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屠殺のエグザ

第十章第三話:勝者 と 敗者

 閃光を切り裂き、こよりが飛び出す。手には資材と〈対置〉した剣、眼下の零奈へ向けて、壁を蹴りながらその距離を詰める。先に地面へと降りていた零奈から放たれる無数の矢を、時に対面のビルに移りながらかわしていく。距離さえ詰めれば、こちらのもの。
「あなたの狙いは――!」
「あんたの狙いは――!」
 路地に響くのは、二人の咆哮。
「「わかってる!」」
  零奈に必要な、「弦を引く」という準備時間、それを満たせないぎりぎりの時間に、こよりは己が斬撃を滑り込ませる。零奈も無駄なことはしない。〈アトラーバオ〉の構えを解き、落ちてくるこよりの下を潜り背面へ。起き上がると同時に〈アトラーバオ〉を構え、弦を引く。着地するこより、剣を振った勢いを殺さず、そのまま反転する。その刀身は、零奈の放った矢を捉え、弾いていた。生まれた一瞬の隙にこよりが反撃に入るよりも早く、零奈が後ろへと跳ぶ。
(入った……さっきのパターン)
 戦闘開始直後の状況と同じだ。零奈はこちらを向きながら――つまり進行方向に背を向けながら、壁を蹴って上昇していく。同時に放たれる矢によって、こよりは零奈を追いかけるのがやっとの状態。
(〈急進の射手〉小篠零奈……あんたのトリックは――)
 まだだ、まだ仕掛けるな。この反撃に必要なのは、十分な高さ。せめてあと十メートル――それまでは耐えろ。
 次々に襲い来る矢を、あるいはかわし、あるいは弾いて、吸い込まれそうな夜空に近付いていく。あと少し、もう少し――。
 ついに。
 こよりの剣が、煌いた。

 予想外だった。まさかあの強襲を、かわし切るなんて。〈屠殺のエグザ〉の名は、伊達では無いということか。
 いや、それよりも誤算だったのは ――あの〈屠殺のエグザ〉が武器を落としたということだ。お陰で、危険を冒してもう一度仕切り直す必要に迫られてしまった。結果として上手くいったからいいものの、やはりあの踏み込みの鋭さは脅威だ。出来る限り、自分のフィールドで勝負するべきだろう。
 リズミカルに壁を蹴りながら、零奈は決め手を放つ一瞬を窺う。いつも零奈が使う戦法が使えない以上、こよりのような手練を正面から相手にするのは難しい。零奈が選んだのは、極めてトリッキーな方法だった。
 零奈の視線はただ一点――こよりが持つ、細身の剣。いや、より正確に言うのなら、その刀身に映る自分の背後と、その本質を注視していた。
  〈エグザ〉は、戦闘において、特に〈析眼〉を最大限に活用する。敵の攻撃や回避運動の予見だけでなく、自身の速度や質量、運動ベクトルとこの先の運動においてより効率的な接地点と角度、接地時間にまで、その範囲は及ぶ。〈エグザ〉は〈析眼〉を使わなければ、まともな戦闘を行えない、とも言えるだろう。故に、後退しながらの戦闘は極めて不利な状況である。進行方向の状況が見えない上、敵の攻撃を回避するために視界を他へ移すことが出来ないのだ。そういった相手にとって不利な状況を意図して作り出す、〈急進の射手〉としての戦法を、こより相手にいかに強制させられるかがカギだった。
 こよりの踏み込みは極めて鋭い。それは既に、先の交戦で確認している。ただの強襲では、こよりが間合いを詰めるまでに仕留められないだろう。だが――
(その足を、鈍らせるフィールドなら?)
  足場らしい足場がほとんどない高所なら。足場を選べなければ、いかなこよりと言えどもその足は鈍る。こよりが実力を発揮するためには、地上戦に持ち込もうと後退を選択せざるを得ない。序盤はあえて追われる形を取って高所に誘い出し――自分はこよりの武器を鏡として利用して、後退でも十分な速度を維持出来る ――そして、簡単に戻れない高さまで誘き寄せたら、こよりとの距離を一気に詰める。回避も反撃も難しいこよりは後退するしかないが、地上のそれよりも高所の後退は至難だ。
(あと少し上ったら……仕掛ける!)
 ここに誘い出された時点で勝負はついている。あとはただ、決められた手順に従って――。
「――!」
 それに気付けたのは僥倖というより他無い。零奈は予定していた軌道を変更した。耳元を風切り音が過ぎる。
(剣を……投げた!?)
 細身の剣に映る本質を読み取るのが精一杯で、こよりの行動予測までは無理だった。こよりの目的は、いや、それよりも。
(いけない、バランスが……!)
 予定外の軌道を取った上、自分が到達するであろう地点の情報が、当然だが視界に入っていない。情報源だった剣は、自分の後方に飛び去った。ここは、仕切り直すしかないか。
 危険を承知で、零奈は視線をこよりから外す。ろくな足場は無かったが、それでも崩れたバランスをある程度持ち直す程度は出来そうだ。
 零奈は僅かな鉄骨の出っ張りに足を引っ掛け、壁を蹴りながらの降下を試みる。路地を挟んだ左右の壁を交互に蹴って、速度を殺しながら降りていくのだ。一瞬だけ足場に置いた足を、反対側の壁へ向けて蹴る。
 直後。

