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屠殺のエグザ

第十一章第四話:逃走 と 追走

 突如崩れた床に対応しきれず、男は階下へ落ちていった。しかし、ここで手を止めては意味がない。百戦錬磨のこよりを相手に、奇襲とはいえ大ダメージを与えるほどの男だ。相当の手練だと考えていいだろう。今は少しでも長く時間を稼ぎたい。晶は男を落とした穴の周囲を、再び〈変成〉する。質量を増大させ、下へ落ちた男に向けて大質量の瓦礫を大量にばら撒いた。いくら相手が手練でも、これでいくらかの時間は稼げるだろう。
「立てるか、こより」
 こよりは青い顔で頷き、足に力を込める。しかし、しっかり立ち上がる前にふらつき、晶へと倒れこんでしまった。
「いい。俺がおぶっていく」
「晶!」
 そこへ、〈アトラーバオ〉を持った零奈が駆け寄った。一部始終を見ていた彼女は、晶の意図も察しているはずだ。
「零奈先輩は、逃げ遅れている生徒の避難誘導をお願いします。敵の狙いは、恐らくこよりです。他のみんなに危害が及ぶことはないと思いますが……」
「晶は?」
 零奈は、晶の背におぶわれるこよりを見ながら尋ねた。肩をやられているこよりは自力で晶にしがみつくのも難しく、晶には見た目以上の負担が掛かっている。その状態では、長く逃げられないだろう。
「わかっています。けど、ここじゃみんなを巻き込んでしまいますから。当てはあります。そこまで……何としてでも、逃げきりますよ」
 とはいえ、その言葉にどれだけの保証があるだろう。零奈は心配そうな顔で聞いていたが、しかし、現状ではそれが最良の方法だ。零奈が護衛に着けば晶とこよりはある程度の安全が保証されるが、敵の〈エグザ〉と一般人を一緒に置いていくことになる。敵の狙いがこよりであることは明白だが、かといって相手が一般人に手を出さないという保証はない。
「……わかったわ。晶も、気を付けて」
 零奈は、やっとの様子でそう言った。晶が頷き、こよりを背負ったまま出口へと向かう。その背に、零奈の言葉が投げかけられた。
「避難が完了したら、そっちと合流するから。だから、無茶しないで!」
 晶は「わかりました」と答えると、出口を出た。一階席だったのが幸いして、出てすぐがエントランスだ。逃げ惑う生徒達に紛れるように、晶はホールの建物を脱出する。
「……ごめん……ね……」
 耳元でこよりが、途切れ途切れに呟いた。出血がまだ止まらないせいか、呼吸も不安定だ。
「重たいんだよ、お前。増えてんじゃねぇか、体重」
 必死に軽口を叩く晶の顔にも、余裕はない。外はホールの惨状が嘘のように平和だが、今はその落差すら煩わしく、晶は歯を食いしばって目的地を目指した。道行く人たちが、ぎょっとした顔で晶たちを見ている。ある者は慄くように道を空け、ある者は心配そうに声を掛けようと近付いてきた。しかし、今の晶には何も見えていない。
「……ひどい……な……。ふえ……て……るの……は……むね……だ……け……」
 出血は酷いが、致命傷ではない。〈エグザ〉は〈析眼〉や〈換手〉が、その所有者をあるべき姿に維持しようと努めるため、極めて賦活能力が高いのだ。ゆっくり休めば、一時間もすれば自力で走れる程度には回復するだろう。
 だが、敵はそれまで待ってはくれない。
 先の襲撃で、敵が一般人を気にするタイプではないことは十分に理解した。もしここで追い付かれたら、一般人に被害が及ぶかもしれない。そうでなくても、手負いのこよりを守りきれないだろう。最悪、二人とも殺される。
 そんなのは、ごめんだ。
 赤信号を、無視して渡る。急停止した自動車のドライバーが、晶に罵声を浴びせかけるも、その異様な状態に言葉を失ったのか、途中で黙り込んでしまった。
 こよりの血液で、晶の制服も既に血まみれだ。もはや、どちらが怪我を負っているのか、見た目で判別は不可能だろう。
「言うほど……育って……ねぇだろ……っ」
 足が重い。気ばかり急いて、つんのめりそうになる。気になる後ろを、しかし振り返らず、ひたすら前だけを睨みつけた。
 目的地まで、あと、少しだ。

