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BLACK=OUT 2nd

第十章第二話:処分

 静かすぎるせいで耳鳴りがする。自分の身動ぎさえも、やけに大きく響くくらいだ。征二は冷たい床の上で、小さく丸まっている。視界には、廊下から漏れ出る明かりが入っているが、征二にそれが見えているかは、甚だ怪しかった。事実、征二の思考は完全に停止している。ノースヘルに戻ってすぐここへ通されたが、魂を失った征二の目は、やはり何の反応も示さなかった。
 どのくらい、そうしていただろうか。一分か、あるいは、一日か。時間の感覚も狂う静寂に、ぽたり、と、水滴の落ちる音が響く。征二は虚ろな表情のまま、涙を流していた。
 泣いているわけではない。悲しいという感情もない。いや、感情など抜け落ちているのだ。当の征二すら己の涙に気付いていないだろう。
 ここには、誰もいない。
 征二を知る者も、知らない者も。
 居場所を失った征二は、どこへ行く当てもなく、ただ乾いてしまった空気に、水を求めて喘ぐしかなかった。だが征二は知っている。もう思い知った。
 その声が、誰にも届かないことを。

「どうして征二が営倉入りなんですか!」
 物凄い剣幕で机を叩くライカに、水島が煩そうに指で両耳に栓した。いつもと変わらない連隊長の様子は、逆にライカの神経を逆撫でる。
 ノースヘルに戻ってきた征二を営倉に送ったのは、あろうことか水島だった。連隊長室への出頭と事情聴取が先立つとライカは考えていたが、直送に近い営倉入りである。水島は征二の親代わりではないのか、有無を言わせぬ営倉入りとはどういうことかと、ライカが憤ったのも無理はない。すぐにでも水島に直談判したいライカだったが、肝心の水島が捉まらず、征二が営倉入りして三日、ようやく直訴が叶ったというわけだ。
 ——こちらがこれだけ必死だというのに、この人は。
「そうは言うがな、ライカ。考えてもみろ、征二は作戦行動中に隊を離れ、B.O.P.と合流したと聞いてる。本来なら営倉どころか軍法会議ものだ。俺があいつの保護者で上司だから、とりあえず営倉で済んでるんだぞ」
「それでも、弁解の機会は与えられて然るべきです! 今回のことで一番ショックを受けているのは征二なんですよ!」
「ノースヘルが個人の事情を斟酌するかよ。ただでさえ、あいつは外様のメンタルフォーサーなんだ。上のあいつを見る目も厳しい。B.O.P.からの移籍って時点で、あからさまにスパイじゃないかって顔をする奴もいる。甘い対応してそいつらが納得するか?」
 水島の言うことはもっともで、ライカは言い返すことが出来なかった。チームメイトと水島以外、特に会話を許されていないライカは知り得ないことだが、連隊長である水島は、特に征二の扱いに関しては色々と言われているのだろう。水島にとっても望ましい処罰ではないことは分かる。分かるのだが。
「……もう、三日です」
 十分な処罰は受けたはずだ。せめて水島には、征二の話を聞いて欲しい。居場所を失った征二には、もう、水島しかいないはずなのだから。
「頃合いだろうな。形だけでも征二の事情聴取をして……査問に備えて話の擦り合わせでもしとくか。上手く乗り切れば、まあ命までは取られないだろ。除隊は免れないだろうが」
 征二をここへ呼ぶように、水島が連絡を入れる。分かっていたこととはいえ、その結論はあまりになす術がなく、ライカは沈痛な面持ちでため息をついた。

 きっかり五分後、征二が近衛兵に連れられ連隊長室へ現れた。三日ぶりに見る征二は明らかに憔悴した様子で、ライカはその心中を察し胸が痛くなる。
 水島は、さがっていいぞと近衛兵に言うと、机に肘を突き顔の前で手を組んだ。
「さて、征二。いきなり営倉にぶち込んで悪かったな。こうでもしないと上がうるさくてなぁ。今回の件はお前に非はない。それは俺が保証する。だがまあ、これで終わりって訳にも残念ながらいかなくてな。お前をB.O.P.のスパイだとか言い出す連中を黙らせるために、まずはこの先開かれるであろう査問会の対策を——」
「……ってたんですか」
 水島を遮り呟いた征二に、水島が何だと問い返す。
「水島さんは、知ってたんですか」
 はっきりと問うた征二は、確かに憔悴してはいるが、その目は無気力なそれではなかった。必死で、信じるように、あるいは縋るように、その真意を求めている。
「何をだ?」
「僕が和真だったってことを、知ってたんですか、水島さん」
 水島の返事は、一瞬遅れた。
「いや、ライカからの報告で知った」
 取り繕う水島の様子は、しかし余計に征二の不信を煽る。征二は目を伏せ、そして覚悟を決めたように呟いた。
「……思い出しました、全部」
 日向の記憶。そして、忘れていた自分の記憶。日向の記憶は映画を観るように、彼を通した、およそ現実感に乏しいものだったが。それでも確かにこれは「記憶」なのだと、そう信じられるほどの、確かな事実をもって征二を打ちのめした。
 それに、水島と初めて会った時の記憶。それはきっと、自分にとって「都合の悪い」記憶だったから忘れたのだ。それを思い出してしまえば、信じたいものが壊れてしまう。自分を立脚する土台が根底からひっくり返される。和真の偽物の分際で、たった今生まれたばかりの何の記憶も持たない人格で。そんな覚束ない足元で、もう一度立ち上がれるわけないのだ。だから、そう、きっと最初から、征二は自分で気付いていたのだろう。
 水島が顔を伏せ、大きく深く息を吐く。
「……ああ、知っていたとも、日向の子」
 そして、再び顔を上げた水島の目は、暗く冷たかった。
「日向は、全人類のBLACK=OUT解放を望んでいた。私はその思想に賛同する者だ。決して容易ではないその目的のために、日向は自分の息子、和真の持つ封神の力を利用しようとした。だが結果的にそれは失敗に終わり、日向は和真に敗れた。崩壊した第三ビルでお前を見つけた私の気持ちが分かるか? そう、まだこの計画は続行可能なのだ。踊り出しそうだったよ! さらに幸運なことにお前は解離性同一性障害に罹患していた。今お前に付け入れば、封神の力は手に入ったも同然だ。お前は記憶を、過去を持たない空っぽの人形、これ以上最適な器があるか?」
 興奮した様子で一気にまくし立て、そこで水島は言葉を切った。征二の表情が絶望に塗りつぶされていく。
「だがまあ、記憶を取り戻したのなら、この計画は失敗だ」
 水島の声のトーンが落ちた。不気味なほど冷静に、いや、冷酷に、水島は、征二の最後の希望を握り潰す。
「征二、お前を処分する」

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