インデックス

他作品

ランキング

屠殺のエグザ

第三章第二話:右眼 と 左眼

 ある程度予測していた事ではあるが、やはり、その時間はやって来た。
 午前の授業を全て終え、生徒たちが昼食と一時の休息を得る、昼休み。昨日の今日で、という弱気な打ち消しは、
「晶先輩、いますかー?」
 そこいらのアイドルなんかじゃ対抗出来ないほどの演技に、容易く破られた。
「お、また来たぞ、晶」
「足繁く通っちゃってまあ……こんの幸せモンがっ!」
 一閃、通称〈ディクショナリーアタック〉が炸裂。晶は後頭部を押さえて悶える。
「あ、晶先輩っ、だ、大丈夫ですかっ?」
 大慌て、といった体で駆け寄るこより。全然心配していないのは眼で判る。というかむしろ面白がっている。
「……っつつ、何しに来たんだよ、お前は」
 涙眼で晶が顔を上げると、こよりが満面の笑みをぐい、と近付けた。
「はい、昨日の話の続きを。それにほら、昨夜も結構ハードでしたから。毎晩あんなじゃ、先輩の体がもたないでしょ?」
 確かに。いくら護衛がいるとはいえ、毎夜毎夜〈浸透者〉などに襲われていたのでは、命がいくつあっても足りない。何故〈析眼〉を持っているのに視えなかったのかも気になるし、今後を考えると対策は必要だろう。
「ああ、そうだな。いくら何でも、毎晩アレじゃもたないと思う」
 溜息混じりに答え、そして。
 凍りついた教室の空気に、気が付いた。
「……ん? どうかしたのか?」
 黒木は青い顔、衣谷は赤い顔で、それぞれ呆然としていた。
「ま……まいばん……」
「ハード……もたない……って……」
 二人から止め処なく漏れる呟きを拾い、晶が先ほどのやり取りを思い返し――。
――や、やられた!
 バッとこよりに振り向く。そこには、夢に出てきそうな黒い笑顔。
「それじゃあ先輩、また一緒にごはん食べましょ。もしかしたら、昨夜の続きが出来るかもしれませんよ」
 電光石火で腕を取り、こよりが晶を引き摺っていく。
「お、ちょ……待ておい! ってかお前ら、誤解だ、誤解だからなぁっ!」
 最後の足掻きを見せる晶の眼の前で、無情にも扉は閉ざされた。色んな意味で。

