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屠殺のエグザ

第十二章第一話:正体 と 招待

 久々にゆっくり出来る休日は、こよりと外出することで消化されることになった。揺れる若葉は爽やかに、淡い日差しが心地良い。ん、と伸びをして、晶は振り返った。
「たまにはこういうのもいいもんだな。さて、どこ行こうか」
 いきなり振り返った晶に驚いたのか、こよりは一瞬眼を見開き、すぐに視線を道の端に逃がした。
「い、いきなり言われても」
 モゴモゴとはっきりしない様子のこよりに、晶は呆れたように腰に手を当てた。
「お前が言い出したんだろ? どっか行きたい場所とかないのかよ」
「と、特には。君とぶらぶら歩けたら、それで」
「何だそりゃ」
 相変わらず変な奴だ、と晶がぼやいていると、ポケットで携帯が鳴った。
「誰?」
 零奈先輩、とだけ答えて通話ボタンを押す。こよりはあまり面白くなさそうだ。
『お邪魔だったかしら?』
「先輩、知ってて電話してきたでしょ?」
 自然、晶の顔が苦くなる。何故零奈が今日の予定を知っている?
『〈協会〉の情報網を甘く見ないことね』
 さらっととんでもないことを言う。プライバシーもへったくれもないのか、あいつらは。
『まあ、他の連中はともかく、私は野暮なことはしないわ。折角のデートですもの。せいぜい楽しんでらっしゃいな』
「他の連中ってなんですか」
『あなたはもう少し、自分が有名人であることを自覚すべきね。かの悪名高き〈屠殺のエグザ〉を御した徒人、〈変成〉持ちの〈析眼〉を片側に宿した〈析眼の徒人〉。その行動に興味を持たれないとでも?』
 いつになく言い方に棘がある。もしも隣にラーニンがいれば、間違いなく口を挟んでいるレベルだ。
「で、本題は?」
 諦めて、話を本来の方向に戻す。だが。
『……別に? ちょっと声が聞きたかっただけ』
「何すか? それ」
『〈屠殺のエグザ〉がリストから外されて、心配事が減ったでしょう? あなたはこれで、彼女に集中出来る』
 何が言いたいのか分からない。聞きなおそうとしたとき、こよりが携帯をひったくった。
「あまりいい趣味じゃないね、〈急進の射手〉」
『……あなたの声は、聞きたくなかったのだけど』
 突然変わった電話の相手に面食らったのか、しばしの絶句の後、零奈は硬い声で返す。相変わらず、仲良くとはいかないようだ。犬猿の仲を地で行っている。
「リスト除外の件、あなたからの後押しもあったと聞いてるわ。それに関しては感謝してる」
『晶の心配事が減るなら、是非もないわ』
「でも、だからって何もこんな時に電話掛けてくることはないでしょ?」
 一触即発の緊張感の中、晶がため息をつく。この展開は容易に想像出来た。
『私はあなたが嫌いなの。だからこれは嫌がらせ。とりあえず目標は達成出来たようだし、ついでに言っておきたいことがあるのだけど、いいかしら?』
 返事をしないこよりの態度を了承と取ったのか、零奈は話を続けた。
『私にとって、晶は誰よりも大切な人なの。あなたの介入で少々予定が狂ったけど、そもそも私は彼の前に姿を現すつもりはなかった。影から見守ることが、私の役割だと思うから。だから、彼が誰を選んでも文句はないわ。でも……』
 電話の向こうで、零奈が一度、言葉を切る。次の一言は、重たい。
『もしもあなたが晶を裏切ったら、私があなたを殺すから』
 しばしの沈黙。ややあって、こよりが重たく口を開いた。
「私には、守りたいものがある。もしあなたがそれを阻むなら、たとえ晶がそれを望まなくても、私はあなたを討つ」
 晶には零奈が何と言っているのかは分からないが、どうやら物騒な内容のようであることは分かった。
『食えないわね、あなた』
「あなたもね」
 零奈は電話の向こうでふうっとため息をつくと、声の調子を変えた。
『まあ、いいわ。折角気兼ねなくのんびり出来るんですもの。ゆっくりデートしてきなさいな、晶と』
「ええ、そのつもりよ。ありがとう、〈急進の射手〉」
 矛を納めたのは、互いに急だった。
「代わる?」
『遠慮しておくわ。晶は水を差されたくないだろうし』
「控え目ね」
『弁えてるだけよ』
 こよりが、ちらりと晶に視線を送る。それだけで察したのか、晶はこよりに背を向け、距離を開けた。
「……ねえ、あなたがその気になれば、多分彼はあなたを邪険にはしないわよ。私から、彼を奪い返せるかもしれない。あなたは、それでいいの?」
 こよりの声は低い。苛立っているのか。だがそれは、何故か。
『気付いてないとでも? あなたが本当は、何を考えているか』
 零奈の答えは、およそ答えと思えない。しかし、こよりは黙り込むしかなかった。
『……私は、晶が好き。あるいは、それ以上。だけどね……』
 聞くこよりの顔が、痛苦に歪む。
『あなたの逃げ口上にこの気持ちを使われるのは、我慢ならないの』