 視界に、光が入った。

(光……〈対置〉!?)
 気が付いた時には遅かった。戻した視界に入ったのは、閃光を切り裂いて飛び出したこよりと――その右手に握られた、先ほど投げたはずの剣。零奈の身体は今、宙にある。落ちる零奈と上るこより、二人の距離が、急速に近付いていく。咄嗟に零奈は、〈アトラーバオ〉をかざした。 鈍い音を立てて、〈アトラーバオ〉がこよりの剣を受け止める。再び崩れる零奈のバランス。こよりの二撃目を受けきるだけの余力は、残っていない。手からもぎ取られ、何処かへと弾き飛ばされる〈アトラーバオ〉。
 為す術の無い零奈に、こよりの刃が迫った。

 内心心配していたが、こよりは無事に勝った。――などと言ったら、こよりに怒られるだろうか。零奈はアスファルトの上で仰向けに倒れ、荒い息を吐いている。何はともあれ――二人とも怪我が無くてよかった。
「……まだそんな戯言を続けるつもり? 『もう自分は〈屠殺のエグザ〉じゃない』なんて。そんな言葉で納得する〈エグザ〉が、何人いると思ってるの?」
「そんなに死にたいなら、史上最悪の〈エグザ殺し〉でも呼んだらいいじゃない。私は会った事無いけど、〈四宝を享受せし者〉なら喜んで殺してくれるんじゃない?」
 勝負は付いたが、二人の声は相変わらず一触即発の雰囲気だ。
(零奈先輩も悪い人じゃないんだから……仲良くなってくれればいいんだけどな)
 まあそれは追い追いでいいだろう。今はそれよりも大事なことがある。
「零奈先輩、教えてください」
 路面に横たわる零奈に歩み寄り、晶は膝を付いて問いかけた。
「俺の右眼……〈変成〉持ちの〈析眼〉のこと。どうして俺がこの眼を持っているのか、一体何が起こったのか――零奈先輩が知っていることを、全部」
 晶の問いに、零奈は逡巡する様子を見せた。
「私は晶に、もうこれ以上〈エグザ〉の世界に首を突っ込んで欲しくないと思ってる。こんな世界のことなんか知らずに、関わらずに……その眼も使わずに、普通に生活してくれる方が、私は嬉しいの」
「もう遅いですよ」
 晶は首を振って、苦笑する。
「関わりすぎました。もう、後戻り出来ないくらいに」
「晶の眼を狙う奴なら、私が倒すから。私が、晶を守るから」
 零奈の言葉に、しかし晶は力強く言った。
「知りたいんです。俺が、誰なのか」

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