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屠殺のエグザ

第九章第一話:破壊 と 再生

 一時的に〈浸透者〉を退けはしたものの、このまま放置しておくわけにはいかない。それが三人の共通した認識だった。未だ〈浸透者〉はこの街にいて、刻一刻と浸透度を増している。もしも完全に表出してしまえば、一般人が被る被害は計り知れない。
 そうした結論から翌日夜、晶たちはまた集まった。無限に傷を回復する〈浸透者〉をどうすれば抑えられるかは分からない。だがそれでも、このままにしておくことは出来なかった。
「東側は無し、南側も異常無し。北側には〈協会(エクスラ)〉の〈対置能力者(エグザ)〉が回ってるってことだから――西側かな、あとは」
 深夜、事前に設定したルートに従い捜索を進めたが、〈浸透者〉を見つけることは出来なかった。痕跡すら残っていないところを見ると、あまり一箇所から動いていないのかもしれない。
「あっちって民家多かったよね。それに、高速道路のジャンクションもある」
 こよりの言葉に、晶は頷いた。もしもあそこで〈浸透者〉が表出したら、その被害は市内の他の場所に比べて格段に大きくなるだろう。
「この時間ですし、出歩いている人は少ないと思いますけど……でも、幹線道路も通ってます。夜間とはいえ、交通量は少なくないです」
  無限に回復を続ける〈浸透者〉、これを返依(かえ)すために考えられる手段はあまり無い。晶の〈析眼〉で〈浸透者〉の回復効果を無効にすればダメージを与えられなくもないだろうが、そもそもそれが可能なら最初からこよりか真琴が返依している。それに、恐らく〈浸透者〉の回復能力は〈変成〉の一種だ。回復無効の効果と相殺し合い、無意味になってしまうことも考えられる。
 有効な対応策が見出せないまま、三人は街の西側を南北に貫く幹線道路に出た。こ こを北上すれば高速道路のジャンクションがあり、またこの道路を挟んだ東西には古い民家が広がっている。深夜のため人通りは見られないが、自動車はそれなりに走っている。少なくとも、戦うのに適した場所とは言い難い。
「どう? 〈浸透者〉の痕跡見える?」
 こよりが、右眼を露出し虚空を睨む晶に尋ねた。一応はこよりや真琴も視てはいるのだが、晶の〈析眼〉に比べてその精度は劣る。彼の眼は、それこそ未来や過去をも見通す神通の瞳だ。
「かなり車が走ってるから、痕跡が消えてしまってるな。民家の方に移動して視た方がいいんじゃないかと思うけど」
 それじゃそうしようか、と言って、こよりは頷いた。
 道路の側へ振り返る。車が一台去り過ぎる。横断歩道の向こう、赤を示す歩行者用信号、その下に、

