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屠殺のエグザ

第七章第六話:対置 と 対置

 〈対置〉してくれ――真琴は確かにそう言った。しかし。
「こ……この状況で何を〈対置〉して欲しいのかな……」
 こよりは、二階で繰り 広げられ続けている真琴と〈浸透者〉の戦いを仰ぎ見ながら呟いた。二階というよりも外壁に沿って設けられた回廊の方がしっくりくるその場所には、こよりが 戦いに加われるだけのスペースは余っていない。〈浸透者〉の後方には空きスペースがあるが、登るための足場が無く、迂回しようにも途中にドラム缶がいくつ も積んであって通れない。こよりが真琴の援護をするよりも、階下で〈浸透者〉の逃亡を阻止する役目を選んだのもそのためだ。そして、真琴はこよりに何かの 〈対置〉を求めた。
 〈対置〉能力は、物体と物体の位置を入れ換える能力だ。そのためにはある程度の条件をクリアしなければならない。
  まず、交換する物体に必ず手を触れていること。次に、交換される物体は二十四時間以内に手を触れたことがあり、かつその物体が壊れるなどして本質が書き換 わっておらず、さらに〈対置〉の際に視界に入っていなければならない。つまり、「手を触れている物体」と「遠くにある物体」を入れ換える以上、〈エグザ〉 から見れば「遠くの物体が手元に来た」ような感覚となる。その代わりとして今まで手を触れていた物体は、手元に来た物体のあった位置に置き換えられるわけ だ。
 故に、今ここでこよりが〈対置〉しようとも、こよりの手元に何らかの物体が来るだけなのである。こよりが二階での戦闘に干渉出来ない以上、そのことには何のメリットも無い。
 確かに、真琴の周囲にある物体に対して〈対置〉を行えば、結果的に真琴の元に何らかの物体を送り込むことは出来る。しかしそもそも、真琴の周囲には〈対置〉出来そうな物が何も置かれていない。
  こよりの思案の最中、真琴が致命的とも言える反応の遅れを見せる。〈浸透者〉の攻撃を弾き返したのはいいが、脇から続けざまに放たれた攻撃を確認するのが 遅れた。辛うじて身を退いて避け、鼻先を、鋭い爪が通り過ぎる。ぎりぎりとはいえ均衡を保っていた戦いだったが、ここに来て真琴は〈浸透者〉に押され始め た。〈浸透者〉は別に真琴を倒す必要は無い。弱らせて隙を突き、この場から逃げおおせればいいのだ。返依せなければ負けである自分たちとは条件が違う。
 じりじりと真琴が押されていく。〈析眼〉をもってしても視認出来るかどうかという攻撃を、真琴は実に反射神経だけで受け続けていた。その能力は驚嘆に値するが、蓄積された疲労は隠せない。真琴の表情にも、焦りが色濃く表れ始めた。
「せめて、援護だけでも出来れば……」
 二階の足場が狭くなければ、自分が助太刀に行けるのに。この場を守るのも大事な役目だが、真琴の負担が限界に来ている今、向こうには一人でも多くの戦力が必要なはずなのに。
「遠距離攻撃が出来る武器を、私が持っていれば援護も――っ」
  歯がゆい。自分の武器はいつも携行している折り畳みのロッド、そして〈絶対領域〉に保管してある幾つかの剣と、――晶の前では出せない、あの忌まわしい 〈神器〉だけだ。せめて、あの〈急進の射手〉小篠零奈のように、弓のひとつでも持っていれば下から援護でも出来るのだが。
――弓?
 何か引っかかった。
 本当に無かったのか? 遠距離で攻撃出来る武器が。
 本当にいなかったか? 遠距離で攻撃出来る人間が。
 もう一度、この作戦を頭から追いかけて考え直し――
『〈対置〉だ、こより!』
  インカムから聴こえる晶の声に、こよりは周囲を見回した。開いた〈析眼〉は、晶ほどではないにせよ、眼に映る全ての物体の本質を明確に映し出す。今必要な のは質量の情報だ。その眼が、底に少しだけ油の溜まったドラム缶を視認する。こよりはそのドラム缶に飛びつくように手を当て、窓から外を見上げた。少し 曇った窓ガラスを通して百メートル余り、砂粒のような大きさの晶が、マンションの上からこちらを見ている。
「いくよ、〈対置〉!」
 こよりが叫び、手を触れたドラム缶が眩い閃光を放った。その光の中から、小さな何かが〈浸透者〉へ向けて飛び出し――真琴へと繰り出された爪に当たる。
 光が収束し、ドラム缶があった場所には、

