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屠殺のエグザ

第十一章第二話:犠牲 と 代償

 男の座っている椅子が、ぎぃ、と軋む。膝の上に、まだ幼さの残る少女が乗ったためだ。少女は甘えるように、男の首に腕を回した。
「ね」
 ねだるような少女の口調に、壮年の男はだらしなく口元を緩める。
「おねがい。一生のお願い。きいてくれないかなぁ?」
「そうは言っても……なぁ」
 男はもっともらしく、困ったようなことを言っているが、表情を見る限り満更でもなさそうだ。少女は下から、男の顔を上目遣いにじっと見つめる。「お願い」をする時の、いつもの仕草だ。そして少しずつ、顔を男へと寄せていく。
「真琴の頼みだ、聞いてやりたいのは山々だが……」
「ダメ?」
 畳み掛ける。少女、荻原真琴に迫られて、男は言葉を濁した。
「私の一存では決められんよ。分かるだろう?」
「そんなことないと思うけどなぁ。何といっても、会長なんだから」
 〈エグザ〉を束ねる唯一にして最大の組織、〈協会〉。この男はその会長であり、即ち彼が座っている椅子は会長の椅子であるということだ。
 会長室には、当然ながら他に誰の姿もない。いや、もし誰かにこのような姿を見られたら、会長にとっても笑い事では済まないのだが。
「……もし、ね……おねがい、聞いてくれたら……」
 真琴が顔をぐいっ、と近付け、会長の耳に小さな口を寄せる。
「……なんでも、してあげる」
 囁くような声。耳朶をくすぐる少女の吐息に、ついに会長は陥落した。

「……と、いうわけなんですよ!」
 ばん、と胸を張った真琴に、晶ははぁ、と相槌を打つのが精一杯だった。
「なるほどね。つまりこの支部の混乱は、そのために」
「はい、いくら会長でもこういう重大な事案を一人で決定するだけの権力はありませんから」
 一方のこよりには、どうやら話が通じているようだ。晶一人が取り残された形で、勝手に二人で進行している。
「八番札をお持ちのお客様ぁ!」
「あ、はい、俺です」
 テーブルに座ったまま、晶が札を振って店員に示した。学校帰りに寄ったハンバーガーショップは、同じく放課後を謳歌する生徒達でいささか混雑気味で、晶はさっきまでポテトだけをつまんでいたわけだ。既に半分以上食べ終えている二人にペースを合わせるため、晶は一気にバーガーを口へ持っていく。
「んで、つまりどういうこと?」
「根回しするだけの時間が要る、ってことよ」
 今ひとつ状況が飲み込めていない晶に、こよりが説明する。
「それから、他の幹部クラスの連中……彼らの眼を、支部の混乱に向けさせるっていう意図もあるんでしょうね。噂に違わぬ切れ者だわ」
「子煩悩ですけどね!」
 こよりに続けて、真琴がバッサリと斬る。
 それにしても、真琴が〈協会〉のトップ、即ち会長の娘だとは驚きだ。何も言わなかったが、真琴は裏でこよりについて色々と動いてくれていたようで、今回の騒動を機にねじ込んだのだろう。
「しかし、本当に可能なのか? こよりをリストから外すなんて」
 〈協会〉は〈エグザ〉同士の戦闘を、基本的に許可していない。もっとも、小競り合い程度であればさほど神経質にはならないが、片方が死ぬような状況であれば別だ。殺した〈エグザ〉は〈エグザ〉殺しと呼ばれ、〈協会〉が指定する粛正者のリストに追加される。このリストに入っていたために、こよりは〈血の裁決〉、ラーニン=ギルガウェイトに襲われることになったわけだ。このリストから外れることは死亡を意味する。当然、過去に免罪された例はない。
「通常だと、難しいですね。けど、今回は上手く事が運べば、特例として認められるかもしれません」
 ずずっ、と真琴がコーラを啜る。
「これだけ支部が機能していなければ、いずれどこかで必ずトラブルが起きます。その時にこより先輩がこれを解決すれば、大きな手柄。その実績をもって、特例の免罪とする、というのがお父さんの考えです」
「あー、つまり、こういうことか?」
 今回の騒動で壊滅状態に追い込まれた支部にあえて介入しないことで支部を混乱させ、他の幹部の注意を反らし、特例条項をねじ込む。支部の混乱で発生するトラブルをこよりに解決させ、その実績で特例条項を適用、こよりを免罪し、リストから外す。
「そのために支部ひとつを大混乱に陥れるっていうのも、どうかとは思うけどね」
 昼休みに零奈が愚痴っていたのは、つまり紛うことなくこのせいだったわけだ。
「勝手にすみません。でも、これはチャンスです。トラブルが起きるのを待つというのも不謹慎ですけど、今の支部の状況では〈浸透者〉一体にも対応に右往左往しているのが現状です。こより先輩にはもう少し戦ってもらわないといけませんけど……」
「構わないわ」
 こよりがトン、と紙コップをテーブルに置く。
「せっかく真琴ちゃんが整えてくれた状況だもの。存分に活用させてもらうわ」
「まあ、こっちは待ちだけどな。それより真琴、聞きたいことがあるんだけど」
「はい?」
「……会長、お父さんには、何と引換に?」
 先ほどの真琴の話を聞く限りでは、こよりをリストから外す代わりに、何か取引があったようだ。状況が大きいだけに、真琴も何か大変なことをやらされているのかもしれない。
 真琴は一瞬きょとん、とした顔で晶を見たが、すぐにニヤっ、と笑って言った。
「肩もみです」
「……は?」
「肩もみで手を打ちました。悪くないトレードです」
 何とも、微笑ましい話である。

