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屠殺のエグザ

第二章第五話:護衛 と 対象

 危ないと叫んだこよりの声で、反射的に晶は左へと避けた。頬を掠めて、何かが後方へと飛び去っていく気配。こよりは、見えないそれを追いかけ、制服に仕込んであったのか、ロッドを取り出し殴りかかった。
 何も無い宙空から散る火花。降りしきる雨の中、滴とともに散らしながら、こよりが舞う。対峙しているはずの相手は、しかし晶には視えない。
「おい……!」
 もしかして、〈浸透者〉か。その問いに、こよりは攻め手を休めず答えた。
「ええ、君には見えてないだろうけど……ねっ!」
 〈析眼〉を持つ者には、〈浸透者〉が見える。〈浸透者〉の影響を受ける。こよりは、晶が〈析眼〉を持っていると言った。ならば、これは。
 見えない状況。感じ得ぬ危機。ただ目の前で、こよりが雨に濡れて戦っているらしいということが、辛うじて理解出来るだけである。
 きっと、間違いだったんだ。俺が、〈析眼〉を持っているなんて。
 だから、もう自分は関係無い。こんな非日常に巻き込まれたくない。その思いが、晶を一歩下がらせた時だった。
 一際鮮やかな紅蓮が散り、こよりの手からロッドが、もぎ取られたように弾かれた。表面が黒く焼かれた折り畳み式のロッドは回転しながら、晶の脇を掠めて飛んでいく。
 こよりはバランスを崩しつつ、左腕で首の前を庇うように構えた。だがそれも一瞬のことで、直後にこよりは、残像を見せながら吹き飛ばされる。
「――――――!」
 もしかして、こよりは劣勢なのか? 晶は、目の前で人が吹き飛ぶという、およそ今まで遭遇したことの無い光景に混乱した頭で、しかしそれだけは辛うじて理解した。
 民家の塀に叩きつけられ、ずるりと地に落ちたこよりは、焦りと驚愕の入り混じった眼で、叫ぶ。
「晶、避けて!」
  混乱し呆然と立ち尽くしていた晶に、その言葉が意味するところを瞬時に理解しろというのは、いささか難かったかもしれない。晶の反応は僅かに遅れ、辛うじ て一歩下がっただけだった。直後に晶は、見えない何かの衝撃を受けて後方へと吹き飛ぶ。どうやら傘が緩衝してくれたらしく、体に直接的な打撃は無かった が、昨夜同じ状況で晶を守ってくれた傘は、しかし完全に破壊された。
 雨の中、濡れた路面を、晶が転がる。傘を介しての衝撃とは言え、転倒した痛みは直接体に受けている。全身が、痺れるように痛い。

――ああ、くそ。

 痛みを堪え、起き上がる。

――何で俺が、こんな……。

 雨に濡れ、肌に張り付いた前髪をかき上げる。ゆっくりとした足取りで、こちらに向かってくる〈浸透者〉が見えた。晶は、偶然にも足元に落ちていたこよりのロッドを拾い上げると、

――全部、お前のせいだ!

 迫り来る〈浸透者〉に向け、構えた。
 意に介さず、〈浸透者〉は歩み続ける。昨夜の〈浸透者〉と同じく、背中は硬い外骨格で覆われているが、腹部はずっと柔い。
 今の自分なら、この間合いを詰めるのにどれくらい掛かるか。一定に見える歩行速度の、僅かなブレのその先を見抜け。その隙間に、自分を滑り込ませろ。
 少しずつ詰まる距離。少しずつ減っていく到達時間。上下する、〈浸透者〉の体。
――今っ!
 晶が爆ぜた。体のバネを最大限利用し、初速を限界まで高める。タイミングは計ってある。〈浸透者〉に反応させる前に、到達する――!
 果たして、〈浸透者〉の体が最も上がった時、腹部と地面との隙間の最高点、晶は、〈浸透者〉の下に滑り込むように潜った。〈浸透者〉が体を落とすタイミングに合わせて、手にしたロッドを

 その一点に、突き上げる。

 重心を突かれ、〈浸透者〉の体が宙に跳ね上がった。
「おい、お前!」
 晶が、こよりに向け叫ぶ。
「〈エグザ〉なんだろ? 仕事しろ!」
 一瞬驚いたように眼をぱちくりさせ、しかしすぐにこよりは起き上がり、落ちてくる〈浸透者〉に追随する。
「〈彼の面〉の者、在るべき場所へ――」
 右手を伸ばす。〈析眼〉を開き、〈換手〉で触れて、
「返依れ!」
 〈浸透者〉は、地面に落ちる前に、〈此の面〉からかき消えた。

 雨に濡れて、二人は向かい合わせに立っている。
 〈析眼〉を朱く開く、倉科こよりと。
 髪をかき上げ、右眼を覗かせた村雨晶と。
「……状況、解ったよね」
 否応無く。
 この眼が、ある限り。
「俺は、巻き込まれるってことか」
 見えなかった。途中で見えるようにならなければ、殺されていたかもしれない。
 巻き込まれたくはない。
 しかし、もう既に、渦中なのだ。
 日常から外れ、非日常に魅入られてしまったのなら、すべきは。
「なら、守れ、俺を。お前が、守りたいって言うんなら」
 こよりのロッドを、晶は差し出す。受け取り、こよりは笑った。
「解った。倉科こよりは、君を守るよ。必ずね」
 雨は止まない。しかし、雲間から差した夕日が二人と、二人のいる〈此の面〉を赤く染め上げる。
 オレンジ色の雨の中で、倉科こよりは、村雨晶の護衛に就いた。

 帰宅してシャワーを浴びた後、晶は倒れこむようにベッドに入った。
 今日も色々ありすぎて、疲れた。特に最後の――こよりが家に入ろうとするのを阻止するのが、一番疲れた。いくら何でも、昨日今日見知った人間を家に上げるほど、警戒心が薄くはない。それに――。
「今、家には俺だけだしな」
 父は単身赴任中、母は晶が幼い頃に他界している。年頃の男女が二人っきりで、一つ屋根の下というのは、倫理的にまずい。
「……いや、女ってイキモノか、アレが」
 飛躍し始めた思考を、頭を振って追い出し、晶は布団を被った。
 考えなきゃいけないことは、他にある。
 自分が〈析眼〉を持っていて、そのせいで二度も……あるいはこれから何度も、〈浸透者〉に狙われる羽目に陥っている。その護衛に、学校のアイドルだとかいう猫被りの倉科こよりが、自分の護衛に就いて――。
「倉科こより、か」
 恐らくは今も、外で晶を守っている。その姿を思うと少しだけ、良心が痛んだ。

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