 その男は、立っていた。

「――!」
 こよりが短く息を呑み、身を硬くする。ゆっくりと男が顔を上げた。晶にも、〈析眼〉を開いた今なら分かる。こいつは――。
「あれ、あの人……」
 真琴が呟いた。その声に呼応するように、男が口を開いた。
「いい夜だ」
 また一台、車が互いの間を走り抜ける。かき混ぜられた夜の冷気に塵が舞った。
「そこのお嬢ちゃんはご存知のようだがな。まあ一応、名乗っておこう」
 晶の背中を、一筋の汗が滑り落ちた。ちくしょう、嫌な汗だ。
「俺の名はラーニン=ギルガウェイト。〈血の裁決〉と言えば分かるかな? 〈屠殺のエグザ〉」
 やっぱりか。緊張に奥歯をかみ締める晶の隣で、真琴が「やっぱり」と呟く。真琴が知っている〈エグザ〉だとすれば――かなりの強敵だ。
「今更言うまでもないだろうが――俺は〈執行者〉として、お前を狩る。数多の同胞を殺めたその罪、死する程度で償えると思うな」
 ラーニンと名乗った男がそう告げた途端、周囲の空気が凍り付いた。恐ろしいまでの殺気は呼吸すらも阻み、晶はそれだけで行動を束縛されたに等しい。信号が、赤から青に変わる。ラーニンは背負っていたスポーツバッグを下ろすと、叫んだ。
「こい、〈神器〉!」
 眩い閃光、それが収束した時、既にラーニンは間合いを詰めに入っていた。筋肉質な体躯は二メートル近い巨漢で、それが一瞬で十数メートルを詰める様は出来の悪い特撮のようだ。右手には巨大な剣。あれがラーニンの〈神器〉なのか。
「反応が遅いぞ、〈析眼の徒人〉」
 ラーニンの声に晶は我に返る。既にラーニンは間合いの内。あの大剣は横に薙ぎ払われる。それは読めるが――回避には、もう遅い。
「くっ……!」
 反応すら許されず、晶が死を覚悟した時、彼の前に小さな人影が飛び出した。同時に発生する、脳を揺らすような高周波。
「真琴!?」
 ラーニンの攻撃を、真琴が〈SHDB〉で受け止めていた。互いの剣の接点が激しく振動し、かなりの熱を持っているのが見える。発生した高周波の出所はここらしい。
「……〈SHDB〉か。役に立たない骨董品だが、なるほど、それなら俺の〈神器〉と打ち合える」
 感心したように頷くラーニンだが、受けている真琴が有利であるようには見えない。少なくとも力勝負で勝てる相手では無い。
「何やってるんですか、晶さん! こよりさん!」
 真琴が叫ぶ。その顔には汗が滲み、こちらを振り返る余裕も無い。
「早く下がって! 長くは……もた……な……」
「くそっ」
 晶は慌てて跳び下がる。こよりも続いて一度距離を取った。
「大丈夫か、こより」
「あ、うん。私は大丈夫だけど、真琴ちゃんが……」
 晶は舌打ちすると、ポケットに忍ばせている紙切れを数枚、取り出した。
「避けろ、真琴!」
 晶の叫びに、真琴は身体の軸をずらす。その脇ギリギリを、数キロの重さにまで〈変成〉された紙切れが通過した。ラーニンも追撃はせず、攻撃を避けるために後退する。二つの〈神器〉が離れたことで高周波は止まり、真琴は深く息を吐いた。
「危ないところでした。あと少しで〈SHDB〉が壊れちゃうところでしたよ」
 言いながら、真琴は晶の横で〈神器〉を構える。
「何なんだ、あの〈神器〉。〈神器〉を壊す効果でも持ってるのか?」
 ラーニンは下がった状態のまま様子を見ているようだ。数の点ではラーニンの方が不利であり、また晶の牽制攻撃がある以上、迂闊には踏み込めないだろう。
「ラーニン=ギルガウェイト……〈血の裁決〉さんの〈神器〉は〈断罪剣〉。あの剣には、斬れないものなんて何も無いんです」
 真琴が言った。
「刃が触れた対象を、斬りやすい硬さに〈変成〉してしまうんです。だから、普通の武器であの攻撃を受けることは出来ません」
「そうか、〈SHDB〉は『絶対に折れない剣』だから……」
「はい、対象を柔らかくしようとする〈断罪剣〉の効果と、〈神器〉の破壊を防ごうとする〈SHDB〉の効果が無限ループのように発生して、激しい振動と高熱を発します」
 それは〈神器〉と、それに内蔵された〈対置回路〉にひどく負荷をかける。その負荷により先に〈神器〉が壊れた方が負けで、恐らく耐久度の面で〈SHDB〉の方が分が悪いのだろう。
「でも、困ったね。受け止められないとなると……避けるしかないんだ、あれを」
  こよりが、〈対置〉した剣を構えながら言った。〈浸透者〉相手ならともかく、敵は〈エグザ〉だ。こちらが相手の攻撃行動を読むことが出来るように、相手も こちらの回避行動を読むことが出来る。そうなると結局、〈析眼〉の性能勝負だ。しかしラーニンは〈執行者〉。対〈エグザ〉殺しのスペシャリストだ。単純に 〈析眼〉の性能差で勝負は付かないだろう。
 ゆっくりと、ラーニンが動き出した。

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