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屠殺のエグザ

第十二章第十一話:こより と 宗一 と

 呆然と立ち尽くす宗一。
 持ち上げられた手は、そのままの姿勢で固まっている。まるで、信じられないものでも見たような――。
「君にどれほどの能力があったとしても、もう使えないよ」
 ゆっくりと、晶が宗一に歩み寄る。
「このフロアに……君の〈絶対領域〉にある物体は全て、〈エグザキラー〉に触れた。君はもう、〈対置〉能力を使えない」
 宗一の顔が、絶望から激怒へと塗り替えられていく。
「それが――」
 絞り出されるような、声。宗一の手は、震えていた。
「それがどうした! あんたを殺せば終わる! この手で! 僕が!」
 感情と同様に、宗一の足元が爆ぜる。十メートルほどの距離を一瞬でゼロにする踏み込み。その動きは、こよりによく似ていた。
 裂帛。〈神器封殺〉が、袈裟に晶を襲う。その速度は、あるいは真琴すら凌駕していたかもしれない。
 ――でも、ダメだ。
 感情任せのデタラメな攻撃。そして、こよりによく似た動き。
 火花が散る。受けているのはロッド。宗一が、上から覆い被さるように力を掛ける。
 鍔迫り合いの宗一を、後ろからふわりと抱く腕。
「もう、いいよ、宗一。私たちは……間違ったんだよ……」
 その腕が、ゆっくりと、上へ。
「……でも、それなら姉さんは、何処に行けばいいんだ。何処にも居場所なんてないじゃないか」
 宗一は、泣いていた。涙を流すことなく、泣いていた。
「ここに、あるよ」
 大切な人がいる、それだけで。
「それだけで、良かったんだよ」
 こよりの手が、宗一の右眼に触れる。
「姉さん……」
 発光。白光。宗一の右眼は〈対置〉され、晶の右眼に本来の光が戻る。
 代わりに宗一が得た〈析眼〉は、こよりのもの。
「最初から、こうしておけば良かったね……ごめん」
 宗一に、こんな苦しみを与えるくらいなら。
「……離れて、姉さん」
 宗一が後ろへ跳び、距離を空ける。
「村雨晶。僕は、あんたを……!」
 最後の斬撃。
 それは、少しだけ、

 何かを、終わらせた。

 床に転がった宗一の元に付き、こよりは静かにため息をついた。
「終わったのかな、これで」
 眼を取り戻し、宗一に勝った。崩壊へ向かう世界を止めることは出来たか。
「いや」
 まだだ。
 晶が、鋭い眼で空間を睨む。
「手遅れだよ。世界は終わる」
「宗一……」
 宗一は、ぼんやりと天井を眺めている。そこにはもう、覇気はない。
「これだけ空間を歪めて、穴を開けたんだ。あとは放っておいても〈此の面〉から流出する質量で空間は自己崩壊を起こす。もう誰も、この終わる世界を止められないよ。たとえ、〈変成〉持ちの〈析眼〉でも」
 淡々と。
 宗一は視線を横に向けた。そこにあるのは、徒人には見ることの叶わない現象。世界を呑み込む、空間の穴。物理法則すら歪ませる暗黒。
 それが、すぐそこまで迫っていた。
「止めるさ」
 晶が、当たり前のように言い放った。
「この世界がこよりにとって大事なら。こよりが、この世界を大事だと思ってくれるなら。俺が止める、こよりの居場所を、守ってみせる」
 無理だよ、と宗一が呟く。構わず、晶は空間の穴へ向けて歩き出した。
「晶、ダメっ!」
 じわじわ広がる穴の前で一度だけ、晶が振り返る。
「大丈夫、――行ってくる」
 最後の一歩を、踏み出す。
 穴の向こうに掻き消えた晶に、こよりの悲痛な叫びが届くことはなかった。

 〈此の面〉と〈彼の面〉の境界。
 あちら側でも、こちら側でもない場所。
 二つの違う空間を接続する、空間ではない世界。
「ここが、――」
 声が響かない。ただ、発したという事実が概念として浸透していく。
 地面はなく、だが浮いているわけでもない。あえていうなら、存在している。
 自分以外の存在を、認識出来ない。
 ――だが、あるはずだ。
 ここに呑み込まれた存在が。〈此の面〉にあるべき物質が。
 開け。
 お前の眼が〈析眼〉なら、見通す力があるのなら。
 出来るはずだ、村雨晶。

「行ったのか、あいつ」
 ぼそりと呟いた傍で、こよりが青ざめている。
「晶……そんな……」
 体に力を入れる。かなり痛むが、精々が打撲程度だ。歩けないほどではない。
「宗一、何を――」
「僕も行く。こんなところで壊されてたまるか」
 最後の、最後で。
「姉さんはここで待ってて。僕が、必ず……」
 振り返らない。晶とは違う。
 ――ほら見ろ。
 あんただって、本当は――。

 何百回目か分からない〈変成〉を終え、晶は深いため息をついた。
「こんなもんかな。これでもう、穴も塞がっただろ」
 巨大な質量が空間に穴を開けたのなら、穴の裏側に巨大な質量を置いてやれば相殺出来るはずだ。
 穴は見えない。成功したようだが、戻る手段は失われた。
 ――ここで、独りか……。
 こよりの顔が脳裏によぎる。もう、会うことも出来ないのか。
 ふと、視界に何かが入った。最初は小さな濁りのようだったそれは、徐々に大きくなり――やがて、人間の姿を為した。
「宗一君……?」
 まさか、ここまで追って来るとは。もう穴は塞がっているはずだが、どうやって入ったのか。
「あんた、よくそんなので〈析眼〉を使えるな」
 晶が疑問をそのまま口にすると、宗一は呆れたような顔をした。
「ここは空間と空間の間、空間の存在しない場所だ。空間がなければ、時間も存在しない」
 それより、と宗一は言った。
「どういうつもりだ、あんた」
「何が言いたい」
「あんたはここで何をしてるんだって訊いてるんだ」
 苛立たしそうに、宗一が顔を歪める。
「姉さんの、大事な〈此の面〉を守るって言っただろ! ならあんたは、何でこんな場所にいるんだよ!」
 宗一の手が、晶の胸倉を掴む。
「あんたのいない〈此の面〉が、それでも姉さんにとって大事な場所だって、本気で思ってんのかよ!」
 宗一は、怒っていた。晶は、何も言い返せない。だが、これしかなかった。こうするしか、他に。
 そのまま宗一は晶を睨み付けていたが、やがて低い声で言った。
「あんたは、僕が返依す」
 胸倉を掴む手に、更に力が込められる。
「僕は、〈エグザ〉だ」
 睨むその眼は、こよりの〈析眼〉。
 掴むその手は、宗一の〈換手〉。
 こよりと、宗一と。
 共に歩んで来た、姉弟の。
「宗一君……君は……」
 宗一は戻らないつもりだ。その覚悟でここに来たのだ。ただ、晶を〈此の面〉へ返依すために。
「僕はあんたが嫌いだ。多分、これからも好きにはなれない。でも、姉さんを救ったのも、――あんただから」
 だから、姉さんを頼む。
 晶の体が光に包まれる。間違いなく、これは〈対置〉の光。
 〈此の面〉に返依される直前に見えた、眼の前の顔。
 最後の宗一は、寂しそうに笑っていた。

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