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屠殺のエグザ

第一章第四話:鞄 と 剣

 一瞬、聞き間違えたかと耳を疑った。今、あの少女に必要なのは武器であるはずだが、何故わざわざ鞄などを寄越せと言うのか。
 訝しんだが、少女の――爛と光る双眸が、疑問を挟む余地を与えない。晶は鞄の柄を引っ掴むと、大きく振りかぶった。

 少年が鞄を振りかぶるのを見て、少女は即座に鞄が落ちるであろう場所を読み取った。驚くべきことに、恐らくはちょうど少女の立つ位置に飛んできそうだ。
 ――いや、この場合は。あの少年に限っては、別段驚くべきことでもないかもしれない。
 少女が、飛んでくるであろう鞄を受ける体勢に入ろうとした時、視界の端に異形の鎌が見えた。紙一重で鎌を避けるも、すぐに次の斬撃が少女を襲う。一瞬の間で無数に繰り出される攻撃を、少女はコンクリート壁を使い三角跳びの要領で、上空へと逃げて回避した。
 跳んでから、後悔する。少年が投げてくれた鞄が落ちる位置には、あの異形がいる。振り回す鎌に当たれば、あの鞄もまた、何処へかと弾かれてしまいかねない。
 少女が、悔しそうに少年の方へと視線を向けた時、

 少女の手に、吸い込まれるように、鞄が飛び込んできた。

 鞄を投げようと、晶が力を込めた時、異形の動きに変化の兆しが見られた。少女はといえばこちらに、一瞬とは言え意識を集中させているせいか、未だ気付い ていないようだ。しかし、恐らくは攻撃を受ける前に気付ける。あの少女は、そもそもすぐに異形に意識を戻す素振りを見せている。だがあの体勢からなら、連 続して襲い来るであろう異形の攻撃をかわすのに、上空へと逃げるしかない。少女と異形との位置関係、近場にある壁、少女自身の脚力、そしてタイミング。
 晶は鞄を離す直前、投げる目標点を、

 少女が到達するであろう場所へと、変更した。

 鞄は、違わず少女の手へと収められる。一瞬、少女は驚いたような顔をしたが、すぐに身を捻り、異形の向こう側――晶が立っている方へと、着地した。
 後ろでひと括りにされた長い髪が、やや遅れて少女に追いつく。

 少女は、凛と立っていた。
 手には晶の鞄を持ち、
 その背中には、誰も寄せ付けない空気を漂わせて。

 少女の、鞄を持った手が持ち上げられる。
 自身の頭上まで、高く、高く鞄を掲げ、
「〈対置〉!」
 少女は、叫んだ。

 直後、晶の目の前で起こった出来事は、まさに不思議の一言だった。
 ぐにゃりと、空間が歪んだような錯覚の後に、鞄が握られていたはずの少女の手には、

 ひと振りの、剣が握られていた。

(鞄が剣に変わった――っ?)
 呆然とする晶を他所に、少女は剣をひと薙ぎすると、異形に向かって駆け出した。待ち構えていたように繰り出される、異形の鎌。少女は、それら全てを紙一重で避けていく。
(――違う)
 振られた鎌の下を潜り、少女は異形の首と胴との間に剣を突き込む。耳障りな咆哮を上げて、異形は身悶えた。
(鞄が剣の形になったんじゃない)
 晶の右眼が知らせる。アレの本質は、別であると。
(鞄であるべき物が、剣であるべき物に挿げ換わった……?)
 少女は剣を引き抜き、滅茶苦茶に暴れる異形の頭上へ飛び上がった。前足を武器として特化した異形には、その関節の構造上、自身の背中へ向けての攻撃手段は無い。
 剣を、下に。
 最も弱い一点、そこを見据えて。
 そこを、目掛けて。

 止めの一撃を、突き入れる――!

 触れた切っ先から、外骨格に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。硬い殻の中の、無防備な内腑を、少女の剣は突き刺した。

 動かなくなった異形から剣を引き抜き、少女は、掌で異形に触れた。
「返依れ、お前の在るべき、〈彼(か)の面(も)〉の世界へ」
 少女の言葉と同時に、異形の体は青白い光に包まれ、次第にその姿を薄くしていき、

 やがて、完全に消滅した。

 ふぅ、というため息と共に、少女が振り返った。
「大丈夫だった? 怪我は無い?」
「……んだよ……」
 聞こえないくらいの声で呟いた晶に、少女が「ん?」と顔を覗き込む。くりっとした眼が、印象的だ。
「何なんだよ、一体! あんたも、あの化け物も――!」
 何かが起こっていた。なのに、何が起こっているのか、解らなかった。ただ一つだけ、辛うじて理解出来ているのは、目の前の出来事が、普通ではないということ……。
 少女は、少し考え込む素振りを見せた後、逆に尋ねてきた。
「もしかして君、〈協会(エクスラ)〉未所属? というか、自分の能力に自覚ある?」
 馴染みの無い単語に、晶は眼をしばたいた。
「エク……スラ……? それに、俺の……能力?」
「うーん、やっぱり無自覚の能力者だったか……」
 晶の困惑を他所に、少女は一人で何やら納得している風である。
 少女はしばらく考え、そしてまっすぐに晶へ向き直ると、言った。
「私は〈対置能力者(エグザ)〉よ――君と同じ、ね」
 少女の「宣言」は――口を挟ませないほどに、力強かった。
「私たち〈エグザ〉は、物体と物体を入れ換える能力……〈対置〉を持っているわ」
 さっき鞄が剣になったのは、こういうカラクリ。そう言って少女は、手にした剣を再び〈対置〉し――次の瞬間には、手に握られているのは剣ではなく、鞄になっていた。
 少女は晶に鞄を返しながら、話を続ける。
「あの化け物は〈浸透者〉。この世界の裏側、もう一つの世界〈彼の面〉の存在が、こちらの世界に染み出してきたものよ」
「〈浸透者〉……〈彼の面〉……?」
 晶は未だ困惑した面持ちで、鞄を受け取る。念のためにあちこち触り、中を覗いてもみたが、どこにも変わった様子は見られなかった。
 あの時、確かにこの鞄は剣へと変わっていた。いや、この少女の言うことを信じるならば、「換わっていた」が正しいのだろう。
 それに、あの異形。あんな生き物が、現実にいるはずがない。一体この出来事の、どこからどこまでが現実なのだろうか。
「まあすぐには信じられないのも無理は無いけどね。詳しくは、いずれゆっくり説明するわ」
 少女はそう言い残すと、踵を返した。呆然とする、晶を置いて。

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