 一通り避難誘導を終え、零奈はそろりと陥没して出来た穴に近付いた。油断しないように、〈アトラーバオ〉を構えて、いつでも攻撃に移れるようにしている。
(鎌状の〈神器〉……もしかしたら、敵は)
 だとしたら、こよりを襲った動機は容易に推察できる。同時に、とても自分の手に負える相手ではないことも。
 ぎり、と〈アトラーバオ〉の弦が軋み音を上げる。こめかみから頬へ、一筋の汗が流れた。冷や汗だ。
(あの子とやったときは……何ともなかったのに)
 倉科こよりが「最強の〈エグザ〉殺し」だとすれば──そして相手が、零奈の推測通りなら、彼は「究極の〈エグザ〉殺し」だと言えるだろう。もはや〈エグザ〉をして人外と言わしめる、文字通りの化け物。
 本来なら直接の対峙を避ける相手だが、今回ばかりはそうも言っていられない。
──晶の傍にいることだけが、晶を守ることじゃないもの。
 幼い頃の誓い。尊敬するあの人との約束。
 晶はもう強くなってしまったけど。晶はあの子を守るために戦うって言ったけど。
 なら、私は──そんな晶を助けることが、晶を守ることだって思うから。
 ほんの僅かの時間稼ぎでも構わない。それが、晶の命を繋ぐことになるのなら。