 屋上、晶は頭を抱えていた。
「どうしてくれんだ、お前……絶対、絶対に誤解されたぞ。それも解けそうにないくらい……」
「いいじゃん、別に。それとも何? 相手が私だと不満?」
「大いに」
「……素で失礼だね、君」
 覚えておこう。女性(の形をしているモノ)にとって、食べ物の恨みは深いのだと。
「さて、それじゃ話の続きをしようか」
 今日は晶の家から直行だったので、こよりは弁当ではなく、コンビニのおにぎりである。晶もまた、同じ店で買ったパンの袋を開けた。とりあえず、すべき話を先に済ませてしまおう。
「昨日、君がどうして〈浸透者〉を見ることが出来なかったのか、だけど」
 見えないながらも、完全に表出していない〈浸透者〉の攻撃を、晶は受けた。この世界〈此(こ)の面(も)〉の裏側である〈彼(か)の面(も)〉から染み出してきた〈浸透者〉は、その存在が〈此の面〉に最適化されていないために、通常は〈此の面〉に属する全てに影響を与え得ない。
 しかし、物体の「情報」を書き換えることが出来る〈析眼〉や〈換手〉を持っている〈対置能力者(エグザ)〉 なら、自分自身を接する相手に対して最適化するために、表出していない〈浸透者〉の影響を受けてしまう。晶は〈換手〉を持っていないので〈エグザ〉ではな いが、〈析眼〉を持っているので〈浸透者〉の影響を受ける。当然、〈析眼〉の「物体の本質を見る能力」により、〈浸透者〉も視認出来るはずなのだ。
 しかし、昨日の戦闘では、晶に〈浸透者〉は見えなかった。何かの弾みで、途中から見えるようになったのだが、その理由は不明のままだ。こよりは、その理由に見当が付いたのだろうか。
「見せてくれる? 君の、右眼」
 晶は一瞬躊躇したが、小さく溜息をつくと、前髪の下に隠れた右眼を晒す。こよりは身を乗り出して、その右眼を覗きこんだ。
「……うん、やっぱりね」
 逆に、晶にはこよりの右眼が見えている。底に、果てしない朱を湛えた、〈析眼〉。その事実に、晶自身も確信を持った。持ってしまった。
「君は――」
「右眼だけが、〈析眼〉。……そうだな?」
 こよりの言葉を遮り、晶は言った。左眼で見ても判らないのに。右眼で見れば、こよりのそれが〈析眼〉であると判る。判ってしまう。
「普通なら、〈析眼〉も〈換手〉も、両眼両手に遺伝するわ」
 こよりの説明は、晶が得た確信の肯定を示していた。
「そもそも、〈エグザ〉の素養はセットで遺伝するものだもの。〈析眼〉だけとか〈換手〉だけとか、それだって凄く稀有な例なのに。片眼だけ〈析眼〉だなんて、今まで聞いた事も無い」
 こよりは、昆布らしきおにぎりを一口かじった。「ところで」と、何気なく会話を続ける。
「君のその髪型、右眼と関係あるわよね?」
 ギクリ、とした。でも、晶自身も信じてはいなかったのだ。まさかこの眼が、普通じゃないなんて。
「……小さい頃、っていうか、物心付いた頃から、見えてたんだ。何かよく解らないけど、普通じゃないものが。物の向こう側が透けて見えたり、強度の無い部分が解ったり、材質や、固さや、味や……そんなものが、見えてた。時には、そこにあるはずの無い物とか……人とか」
 それで、怖くなった。右眼を瞑れば、そんな「怖い世界」は見えなかったので――前髪を伸ばし、眼を、隠した。
「……今思えば、あれが『本質の世界』ってやつだったのかもな」
「なるほどね、納得した」
 こよりはフムフムと頷きながら、昆布(?)おにぎりを口に押し込んだ。大きすぎたのか、少し苦しそうだ。
「お前には、世界はこんな風に見えてるのか?」
 怖くないのだろうか。それとも、慣れてしまうものなのだろうか。
「そんなわけ無いじゃん。フツーに見えてるよ」
「は?」
 じゃああの世界は、〈析眼〉とは関係無いのだろうか?
「普段は閉じてるもん、〈析眼〉。戦う時とか、〈対置〉する時とか、必要な時にしか〈析眼〉は開かないよ」
 思わず立ち上がった晶を、くりっとした両眼で見上げるこより。
「今は両眼開いてるだろ。っていうか、眼閉じたら歩けないだろ、お前は」
「眼じゃなくて、〈析眼〉。本質を見る機能は、持ち主の任意でオン・オフが出来るんだよ?」
 と、言われても。そんなもん、誰に習えばいいんだよ。
「とにかく、俺にはその〈析眼〉を閉じるってのが出来ないんだ。髪で隠すしかない」
「でもそれじゃ、襲われた時に対処出来ないよ?」
「お前が守るんだろ? 俺には戦いの経験なんて無いし、端から戦う気は無いさ」
「〈析眼〉が開いていれば、行動の最適化が出来るし、普通の人よりは強くなるよ。それに昨日の戦闘を見る限りだと、君も結構センスあると思うんだけど」
 冗談。晶は、上げた前髪を戻しながら、言った。
「俺は戦う気は無い。本質の世界も見たくない。荒事は、護衛のお前に任せるよ」

ページトップへ戻る