します!」
 躊躇はない。マークスは女性の顔面に手を伸ばし、顔に張り付いた大きな虫を掴んで引き剥がす。手に伝わるもぞもぞとした感触が気持ち悪い。マークスは顔をしかめながら、それを地面に叩き付けた。
「ちょっとあなた、何を――」
 腰のホルスターから銃を抜き二発。風穴の空いた虫は砂で出来た城のように、崩れて消えた。
「失礼しました。私はこういう者です。あなたにマインドブレイカーが付いていたので処理しました。ご安心下さい」
 女性はマークスの提示した身分証を見て己の身に何が起こっていたのか理解したらしく、気持ち悪そうに顔に手を当てた。
「えっと……この近辺に警報は出ていないみたいですけど、念の為に避難して頂けますか? もしかしたら、サイコロジカルハザード発生の予兆かもしれませんので」
 マークスがそう言うと、女性は礼を言いながらも慌てた様子で足早に去って行った。痙攣は治まっており、あれなら心配はないだろう。
 さて、とマークスは虫が消えた路上を睨む。
 これだけ近くにいて、このマインドブレイカーを感知出来なかった。日向みたいにずば抜けた感知能力こそないが、目の前にいて見落とすほど鈍くもないつもりだ。何よりその存在を認識してからも、マインドブレイカーだと確信が持てなかった。
「すぐに報告しなきゃ。もしかしたら、これは――」
 デバイスを操作するマークスの額に冷や汗が流れる。もしかしたらこれは、取り返しのつかないことになっているかもしれない。

『感知不能なマインドブレイカーが現れたというのは本当か』
 デバイスの向こうで宮葉小路が声を硬くする。確認してもらったが、センサーにはそれらしき影は見えず、MFCも作動していないらしい。
「目の前にいたのに感知出来ませんでした。私の銃で倒せたので、マインドブレイカーには違いないんですが、何か変です」
 報告の間も周囲に気を配るが、少なくとも見た目は平和そのものだ。だが現にマインドブレイカーは出現している。目に映らない、感知出来ないだけで、これではどこにどれだけ潜んでいるか分からない。既にどれだけの被害が出ているのかもだ。
『とにかく、γ区にはサイコロジカルハザード発生を宣言、MFCを作動。……どこまで汚染が広がっているのか確定出来ない以上、周囲の区域も警戒する必要があるな。こちらで四宝院たちに対応させるから、マークスはそこで待機していてくれ。すぐに僕たちも出る』
「了解です」
 マークスがデバイスを切ると同時に、街に災害発生を告げるアナウンスが流れた。避難を呼び掛けるその声の中で、マークスは胸元のペンダントをぎゅっと掴む。敵の位置も規模も分からない状況下での戦闘など想定されていない。この災害がいつから始まっていたのかも、誰も分からない。マークスは、目の前が暗くなっていくような気がした。もしかしたら、もう――

 手遅れかもしれない。

 十分程度でマークスは宮葉小路たちと合流出来た。まだ市民の避難は完了していないが、二十分ほどでそれも終わるだろう。
「問題はどこにマインドブレイカーがいるかよねぇ。ここに来る途中も気を付けてたけど、全然見付からなかったし」
 神林が口を尖らせながら辺りを見回す。当然のように、それらしい影は見えない。マークスも合流までの間に注意していたが、結局手掛かりは何も掴めなかった。
「水島君、君は何か感じないか?」
 宮葉小路に尋ねられてしばらく目を閉じていた征二だったが、やがて諦めたように首を振った。宮葉小路は「そうか」とだけ言って、何かを考え込む。
「マークスが見付けたマインドブレイカーって、強かった?」
 征二に訊かれ、マークスは首を横に振った。銃二発で倒せたのだ、大した敵じゃない。
「少なくとも、たくさんはいないと思うんだ。それに敵が強くないなら、みんなで手分けして探した方がいいんじゃないかな」
「で、でも、何があるか分かりませんし……」
 マークスは控えめに反対するが、確かにこの状況ではそれがベストな選択に思える。そもそも、もうマインドブレイカーはここにいない可能性だって考えられるのだ。
「考えていても仕方ない。水島君の言う事も一理ある。これから三十分間、手分けしてマインドブレイカーの痕跡を探そう。もし何か見付けたらすぐに連絡してくれ。何も見付からなくても、三十分経ったら一度合流だ。四宝院は僕たちのトラッキングとオペレーションを、メイフェルはどんな小さな痕跡も見逃さないように、データレイヤーの監視と分析に専念してくれ」
『了解です』
『分かりましたぁ』
「ノースヘル絡みかもしれません。不自然過ぎます」
「だとしてもね――」
 指示を出した宮葉小路になおも食い下がるマークスを、神林が諌める。
「このまま何もしない、って訳にはいかないんじゃない?」
「ノースヘル絡みだとしても、今回見付けたのはいわば偶然だ。存在を隠匿するマインドブレイカーなんて、見付けようがないからな。それが罠だとは考えにくいだろう」
 そうですけど、とまだ納得出来ないでいるマークスの耳元に、神林がそっと顔を近付けた。
「心配なら、いつでも駆け付けられる所にいたらいいんじゃない? 四宝院にオペレートしてもらえば?」
 そう囁く神林を、マークスはきょとんとした顔でまじまじと見る。神林は悪戯っぽくウィンクして見せた。
「……ありがとうございます。心配掛けて、ごめんなさい」
「いいってこと。さ、いっちょこの企みを暴いてやろうじゃないの」
 困ったように笑うマークスの肩を、神林がぽんと叩く。
 ――また、気を遣わせちゃった。
 自制が出来ていないことは分かっている。それに、それでもフォローしてくれる仲間に甘えていることも。だが、そうだとしても今はその厚意を甘んじて受けよう。甘えることは決して悪いことじゃないと教えてくれたのは、日向だ。
 日向を守る。日向を取り戻す。
 そのためならば、私は――。

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