 村雨晶が、立っていた。

「ごめん、気が付くの遅れた!」
 こよりの詫びには答えず、晶はポケットから〈変成〉された紙切れを取り出し、続けざまに〈浸透者〉へ向けて放った。マンションの上からでも正確に狙える晶の〈析眼〉には命中させるなど容易いことである。
 攻撃中に横槍を入れられ気を逸らしたか、手が一瞬鈍る〈浸透者〉。その隙を逃さず、真琴はラッシュを仕掛ける。
 真琴の口から迸る、裂帛の気合。それに押されたか、先ほどまで真琴を押していた〈浸透者〉は、逆に押されている。
「こより、俺を!」
「うん!」
 〈対置〉の際、ドラム缶に触れていた右手は、今は晶の背中にぴったりと押し当てられている。こよりはそのまま、視線を二階の端――〈浸透者〉の背後へと動かした。
 下から晶が援護していれば、確かに真琴は安定して戦える。しかし、自分たちの目的はこの〈浸透者〉を返依すことだ。そのためには、〈浸透者〉に直接手を触れなければならない。戦い続けるだけでは、そんな大きな隙を見せてはくれないだろう。
 だから。
 二階、〈浸透者〉の背後でその退路を塞いでいる積み上げられたドラム缶、そのひとつ。
「〈対置〉!」
 ドラム缶と引き換えに二階へと〈対置〉された晶は、出現と同時に地を蹴った。その背後で、バランスを崩したドラム缶が崩れる音が聞こえる。
「こっちだ、〈浸透者〉!」
 振り向いた〈浸透者〉の顔に動揺が走る。後ろには誰もいないはずで、登っては来られないはずだった。しかし今、右眼を爛と輝かせた少年が、腰から木刀を抜いて間合いを詰めている。〈浸透者〉は咄嗟に、突如現れた刺客を迎撃すべく爪を繰り出した。
(力のポイントさえ見誤らなければ――受けられる!)
 手元へ伸びる腕、その先に鋭く光る爪。僅かな予兆から膨大な未来を予測する晶の〈析眼〉は、予め決められた位置を知っているかのように、〈浸透者〉の攻撃を受けさせる。爪と爪の間に木刀を挟み込み、捻って動きを止めた。生まれる隙は僅かだが、今はそれで十分過ぎる。
「真琴!」
  晶の呼びかけに呼応し踏み込む、〈疾風の双剣士〉荻原真琴。一瞬とはいえ右腕を封じられた〈浸透者〉は、半身の構えのまま真琴へと左腕を伸ばす。鋭いその 攻撃を、真琴は類稀な反射神経で、微かに身体を沈ませただけで避け切った。片腕を晶が封じている今、〈浸透者〉にはもう攻撃する手段は残っていない。
「これで……ッ」
 手を伸ばす。〈浸透者〉の胸に、真琴が下から突き上げるように掌を当てた。
「返依って下さい!」
 〈換手〉から零れ落ちる光の粒。眩く溢れる閃光。〈浸透者〉の身体はその光に包まれて、断末魔の悲鳴を残して消滅した。

「……終わり、ました」
 肩で息をする真琴が、そう言って向かい合わせに立つ晶へ笑って見せた。身体中が、汗でじっとりと湿っている。
「お疲れさん」
「こより先輩も、ありがとうございましたー!」
 二階の柵から身を乗り出して、真琴がこよりにも礼を言った。こよりは笑って、手を振り応える。
 安堵の空気が流れる深夜の工場で、展開された〈浸透者〉との戦いが幕を閉じた。

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