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屠殺のエグザ

第六章第一話:敵 と 味方

 長かった夜が明けた。こよりは傷付き倒れ、晶は「物質の本質を視る眼」〈析眼〉である右眼を開くことが出来るようになり、物体の本質を書き換える〈変成〉という能力を、自由に扱えるようになった。そして晶は、こよりと共に戦うことを決意する。
 が、そんな大層な状況であったとしても、いち高校生である晶は、朝になれば登校しなくてはならない。
「よお、今日はこよりちゃんと一緒じゃないのか?」
「黒木……それに衣谷。おはよ」
 ちょうど校門で、二人に遭遇した。遅刻ギリギリ……ではないが、あまり悠長にしていられる時間でもない。三人は連れ立って、下足室へ歩きながら話した。
「ちょっと怪我してな。すぐに治るらしいんだけど、今日は用心のために休むってさ」
「そうなのか。お見舞いに行った方がいいかな?」
 衣谷が、眼鏡の蔓をくいっと持ち上げる。
「ああいや、大した怪我じゃないんだ、ホント。明日には来るからさ……多分」
「大した怪我じゃないって……どれくらいの怪我なんだよ」
 肋骨が二、三本折れてて、右腕は使い物にならなくて、所々肉がぱっくり割れて骨が見えてる――などとは、口が裂けても言えない。
 結局晶は、曖昧に笑って誤魔化すしか出来なかった。

 実際問題として、こよりはまだ動ける状態になかった。意識さえ取り戻せば、〈析眼〉と〈換手〉による自己の最適化によって、負傷自体は治るのだが、それ もすぐにという訳にはいかない。こよりが意識を取り戻したのは明け方近くになってからだし、今もまだ、少し体を動かすだけで激痛が走るはずだ。晶が傷口を 〈変成〉して塞ぎ、出血だけは止めてあるものの、体内のダメージは残ったままである。
 今朝、学校に行っている間のこよりの食事などを準備している晶に対して、こよりは学校を休んで欲しそうだった。別に一人で心細い、などという可愛げのある理由ではない。学校には〈急進の射手〉小篠零奈がいる。晶たちは一度、彼女に襲われているのだ。
「大丈夫だって。ちゃんと〈析眼〉開いておくし、それに学校じゃ他の生徒の眼もあるから、そうそう襲ってこないと思うしな」
 だから、今は傷を治すことに集中しろ。そう言って晶は、家を出た。まだ不安の残る顔の、こよりを残して。

 三時限目は理科室へ移動しなければならなかった。ここに至り初めて、晶はレポートを提出しなければならないことを思い出す。
「し……しまった……」
 そもそも昨夜はそれどころではなかったし、一昨日は――後回しにして、寝てしまった。
「おい晶、早く行こうぜ。遅れるぞ?」
 黒木と衣谷が、教室のドアの前で待っている。
「悪い。レポート忘れてさ。さくっと書いてから行くから、先に行っててくれ」
 自慢ではないが、レポートを書く速さには自信がある。もっとも、もらえる評価はいつも「少なくとも提出はした」というレベルのものだが。
  五分かけずにレポート用紙一枚に書き殴ると、晶は教科書など一式を引っ掴んで教室を飛び出した。教室一つ挟んだ向こうにある階段を駆け下りて、理科室目指 して長い廊下を駆け抜ける。並んだ教室の向こう側、もう一つの階段を通り過ぎると、急に人気が無くなり、暗くなった。ここには専門科目の教室が並び、用が 無い生徒はここまで来ない。廊下の両側に教室が並ぶ構造になっていて、窓が無いため光も差さず、それに節電のためか照明まで普段は落とされているので、な お近寄り難い雰囲気になっている。そんな、誰もいない廊下の向こう側から、

 小篠零奈がゆっくりと、こちらに向かって歩いてきた。

 晶は走っていた足を緩め、こちらもゆっくりとした歩調で進む。空いている左手で前髪をかき上げ、右眼を露出させた。昨夜そうしたように、ゆっくりと〈析眼〉を開いていく。
 零奈の速度は一定だ。僅かなブレも見られない。晶を今、襲う意志があるのか。それは晶の、〈変成〉持ちの〈析眼〉でも見通せない。
 一歩ずつ、二人の距離が近付いていく。晶は身を硬くした。今の晶は、武器を何も持っていない。手元にある教科書やら筆記用具やらを〈変成〉するしかないだろうが、果たしてそれで零奈相手にどれだけもつだろうか。〈換手〉を持っていない晶は、零奈と違って〈対置能力者(エグザ)〉ではないのだ。
 心臓が早鐘を打つ。せめて、攻撃の兆候だけは見逃すな。先手を許せば、自分に勝機は無い。
 目前に対峙が迫る。手を伸ばせば届く距離まで零奈が近付き、そして、すれ違う瞬間、零奈は立ち止まった。反射的に晶も立ち止まる。
「……倉科こよりを」
 瞬間の沈黙の後、口を開いたのは零奈だった。
「あの女を、信用するな」
「……っ、どういう……!」
 晶が振り返ると、既に零奈は、こちらも見ずに歩き去っていくところだった。
「こよりを……信用するな、だって……?」
 晶を混乱させるためのブラフだろうか。遠ざかっていく背中を眺めても、そこから答えは見出せない。
(零奈先輩が狙っているのは、本当に俺の〈析眼〉なのか――?)
 晶は、静かな違和感が広がっていくのを、感じていた。

 結局その後、学校では零奈からの接触は無かった。やはり襲撃があるとしたら、下校時が一番危険だろう。今日は一応、こよりが持ち歩いているロッドを、護 身用として借りてきている。理科室へ行く時には、油断して鞄の中に入れたままにしていたが、念のために制服のベルトに挿しておいた。〈析眼〉も開き、臨戦 態勢での下校である。
 しかし一向に、零奈は現れる気配が無い。あの巨大な〈浸透者〉による最初の被害者が出た公園に至ってもなお、零奈の姿は確認出来なかった。ここまで来れば、もう晶の自宅は目の前である。
(今日はもう来ないのか……?)
 公園を通り過ぎ、最後の角を曲がる。そこから三軒先が晶の家だ。そして、その前の道路に、小篠零奈が立っていた。
――やっぱり、待っていたか……。
 晶はロッドを取り出す。零奈は、武器は持っていないようだが、彼女は〈エグザ〉だ。何かしらの物体があれば、とりあえずは武器を〈対置〉して持ってくることが出来る。
 零奈はこちらに気が付くと、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。対する晶は歩みを止め、ロッドを構える。晶の臨戦態勢を見た零奈は、立ち止まり口を開いた。
「待って。私は貴方と戦いに来たんじゃないの、晶」
 両者の距離は、およそ十五メートル。立ち話をするような距離ではない。
「貴方と共にいる、倉科こよりの事よ。私は、貴方に忠告しに来た」
「忠告……だって?」
 晶は訝しむ。零奈の目的は何だろうか。晶に隙を作り、〈析眼〉を奪うためだろうか。それとも、とりあえずこよりから晶を引き剥がす作戦なのだろうか。いずれにせよ、警戒を解いてはいけない。
「あんたに忠告して頂く覚えは無いね、零奈先輩。この前は問答無用で襲ってきて、それは無いだろ」
「倉科こよりに、これ以上近付くのはやめなさい」
 私は貴方を救いに来た。零奈は、そう続けた。
 混乱する晶に、零奈はその真意を告げる。

「これ以上近付けば、貴方は彼女に殺されるわ」

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