 零奈は、絶望の淵を、覗き込んだ。

「どうした、お前たち」
 こちらに気付き、手を上げたラーニンが、二人の異常な姿に気付いて表情を引き締めた。
 先の騒動で崩壊し、先日封鎖が解かれたばかりの区域。とは言え、まだ〈協会〉絡みの処理が残っている深部では、常に数人の〈エグザ〉が事後処理に当たっていた。〈粛清者〉であるラーニン・ギルガウェイトとて、人員不足と、それが原因の混乱で正常に機能していない〈協会〉管下においては例外ではなく、今日も現場で作業をしていることを、晶は零奈から聞いていたのだ。
 この区域と市立ホールは比較的近く、徒歩数分という距離なのも幸いした。もっとも、こよりを背負った状態では、倍以上掛かったのだが。
 晶が事情を話そうとすると、ラーニンはそれを手で制し、少し離れた場所へ案内した。周囲に崩壊しそうな建物がなく、地面にも比較的瓦礫が少ない場所。その上で、ラーニンは離れた場所に駐めてあるバンから毛布を〈対置〉して、地面に敷いてくれた。
「まずは倉科こよりを降ろせ。その状態では、彼女だって辛いだろう」
 晶は礼を言うと、こよりの負担にならないよう、静かに降ろした。さりげなく、ラーニンも手伝ってくれている。
 楽な体勢になったせいか、あるいは少しずつ傷が癒えているのか、こよりの呼吸が安定し始めた。
「で、どうした。彼女がこれだけの傷を負うとは、相当の手練だと思うが」
 さすがに〈エグザ〉殺しの専門家、〈協会〉内でも対〈エグザ〉戦の知識が豊富なラーニンには、こよりを襲った相手が〈浸透者〉でないことは明白か。
「〈エグザ〉です。二十代の男性で、腰よりも長い……かなりの長髪でした。奇襲を受けて──こよりは、回避したんですけど」
「傷を見る限り、回避しようとした形跡は見えん。クリーンヒットだ。そもそも一撃で致命傷を与えるつもりもなかったようだがな。君の言うように彼女が回避したのなら、ここまで綺麗に斬られはせんと思うが?」
 晶の言うことを疑うというより、晶の言を信じた上での疑問。恐らくは、敵を特定するために必要な、ラーニンなりのヒアリング。
「避けたんです。完全に間合いの外でした。なのに──」
 攻撃動作の直前、陽炎のように男の体が揺らぎ──気付いたときには、こよりは斬られていた。こよりの回避に男が追随したというよりも、あれは。
「〈神器〉か?」
「はい。恐らくは……所有者を〈移動〉させる効果を持った──」
 ラーニンは、低く唸り、考える素振りを見せた。同様の効果を持つ〈神器〉がどれほどあるかは分からないが、この情報だけで絞りきれるだろうか。
「〈移動〉能力を持った〈神器〉は、いくつかある。たとえば、私の〈断罪剣〉と同じ製作者が作った〈夢幻無双〉。〈神器〉を中心に半径およそ一メートル程度までの〈移動〉を可能とする〈神器〉だ。通常は回避行動を取るために利用されるが、攻撃に転用できないこともない。外見は野太刀だったか?」
「いえ、巨大な鎌でした」
 途端に、ラーニンの顔が険しくなる。あまりよくない予感を抱きながら、晶は尋ねた。
「……知ってるんですか?」
 ラーニンはすぐには答えず、晶とこよりを交互に見た。しばらく考えているようだったが、やがて諦めたように話し始める。
「〈神器〉の名は〈陽炎魔鎌(ヒートヘイズデスサイズ)〉、所有者は〈四宝を享受せし者〉レイス。……究極の、〈エグザ〉殺しだ」
「〈四宝を……享受せし者〉……?」
 あまりピンとこない晶の様子に、ラーニンが聞いた。
「〈グラックの五大神器〉というのを、聞いたことがあるか」
「……確か、以前真琴が……」
 〈グラックの五大神器〉。〈神器〉製作の神とすら言われるグラック=ラバロンが作った、最強と謳われる五つの〈神器〉。
「一つでも強大な力を持つとされるその〈神器〉を、奴は四つ手に入れている。彼と対峙して生き残った〈エグザ〉は、ほとんどいない」
「そんなに強いんですか、その〈神器〉」
「君は知っているはずだが? 倉科こよりの〈神器・エグザキラー〉は、〈四宝を享受せし者〉が手に入れていない、最後の〈神器〉だからな」
 なるほど。つまり敵の狙いはこより自身ではなく──。
「まさか、〈エグザキラー〉を狙って?」
 晶の問いに、ラーニンは小さく頷いた。
「可能性は高い。倉科こよりに致命傷を与えなかったのも、〈エグザキラー〉を〈対置〉させるためだろう。〈エグザキラー〉は、〈陽炎魔鎌〉のアンチテーゼだからな」
 〈析眼〉であの一瞬を見ていた晶には、ラーニンの言葉の意味が分かった。〈陽炎魔鎌〉は、相手の回避運動に合わせて、所有者と〈神器〉自身を〈移動〉させる能力を持っている。だが〈エグザキラー〉なら、〈陽炎魔鎌〉に打ち合わせれば、〈陽炎魔鎌〉を対象とした全ての〈対置〉効果を無効化できる。まさしく、〈陽炎魔鎌〉にとって〈エグザキラー〉は天敵といえる〈神器〉なわけだ。
「それなら、欲しがる理由も分かりますね」
「理由はそれだけではないだろうがな。ともかく、戦うのは危険だ。ここも安全とは言い難い。早急にこの場から離れ、応援を待った方がいいと思うが?」
「期待できますか?」
 聞き返した晶に、ラーニンは肩を竦めて答える。
「できないな。人員をかき集める程度なら何とかなるだろうが、犬死にを増やすだけだ。そんなことはできんよ」
「結局……ここで止めるしかない。違いますか?」
 ラーニンとしては、首を縦に振るわけにはいかないのだろう。答えを探す様子の彼に、晶はなおも言葉を重ねる。
「力を貸してくれませんか、ラーニンさん。〈断罪剣〉なら、〈陽炎魔鎌〉を使わせないことができるでしょう? このままにしておいたら、きっとこよりはあいつを討ちます。俺はもう、あいつに殺させたくないんです」
 もう、〈屠殺のエグザ〉などと呼ばせない。
 そのために晶は、決意したのだ。

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