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屠殺のエグザ

第六章第四話:味方 と 敵

「待てよ」
 晶がこよりを呼び止めたのは、彼女がリビングダイニングを出て行く直前だった。ドアノブに手をかけたままの姿勢で、こよりが動きを止める。
「まだ俺は、納得してない」
 こよりは俯いたまま、答えない。呼び止められたままの格好で、微動だにせずに。晶は、こよりがすぐに出て行かないことを確認すると、静かに深呼吸をした。
「今は、どうなんだ」
 晶は、こよりに問いかける。これまでを、そして、これからを。
「こよりの目的が俺の〈析眼〉だったとして、お前は今でも眼を狙ってるのかよ?」
 違うだろ、と晶は、こよりの背中に投げかけた。
「俺、最初はお前のこと、変な奴だと思ってた。得体の知れない能力を持ってるし、学校での顔と〈エグザ〉の顔が違いすぎるし、何より、何で俺に近付いたかよく分からなかったからな。正直、警戒してた」
 こよりは黙って聞いている。晶に、背を向けたままで。
「でも、お前はちゃんと俺を守ろうとしてくれた。敵が多かろうが、敵が強かろうが、一人で。だから俺、それだけは信じられると思ったんだ。信じて、俺の命をお前に預けた。――だから、〈析眼〉を奪う機会なんて、いくらでもあったよな?」
 晶はちらりと、ドアノブにかけられたこよりの右手を見る。そこにはまだ、包帯の端がのぞいていた。
「昨夜の戦いでお前、全然関係ない一般人助けただろ。そのせいで、お前は死にかけた。お前が憎んでるって言ってた、〈此の面〉の人間を助けようとして、だ」
 過去はどうだったか知らない。でも。
「今のお前は、〈屠殺のエグザ〉なんかじゃない。俺は、それを知ってる」
 こよりが、やはり背を向けたまま答えた。
「……私は、〈屠殺のエグザ〉よ。〈此の面〉を憎み、滅ぼそうとしている――」
「違うだろ?」
 こよりの言葉を、晶は途中で遮った。
「憎かったかもしれない、滅ぼそうとしたかもしれない。けど、今はどうなんだ? 今でもそうなのかよ?」
「君が決めないでよ!」
 こよりが叫ぶ。今まで一度も見せなかった、悲痛の声。
「じゃ あ何? 私が今までしてきたことって何? 私が今まで殺してきた人は何だったの? 何のために私は、〈屠殺のエグザ〉だなんて呼ばれて、〈協会〉から追わ れながら戦ってきたの? 私は憎んでなきゃいけないの、滅ぼさないといけないの! 〈此の面〉の人たちを、〈此の面〉そのものを!」
 泣いていた。こよりは泣いていた。後戻りの存在しない獣道を、前へ進むしか許されなかった自分を、必死で固持するために。
 だけど。

 だけどそのために、こよりは傷付いている。

「俺は呼ばない」
 晶は短く、そう言った。静かに、しかしはっきりと。
「他の誰がそう呼んだって、俺はこよりのこと、〈屠殺のエグザ〉なんて呼ばない。だって、お前は違うだろ?」
 決めたんだ、守るって。彼女を傷付けるもの全てから、彼女を守るって。
「だから、もしも零奈先輩や〈協会〉の連中が、こよりを狙うっていうのなら――俺も、一緒に戦うから」
 こよりが振り返る。眼にいっぱいの、涙を溜めて。
「――変わらなかった。一緒だった。〈彼の面〉も〈此の面〉も。ううん、むしろ〈此の面〉の方が、ずっとたくさん〈浸透者〉がいて……それで傷付いてる人や、死んでしまう人もいて……」
 一粒、二粒と、涙が頬に筋を描く。窓から差し込む僅かな光が、その軌跡を照らしていた。
「私……間違ってたのかな……」
 幼かった少女に残された傷跡。それを消さんと足掻いた結果は、その傷に、より多くの傷を重ねただけだった。
「ああ、多分、正解じゃなかった」
 晶が、こよりの涙を親指で拭う。
「でも、まだ大丈夫だ」
 戻れない道かもしれない。帰れない道かもしれない。それでも、進む道を変えることはまだ許されるはずだ。
 窓から差し込む薄明かり。晶は、未だすすり泣く少女を抱きしめた。

「対象の確保に失敗したそうだな、〈急進の射手〉」
 〈協会〉の回廊。背後から投げられた声に、零奈は面倒そうに振り向いた。
「〈血の裁決〉。彼の件は貴方に関係無いはずよ?」
 そこには、赤い髪の男が立っていた。がっしりとした体躯、〈血の裁決〉と呼ばれたその男は、零奈の遠慮無い一言にも怯む様子は無い。
「〈析眼の徒人〉か。確かに彼は、俺の任務に直接的には関係無い。俺は〈執行者〉だからな」
 〈執行者〉。〈協会〉が擁する、〈エグザ殺し〉を粛清する任務を負った者だ。
「だが、〈屠殺のエグザ〉の元に〈析眼の徒人〉がいる、というのは、些かやりづらい。彼は……奴に協力的なようだしな?」
 〈血の裁決〉の眼が、探るように細められる。零奈は忌々しそうに舌打ちをし、顔を背けた。
「彼は――騙されているのよ、彼女に」
 言葉の端々に、苛立った様子が見受けられる。〈血の裁決〉は重ねて尋ねた。
「嫉妬か? 今までずっと見守ってきた彼を奪われたのだから、無理も無いが」
 途端、零奈の顔が一気に赤く染まる。それは羞恥か、それとも怒りか。
「それこそ貴方には関係無いわ!」
 キッと正面から〈血の裁決〉を睨みつけ、零奈は叫ぶ。
「違い無い。まあ俺にはどうでもいいことだ」
 心底どうでもよさそうに、〈血の裁決〉は返した。それより、と彼は続ける。
「上から正式に命令が下った。文句は無いな?」
 〈血の裁決〉の通告は、晶の確保に失敗した時点で十分に予想出来た。だが、それでも悔しいことに違いは無い。零奈は唇を噛んだ。あの泥棒猫だけは、自分の手で殺したかったのに。
「お前にとっては大事な人かもしれんが、俺にとっては〈屠殺のエグザ〉に与みする以上、〈析眼の徒人〉も障害でしかない。手を出してきたら排除するが、いいな?」
 〈血の裁決〉の言葉は有無を言わせない。しかし。
「もしも晶を傷付けたら、今度は私が貴方を殺すわ、〈血の裁決〉」
 低い声音で告げる零奈を、〈血の裁決〉は鼻を鳴らすだけであしらった。
「お前の〈析眼の徒人〉に対する執着も、少々度が過ぎているな。義務感だけではないだろう? 私情は任務に支障をきたす。よく考えろ」
 はっ、と零奈は小さく哂った。
「貴方にだけは言われたくないわね、〈血の裁決〉。私が知らないとでも思ってるの? 貴方がなぜ、〈執行者〉なんて任務を自ら負っているのか。貴方こそ自分の――」
「言うな!」
 零奈の言葉を遮り、〈血の裁決〉が怒鳴る。零奈は的確に、〈血の裁決〉の地雷を踏んだようだ。
「――なら、分かっているだろう?」
 しばしの静寂の後、〈血の裁決〉が重たく口を開いた。
「俺は、〈エグザ殺し〉を許さない」

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