 真琴と別れ、晶とこよりは帰宅の途に着いた。辺りは既に薄暗くなっていて、多分家に着く頃には真っ暗になっているだろう。この時間はいつも、少しだけセンチメンタルな気分になる。自分でも似合わないな、と晶は思うが。
「日が落ちると冷えるな」
「ん、そうね」
 言葉少なに、二人は歩く。こよりも同じなのだろうか。同じだといいな、と晶は思うが、それはきと身勝手な要望だ。自分は自分で、こよりはこよりで。それに、こよりは──。
 あ、というこよりの声に、晶の思考は中断された。こよりの視線の先を追うと、今朝封鎖が解かれたばかりの区域──瓦礫の山が、眼に入った。撤去作業は明日からなのか、封鎖のためではなく安全のために新たに張り直されたロープの内側は、まだ手が付けられた様子がない。一般人はこの惨状を眼にするのは今日が初めてのはずで、夜になった今でも、瓦礫の前で足を止めている人影が幾人も見える。
「……お前のせいじゃないからな」
 足が止まっているこよりに、晶は声をかける。わかってる、とこよりは答えたが、
「でも、その後の支部の混乱は、間接的に私が原因だわ」
 と呟いた。
「そのせいで〈急進の射手〉にも、真琴ちゃんにも迷惑かけた。ここに住んでる人だって、少なくないのに、その人たちにも」
「あまり思い詰めるな」
「私がいなかったら!」
 振り返ったこよりの顔は、泣きそうだった。
「私がここにこなかったら! ずっと〈彼の面〉にいたら、苦しまなくて済む人がたくさんいた! それは事実でしょう?」
 だが、そうするしかなかった。こよりには、そうするしか選択肢がなかった。それを知ってしまった晶には、とても気休めなど言えはしない。晶は、静かに言った。
「……ああ。その通りだ」
 だけど、と続ける。
「お前が〈彼の面〉に来てくれたから、俺は生きてる」
 どれだけ苦しんでも、逃げ出せない。なら、正面から受け止めるしかないのだ。そしてそれは、きっとこよりも分かっている。だからこそ。
「ここで終わらせるわけにはいかないんだろ? なら、やろうぜ。首尾良くいかなかったとしてもゼロだ。マイナスじゃない」
 真琴が整えてくれた状況。それは身も蓋もない言い方をすれば、「他人を踏み台にして生き延びる」ことに違いない。彼女が〈屠殺のエグザ〉であった時分と、今の一体何が違うというのか。
 結局、誰かを犠牲にしなければ、生きることは出来ないと、突き付けられたようだ。
「そうやって、生きていくしかないんだね」
「付き合うさ。言ったろ、お前の荷物なら、俺も持つ」
 それで、こよりの重荷が減るのなら。押し潰されることがなくなるなら。
 空を仰ぐ。
 薄く、星が瞬き始めていた。

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