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BLACK=OUT 2nd

第七章第八話:呟いた声は

 住宅街だというのにひと気がない。警報を聞いて、みんなが避難したからだ。抜け殻の街を走りながら、まるで骸のようだと征二は思った。
 どうしてそんなことを考えたのかは分からない。今までの出動はほぼ全て、住民の避難が完了していた。状況としては同じはずだが、そんなふうに思ったことはない。状況が変わったのでないのなら。
 ――変わったのは、僕か。
 守りたいものがあったわけじゃない。ただ、自分の居場所が欲しかった。水島の庇護で存えるのではなく、自分の力でこの恩を返していきたい。それだけだった。
 だから戦った。
 だから居続けた。
 この場所で、B.O.P.で、見出されたメンタルフォースという才能を使って、征二は自分の居場所を作りたかった。
 この街は骸だ。死んで、もう動かないのだ。動くことはないのだ。――口の中で、声に出さずに呟く。きっと今、自分はひどい顔をしていることだろう。もうどうでもよかった。
 気付かない振りをしているが、マークスが着いてきていることには気付いている。まるで監視だ。そうまで「日向和真」が心配か。
 ずっと自分が自分であることを否定され続けて、それでも自分は自分だと叫び続けるのにも、もう疲れていた。言いたいなら言えばいい。僕は僕だ。その事実はどれだけ否定したって揺るがない。

 そう呟く声が、誰にも届かないことを知りながら。

 デバイスを確認して、見当を付けた座標に走る。ノースヘルの狙いがγ区でサイコロジカルハザードを発生させることなら、きっと区の中心部が発生源に違いない。ずっと気配を探っているが、どこにもマインドブレイカーの存在は感じられなかった。今回はそういう敵が相手だと分かってはいたが、どうしても自信が萎える。
 ――もう少し奥に行ってみようか。
 以前、工業地区にある事務所ビルの屋上で戦った巨躯のマインドブレイカーが思い出される。あの事件でB.O.P.は、ノースヘルの関与を強く疑うに至った。どういう手段でマインドブレイカーを手懐けたのかは分からないが、もしあの時と同じなら、きっと敵は高い場所にいるのだろう、と征二は考えたのだ。
 とはいえ、この地区は比較的裕福な層の住まう町で、目立って高い建物――高層マンションの類は見当たらない。周りを見回してもせいぜいが三階建程度で、これといって目星を付けられる家はなかった。
 デバイスを見ても新しい情報はない。途方に暮れた時、征二はふと何かを感じた。肌に薄布が触れたような違和感。その感覚を、似た感触を、征二は知っていた。もしかして、という思いは確信に変わり、征二は角地に建つ黄色い屋根の家を曲がる。その先はγ区を南北に貫く幹線道路だ。片側二車線の広い、そして自動車の影一つない殺風景なその動脈は、真っ直ぐに、その果てまでも遠く見渡せる。
 どこまでも続くようなオレンジ色のライン、その先に、二人分の影があった――思った通りに。
「ライカ……」
 見知った少女は武装していた。拳に嵌められているのは、彼女がメンタルフォースで生成した籠手装備で、それはライカもまた、征二に気付いていたことを意味する。
「仕方がないことだって分かってるけど――」
 ライカが寂しそうに笑う。ここは戦場で、そして二人は互いに敵対する組織に身を置く同士だ。こうなることは、分かり切っていた。
「こんな所で、会いたくなかったね……征二」
 駆けていた足がその速度を緩め、歩み、そして立ち止まる。ライカは戦うつもりだ。彼女には戦う理由がある。だけど。
「おっどろいた! ライカの言う通り来やがった。俺は何にも感じなかったんだけどなぁ? よお青、久し振りだな。聞いてくれよ、ライカの奴、お前が近付いてくるのを察知してたんだぜ? さすがというか何というか、俺にゃ分かんねぇ繋がりがあるんだなぁ」
 ライカの隣、フォーが感心したようにうんうんと頷いている。相変わらずの軽口だが、征二を敵と見なしているのは明らかで、彼の周囲には小振りのナイフが二本、浮いていた。
「征二、ごめん。あなたをこれ以上、行かせるわけにはいかないの。だから――」
「離れてください、水島さん」
 背中の声に振り向くと、いつの間に近付いて来ていたのか、マークスが立っていた。二挺の銃を構え、その銃口はぴたりと二人の額に狙いを定めている。
「白……随分近いのね。B.O.P.は分散して索敵すると予想していたんだけど」
 征二の背後に目を向け、ライカは眉を顰めた。先の戦闘でマークスに飲まされた苦汁を、ライカは忘れていない。苦手意識を持っているかどうかまで征二は窺い知れないが、征二を人質に取り、宮葉小路と神林を無力化したうえでの惨敗は、彼女がマークスを避ける理由としては十分過ぎた。
「水島さんは下がってください。ここは私が」
 征二を追い越し、マークスが前に出る。その目はぞっとするほど冷たく、少しでも動けば撃つという無言の脅しを二人に迫っていた。
「マークス! これは僕の――」
「あなたに、彼らとの接触を許すわけにはいかないんです」
 マークスの背中が言う。征二は、蚊帳の外にいるべきだと。水槽の内で、ただ泳いでいればいいと。
「……また、僕は……」
 否定されなくちゃいけないのか。
 征二は唇を噛み締め、拳を硬く握る。
 抑えてきた。懸命に耐えてきた。だけど、もう、駄目だ。
「君が守りたいのは僕じゃない……日向和真だろう? 君だけじゃない、他のみんなも……宮葉小路さんも神林さんも、誰一人僕を水島征二だなんて思ってない! 君が、君たちが僕の名を呼びながら、その向こうに誰を見ていたのか、僕が分からないって本当に思ったの?」
 一度堰を切った言葉は止まらない。マークスが驚いたように振り返り、征二の顔を見ている。止めなきゃという自制は最早意識する暇も与えられずに塗り潰された。
「仲間仲間って君は言うけど、それは日向和真のことだろ? 君の頭の中は彼ばかりで、でもそれは僕じゃない。違うんだ、僕は。どれだけ君が僕と日向を重ねても、僕は日向にならない。日向の代わりにもなれない。だって違う人間なんだ、僕は僕なんだよ! 水島さんにもらった大切な名前がある、大切な記憶がある。これ以上僕の――僕の大切なものを、否定されてたまるか!」
 内心を吐露し、征二は荒い息を吐いた。行き場のなかった思いを垂れ流しながら、流す毒で自身がより傷付くのを感じながらも止まらない激情。頭の中はごちゃごちゃで、訳の分からないまま懸命に込み上げる吐き気を堪える。
 マークスは動揺していた。その注意は完全に二人から外れている。その場にいる全員の視線を集めた間隙に、落ち着いた声が滑り込んだ。
「嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか、征二。いっつも小憎たらしい説教しか垂れねぇから、どう思われてんだろうって気にしてたんだぜ」
 その声に、征二は聞き覚えがあった。いや、誰よりも聞き慣れた声だった、が正しい。
 征二がゆっくりと顔を上げる。いつの間に現れたのか、ライカたちの背後に、壮年の男性が一人、立っていた。
「どうして……ここに……」
 そこにいたのは、ここにいるはずのない人。いていいはずのない人。
 征二の「父」、水島柾だった。

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