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屠殺のエグザ

第十章第六話:徒人 と 〈エグザ〉

 路地から広い道路に出た。――あくまで、相対的に言えば、だが。囲まれた村雨家からの脱出は果たしたものの、危険区域を出るまで安全には程遠い。遠からず、家から彼女たちが逃げ出したことを知った〈浸透者〉が、この辺りを捜索し始めるだろう。複雑に入り組んだ路地を抜けていくのは難しいし、さりとて眼の前の道路に頼り切るのは考え物だ。
 さてどうしようか、というところで、叔母が迷わず道路に沿って歩き始めた。
「きけんじゃ、ないですか」
 どこかにいるだろう〈浸透者〉を警戒し、小声で問う。叔母は細かく周囲に目を配りながら、答えた。
「視える限りでは、大丈夫。……いい、れいちゃん。〈エグザ〉にとっては、視界の確保も戦術においては重要な項目よ。狭い場所は確かに身を守るのには適してるけど、こちらの視界も大半が制限されてるって事、忘れちゃダメよ」
 指摘されて気付く。そうだ、〈エグザ〉にとっては、むしろこんな広い場所こそ有利なんだ。そんな初歩的なことを忘れていたなんて――恥ずべきことだ。
「さすがおばさまです。そこまでかんがえて、このみちをえらんだのですね」
「えっ……あ、そうじゃないの」
 零奈の、尊敬の眼差しに一瞬きょとん、とし――すぐに叔母は、手を振った。
「晶がね、その方がいいって」
 その名に、またもムッとする零奈。〈エグザ〉でもなければ〈浸透者〉について何も知らない晶が、〈錬金の魔眼持ち〉たる叔母に意見したなど――。
「あきらくんは、〈えぐざ〉のことも、〈しんとうしゃ〉のことも、しらないのでしょう」
 出来るだけ冷静に、務めて冷静に、零奈は言葉を選びながら言った。
「まあね。だけど、路地だけを選んで移動すると、待ち伏せされるかもしれないって」
  路地を通れば必ず、いずれかの道路に出なければ、隣の区画へ移動できなくなる。路地の中は入り組んでいても、路地と道路の連結地点は限られ――極端な話、 区画を囲む道路の四方に一体ずつ敵がいれば、それだけで区画を封鎖されたのと同じだ。だが、そんな戦術的思考を、晶が持ち得るだろうか。
「もしかして、あきらくんも、くんれんをうけてますか」
  自分で言ってから、なるほど、と自分で納得した。そうだ、よくよく考えれば、あの叔母の息子なのだ。徒人であっても――たとえば戦術論・戦略論なんかは叩き込まれているのかもしれない。それなら〈エグザ〉である自分に出来ないことを晶が出来ることに説明がつく。師が叔母なら、それも当然だ。
「えぐざだの、くんれんだの、うるさいよ」
 零奈の前を歩く晶が、振り返りもせずに言った。
「こんなの、ちょっとかんがえればわかるだろ。おしえてもらわなきゃ、なんにもできないの、おまえ」
 零奈の足が、止まる。構わず歩き続ける晶。
「おれを、そんなのといっしょにするなよ」
 その一言は、零奈を沸点まで持って行くのに十分すぎた。
「ふざけないで!」
 深夜の住宅街に響く、幼き少女の叫び声。叔母が、驚いた顔でこちらを振り返る。だがもう遅い。拳を振り上げた以上、少女の頭にあるのは、それを振り下ろすことだけだ。
「いっしょなんて、ごめんよ! わたしはあなたとはちがう……〈えぐざ〉なんだから! ただびとなんかと、いっしょに、しないで! あなたは〈たいち〉だってできないし、〈しんとうしゃ〉とたたかえたりなんか、しないんだから!」
 ひと息に吐き出す。晶はいつの間にか足を止めていた。相変わらずこちらに顔を向けず、数メートル先で立ち止まっている。
 どうだ。わかったか。
 さて追い討ちだ、と息を吸い込んだとき、叔母が晶の元から一気に零奈へ近付いた。数メートルの距離を一瞬でゼロにする鋭い踏み込みは〈析眼〉を用いたそれで、反応しきれない零奈の吸気が肺に詰まった頃合には、既に叔母の身体は零奈の後方にあった。
 響く、鈍い音。
 その音に釣られるように零奈が振り返ると、大鎌様の前足を振り下ろした〈浸透者〉と、その前足を腕で受け止めている叔母の姿が眼に入った。
――見つかった。
 どうしてだ。路地から出た時、ちゃんと周囲は確認したし、何より叔母もチェックしている。いくらなんでも、こんなに早く〈浸透者〉に見つかるなんて、そんなはず、ないのに。よほど目立つ行動でもしていない限り――。
 思考をそこまで行き着かせ、零奈は愕然とする。そうだ、〈浸透者〉は自分の叫び声を聞きつけたのだ。だとしたら、周りにいる〈浸透者〉は多分、一斉にここを目掛けて飛んでくる。逃げ切るなんて――不可能だ。
「れいちゃん、走って!」
 鎌を押し当てられた腕が、耳障りな音で軋む。恐らく衣服を〈変成〉して、即興の篭手を作ったのだろう。叔母本人にダメージは無さそうだが、長く保つとも思えない。
「晶を連れて、ここから逃げて!」
 叔母の指示に、零奈は思考を切り替える。確かに、自分たちがここにいては叔母が自由に立ち回れない。何より、間もなく襲ってくるであろう大量の〈浸透者〉を相手になんて、出来るわけが無いのだ。ならば一刻も早くここから去るべき。
 零奈は、数メートル先の晶へ駆け出した。うろたえるな、私は〈エグザ〉。たとえ腹に据えかねるほど生意気なこの徒人であれ、守らなければならない義務がある。何より、あの叔母が私に託したのだ。私がやらないで――誰がやる。
「こっち! はしって!」
 ごねるかと思ったが、意外にも素直に晶は零奈に付いて来た。そら見ろ、偉そうなことを言ったって、〈浸透者〉が出てきたら私に頼るしかないんだ、この子は。
 私は〈エグザ〉だから。
 私は戦えるから。
 あの人みたいに強く。
 あの人みたいにカッコよく。

