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屠殺のエグザ

第二章第四話:個性 と 髪型

 チャイムが鳴る。今まで幾度と無く聞いてきた終業を知らせるそれに、晶は思わず安堵のため息を漏らした。午後からの二時限、級友の好奇の眼に晒されるの は、とても気持ちのいいものではない。明日になれば、少しはこの状況もマシになるだろう。人の噂も四十九日――だっけ? と、晶は胡乱な頭で考えた。
 脳みそが、散らかりっぱなしだ。何も、整理出来てない。
 とりあえず今は、一秒たりともここにいたくなかった。日常の象徴であるはずの学校が、まさかあんな非日常娘に侵食されていたなど、性質の悪い冗談としか思えない。
 早く帰ろう、明日を待とう。
 ショートホームルームが終わるや否や、晶は鞄を引っ掴んで席を立った。
「晶せーんぱいっ」
 硬直。時間停止。心拍停止。と思ったら一気に血圧急上昇。
「………………っ!」
 声にならない叫びとはこの事か。怒鳴るとかそういうレベルを遥かに凌駕した、この指向性バッチリな憤怒は晶の小さな口径では詰まってしまって出てこない。
 教室にはほとんど全ての生徒が残っており、それらみんなが一斉に教室の出入り口に視線を向け、直後、――今度は完全に面白がっている表情で――晶を見た。
「約束通り、一緒に帰りましょうっ」
 そう言って、跳ねながら少女――倉科こよりは、晶へと歩いてきた。
「ねーねー、晶せんぱーい」
 あまりの出来事に晶が絶句している間に、こよりは晶の腕を取り、くいくいと引っ張った。その仕草で我に返り、晶は乱暴にその腕を振り払う。
「な、何なんだよお前は! 約束って何の約束だ!」
「お昼にぃ、屋上で約束したじゃないですかぁ」
 俯きがちに、こよりは言う。少し涙眼だ。約束なんてしてない、と言おうとして、晶は口をつぐんだ。こよりは昼も、こういう言い方をしていた。彼女独特の文法だ、これは。

――だから……たとえ君が拒否しようとも、必ず君を守り抜く。倉科こよりは、〈神器〉に懸けてそれを誓う。

(本気かよ、こいつは……)
 とは言え、関わり合いたくないのが本音である。晶は冷たく、
「俺は了承していない。お前が勝手に言っただけだろ。それは約束とは――」
 言い放――ちかけた言葉は、後頭部に走る鈍重な痛みに遮られた。脳の揺れる感覚に顔をしかめながら振り返ると、辞書を持った黒木と衣谷が、半泣きで立っている。
「お前さ、こんなところで痴話喧嘩は止めろよな……」
「さっさと……こよりちゃんと帰りやがれバカヤロー!」
……頼むから、空気読んでくれ。

「ただでさえ勘違いされて、いい迷惑なんだ。いいか、もう二度と教室には来るな」
「お断り。私だって、〈エグザ〉だって知られたくないしね。事実として何も明言してないし、勘違いするのはあの人たちの勝手でしょ。それで本当のことが隠せるのなら、何も問題は無いじゃない?」
 帰り道、そう言ってこよりは黒く笑った。妹系アイドルが聞いて呆れる。
 並んで歩くのが嫌で、晶は歩みを速めるが、こよりはすぐに追随し、並ぶ。しばらく競歩の応酬が続いたが、やがて晶の方が音を上げた。
「お前、本気で俺なんかの護衛に就くつもりか?」
 どうにも強情だ、このこよりっていう娘は。一体何故、それほどまでに自分にこだわるというのか。
「当然。君の眼は〈浸透者〉を呼び込むし、そうしたら〈此の面〉のバランスも崩れる。〈浸透者〉だけじゃない、他の〈エグザ〉が、君の眼を狙う可能性だってある。何といっても、君の眼は特別――」
 言いかけて、こよりは絶句する。信じられないものを見たような、そんな眼をしていた。
「何だよ」
 こよりは答えず、晶の前に回り込んだ。正面から、覗き込むように、晶の眼を見る。
「な……何だってんだ、おい……」
 背伸びをしているのか、こよりの顔が近い。鼻と鼻が、触れそうな位置にある。
 目前には、奥底に深い朱を秘めた、水晶のような瞳。まるでこちらを、引き込むかのような――。
 すっと、こよりの顔が遠ざかった。我に返った晶は、慌ててこよりから離れる。
「いっ……いきなり何してんだお前は!」
 んー、と考え込むような仕草と共に、こよりは晶の横へと戻った。そのまま、何事も無かったかのように歩き出す。
(くそ……何がしたいんだあいつは)
 心中で毒づき、晶はこよりの後を追った。

「あ……晶の奴ゥ……っ!」
 電信柱の影から、その様子を見ていたのは、ハンカチを咥えた黒木と衣谷である。
「あの倉科こよりちゃんが、晶にキスを迫っただけでも信じ難いが……よりにもよって晶、スルーしたぞスルー」
「許さん! たとえ天地創造の神が許そうと、この俺が許さん!」
「黒木よ、では君は晶とこよりちゃんが『そういうこと』を目の前でしていても許せると?」
 衣谷が、こちらは幾分冷静にツッコミを入れる。
「どの道、あいつは許さーん!」
 教室でのやり取りを考えると、晶にその気は無いようだが、こよりの方が熱を上げているといったところか。
 全く、とんだ出歯亀である。
「ほら、帰るぞ黒木。こうやって覗くのは、あんまり趣味がいいとは言えん」
 衣谷は黒木の襟に手をかけると、引き摺るようにしてその場を離れた。未練がましくこよりの名を呼ぶ、黒木の声を残しながら。

「ところで君、その妙な髪型は溢れ出る個性の象徴?」
 こよりが、晶の前髪を見ながら問うた。昨夜、こよりと会った時には前髪を上げていたが、今はあの大げさな眼帯を外し、前髪を下ろしている。
「似合ってないよーその髪型。何で右眼だけ隠してるの?」
「うるさい人の勝手だろ。そういうお前の無意味に長い髪の毛は何だ。その先っぽに付いてる、でけー緑のボンボンは何だ。少なくとも、お前に妙な髪型呼ばわりされる覚えはない」
「『うるさい人の勝手だろ』」
「真似すんな!」
 疲れる。こいつと話していると非常に疲れる。思わず天を仰いだ晶の顔に、一滴の雨粒が落ちた。
「ちっ、また雨だ」
 昨日から今ひとつ天気が良くない。晶は舌打ちしつつ、鞄から――昨夜、〈浸透者〉を退けた――傘を取り出した。
「あ、いいなー傘持ってるんだ」
「お前、持ってないのか?」
「あいあい傘しよーよー」
「本当に〈エグザ〉だとか言うんなら、〈対置〉で持ってくりゃいいだろ。お前を傘に入れるなんて、それこそお断りだ」
「傘は〈絶対領域〉に置いてないんだよー」
 冷たく断られ、こよりはぶつぶつと、何やら聞いたことも無い単語で文句を言う。
「知らん。濡れてろ」
 大通りから路地へ入り、二度目の角を曲がったところで、こよりが足を止めた。
 まっすぐに、前を凝視している。
「どうしたんだよ、行かないのか?」
「視えて――ないの?」
 誰もいない路地の先、ただ、雨が路面を叩いているだけ。

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