 終始心ここにあらず、といったこよりの様子は、夕方まで続いた。零奈との通話が原因であろうことは確かだったが、晶は、その内容を聞き出すつもりはない。
ーー知られたくない内容なのだ、自分には。
 適当にぶらぶら歩き、屋台や露店を冷やかす間、こよりはよく笑顔を見せた。少なくとも、楽しそうに過ごしていた。
 だが、ふと気付くと遠くを見ている。何を見ているのか、あるいは何も見ていないのか、気付くと視界に自分がいない。
 呼びかけると、すぐに返事をする。意識の中に、晶はいるのだ。なのに。

「ねえ、訊いてもいいかな?」
 帰路、夕陽が赤く染める橋梁の上。出会って間もない頃、こよりが〈浸透者〉と戦った橋を北に望む場所。欄干に手を掛け、こよりが呟く。
「もしも、この世界が消えてなくなるとしたら、君はどうする?」
 こよりに並び、晶も北の橋を眺める。あの戦いで、彼はこよりを守ることを決めた。戦うことを、選んだ。
「それでお前が傷付くなら……」
 風が吹く。遮るもののない、遠慮会釈のないそれに、晶は左眼を細めた。
「俺は、そんな結末を許さない」
 しばしの沈黙の後、こよりが口を開く。しかし、答えを聞くことは叶わなかった。耳朶を覆う風鳴りに阻まれた言葉を最後まで続けず、やがてこよりは飲み込んだ。

 真夜中、誰かの話し声で眼が覚めた。恐らく眠りが浅かったのだろう。何と言っているのかは分からないが、どうやら階下から聞こえるようだ。
 晶は静かに体を起こすと、そっと廊下に出た。ドアという遮蔽物がなくなったためか、よりはっきりと声が聞こえる。声の主はこよりのようだ。
 階段を降りる。相変わらずこよりの声は続いているが、相手の声が聞こえない。電話でもしているのか。
 声を追い、やがてリビングに到達した。僅かに開いたドア、その隙間からなかの様子を伺う。
「これが、私の役目だもの」
 リビングではこよりが、やはり携帯を片手に誰かと通話していた。表情は固い。感情の色も見えなかった。
「……そうね。これで私達の願いは叶う。……今度こそ、本当に」
 灯りのない室内。携帯の画面だけが、その頼りない光でこよりの顔を照らしていた。
 こよりの口が閉じられたが、通話を終えた感じではない。よほど口数の多い相手なのだろう。
「……それは……待って、まだ早い」
 こよりの表情が、揺れる。
「……分かったわ。あんたがそれを望むなら」
 答え。
 それから二言、三言話し、こよりが電話を切る。晶もまた、静かにその場を離れた。

「……ってことがあったんですよ! もう大変で……」
 大げさな身振り手振りで話すのはこよりの弟、宗一だ。以前の宅訪からこちら、こうしてたまに遊びに来ている。宗一には〈析眼〉がなく、同じように〈換手〉を持たない晶にシンパシーを覚えているのか、よく懐いていた。
「そりゃあ大変だったな」
 苦笑しながら晶が返す。最初は大人しい印象だったのだが、最近は地が出てきたのか、もう少し活発な方に印象は修正されている。さすが、こよりの弟だ。
「もうホントですよ。晶さんも、たまには姉さんを返して下さい。いざって時に困るんですから」
「こら、宗一。お姉ちゃんは彼の保護のためにここにいるんだからね。遊んでるんじゃないんだから」
 冗談混じりに抗議する宗一を、すかさず窘めるこより。だが宗一はどこ吹く風だ。
「そんなこと言って、姉さんは晶さんといたいだけでしょ?」
 ボッ、と火がついたように赤くなるこよりの顔。完全に遊ばれている。
「でも、本当に一度くらい帰ってきなよ。うちのことを放ったらかしなのもどうかと思うよ」
 窘めるような宗一の口調に、「でも……」とこよりは煮えきらない。
「じゃあ、いっそ晶さんと一緒なら? 僕もお邪魔してばかりというのも申し訳ないし、たまには招待してもいいんじゃないかな」
「そうだな。俺も君らの家がどんなとこか、見てみたいし」
 乗ってきた晶に満足したのか、宗一は我が意を得たり、といった表情だ。
「ね? 晶さんだってこう言ってるんだから。いい加減諦めなよ」
 逃げ道を失い、こよりは
「う……分かったよ……」
と、微妙にふてた顔で言った。

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