 さあ、踏み出した。私は今、あの人みたいになれているだろうか。
「にげきれるとおもう?」
 走りながら晶が問う。今思えば、それは単に母親と別れた心細さから出た言葉だったのだろうが、当時の零奈には、自分に縋っての言葉に聞こえた。
「うんが、よければ。でも、たぶん、なんかいか、たたかわないと、だめかも」
「おまえ、たたかえるの?」
「くんれんは、うけてる。じっせんけいけんはないけど、ゆみはとてもじょうずだって、ほかの〈えぐざ〉のひとも、ほめてくれた」
  父が弓を扱っていたため、戦闘訓練は父の弓を借りて行っている。実戦に出ない以上自分専用の武器を与えられるまでには至っていないが、こんなに早く実戦の機会に恵まれるなら、そのことを両親が知っていたなら、携行可能な装備が与えられていただろう。ようやく〈対置〉が安定してきた程度の練度では、〈絶対領域〉の設定までは不可能だからだ。
 これが終わったら折り畳み式の弓を都合してもらおう、と零奈が頭の隅で考えていると、晶が不意に足を止めた。
「どうしたの」
「いま、なにか……」
 晶が言いかけたとき、零奈の耳にもそれが届いた。
 ズン、と響く重低音。少しの間隔を空けて、それは一定のリズムで聞こえてくる。
「……ちかづいてる……」
 靴裏からでも感じられる、微かな振動。それが段々、大きくなっている。
「あきらくん、うしろに、かくれて」
 言いながら、零奈が前方を睨みつける。四つ角から、それはぬぅと現れた。
 熊ほどの大きさの体躯、だらりと長く垂れ下がった両手、その先に鋭く光る爪。異形と呼ぶに相応しいその容姿は、まさしく〈浸透者〉のもの。
「あれが……しんとうしゃ?」
 晶が呟く。

 そう、〈浸透者〉は、完全に表出していた。

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