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BLACK=OUT 2nd

第八章第五話:ふたつのこえ

 視界が白く塗り潰される。しゃらしゃらと音を立てて降る霜が、点灯し始めた街灯の光を反射していた。辺りは氷塊をぶつけたような有様で、見渡す限りの全てがびっしりと凍っている。その中央に立つ金髪の少女は、両手の銃をだらりと下げて笑っていた。彼女を取り巻くように立つ氷柱は、もう見分けは付かないが征二のチームメイトである。その氷柱の一つに、マークスは銃を向けた。
「さあ、これで、後は引き金を引くだけです。粉々に砕けて、それで終わり」
 氷の女王の、冷徹な目が細められる。
「やめろ、やめるんだマークス!」
 残ったのは征二だけだ。ライカたちと比べて距離があったこととシールド能力で無効化出来たため、大事に至らなくて済んだ。
「動かないで下さいね、水島さん。一歩でも動けば、私は撃ちます」
 駆け寄ろうとした征二の足が止まる。マークスは本気だ。もし征二が動けば、その時は躊躇わずにライカたちを砕くだろう。たった一人難を逃れた征二だが、だからと言ってやれることは何もない。
「どうしてこんな強いテクニカルを、こんな短時間で……」
 征二の呟きを拾い、マークスは黙って服の袖を見せた。そこには自身の血で描かれた記述詠唱がある。
「ノースヘルの術式と違って、私たちの術式は応用が利くんです。ちょっと工夫すれば、同じテクニカルを二度でも三度でも発動させられる。もちろん、その分精神力は持って行かれますから、乱用は出来ませんけど。それにテクニカルは一種の自己暗示です。私たちは特定のキーワードを口にすること、記号を描くことで感情を高めテクニカルを発動します。だから指でなぞるだけじゃなく、実際に描くことでよりその効果は高められる。精神力の変換効率が上がるんです。私の血が役に立ちました。それにこれは二年前、あなたがやって見せたことじゃないですか」
「二年前?」
「あなたです、和真さん。私にこれを教えてくれたのは。私を助けてくれたのは。だから私はここにいる。だからあなたを助けるの」
「違う! 違う違う! 僕は、僕は日向和真じゃない! 僕は——!」

 ——オマエニ、ナマエヲ、クレテヤル。

「やめろ! 違う、僕じゃない! こんなの僕じゃない!」
 裡の声が、空の記憶の洞に重く響く。征二は髪を掻き毟り、耳を塞ぐが反響は止まない。聞いては駄目だと心が叫ぶ。飲み込まれる、消されてしまう、僕という存在が、その意味が。
 笑うな、笑わないでくれ。その顔で僕を見るな、口を開くな。開けたくない記憶の蓋を開くな。それは——

 それは水島さんなんだ。

「あなたを縛る鎖は私が断ち切ります。苦しむあなたを見たくありません」
 マークスは冷ややかな視線を氷柱の一つに向けた。レジストの姿勢のまま固まったそれを、空いたもう片方の銃口で狙う。
「ライカ=マリンフレア。和真さんは返してもらいます」
 引き金に力が込められる。
 ライカ。そうだ、この蓋を戻せるのは彼女しかいない。ライカだけが僕を救える。僕をここに繋ぎ止められるのは、もう彼女だけだ。その彼女を壊させてたまるか。こんな、こんなの、こんなこと。
 心の奥底が浮き上がる。やめろと叫ぶ声がふたつ。片方はマークスに、片方は自分に。蓋を開くなと叫ぶ自分と、ライカを守れと叫ぶ自分。どちらもは選べない。声の片方が大きくなる。だがもう征二には、どちらがどちらの声か区別はつかなかった。ただただ、やめろという声が意識を塗り潰す。
 ——後悔しねぇか?
 意識に別の声が混じる。ああ、と征二は顔を歪めた。肯定の意味ではなく、ただこの苦しみを吐き出すだけの答え。
 マークスの指が引き金を引く。銃口から撃ち出される氷の弾丸。それは嘘みたいなスローモーションで、ゆっくりとライカの命を砕きに進む。
 やめろ。どちらかの声が強く叫ぶ。
 やめろ。どちらかの声は弱々しい。
 やめろ。征二の意識が悶えるように絞り出す。
 やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、
「やめろおっ!」
 弾けるように吠え、手を伸ばす。届かない、届くはずのないその手は、しかしマークスの弾丸に届き、触れて、その実体を掻き消した。
 マークスは何が起こったのか分からない様子で、一瞬固まった後に大きく跳び退く。十分な距離があったはずの征二が突然目の前に現れ、シールドで弾丸を防いだのだ。混乱するのも無理はなかった。普段ならともかく、BOBを発動している今のマークスなら反応出来たはずなのに。
 征二は間に合った安堵に膝を付くが、心の中の声が小さくなることはなかった。むしろより大きく喚き、形を保とうとする征二の意識を攻め立ててくる。
「やめろ、出てくるな、違う、こんなの嘘だ、僕じゃない、僕は、要らない、こんな、こんなの……」
 苦しみから漏れる呻きは、もうずっと弱々しくなっているが、そんなことに頓着している余裕など、今の征二にはなかった。マークスもまた、征二の様子がおかしいことに気付いて、伺うように征二を見守っている。
 頭を抱えて蹲る征二の中に、もう一つの声が混じった。それは水面に落ちた雫のように波紋を広げ、跳ね返り、複雑な模様を描いて反響する。
 ——その力は、俺の力だ。
 頭が割れそうに痛む。荒い呼吸で肺も破れそうだ。辺りには冷気が渦巻いているというのに、汗が噴き出して止まらない。
「違う、これは僕の力だ! 僕の、僕だけの!」
 ——俺の力の一部でしかねぇ。
「どうしてそうなんだ、どうして僕は……っ」
 どくん、と、一際大きく心臓が鼓動が跳ねた。胸から込み上げる何かが、口から溢れ出そうとしている。征二は必死に口を押さえ、それに耐えようとした。声にならない呻きが、喉の奥でくぐもった音を鳴らす。二度、三度、突き上げる衝動が膝立ちの征二を襲った。溢れ出ようとする何かはとっくに限界を超えていて、最後の堰はなけなしの気力だけだ。それももう、長くはもたない。
 ——いいから吐き出せ。安心しろ、俺はお前の……。
 不意に全ての音が消えた。心の中の声も、外の音も全く聞こえない。完全な無音の中で、その声だけが、はっきりと響いた。

 ——お前の、BLACK=OUTだ。

 口から、地を揺るがすほどの咆哮が迸る。衝動のままに征二は天を仰ぎ、瞬き始めた星に向かって絶叫する。言葉はない、意味もない、獣の声だ。征二は涙を流していた。
 眩い白い光が、未だ絶叫を続ける征二を中心に膨らんでいく。あまりの眩しさに手をかざし目を細めるマークスの視界を白く覆い、その強烈な光は、そこから見える限りの全てを呑み込み、満ちた。

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