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屠殺のエグザ

第十章第四話:姉 と 妹

 うっ、と軽く呻きながら、零奈が身体を起こした。さすがに立ち上がれるまでは回復していないのか、アスファルトの上に座ったままだが――晶も屈んだ状態だったので、二人の視線の高さは合っている。
「……どうしても?」
 零奈の声には、出来ればこれ以上〈エグザ〉に関わらないで欲しいという色が強く滲んでいた。だとしても。
「これが俺の物じゃないってことは、何となく感じるんです。この眼で本質の世界を覗くのは怖かったし……今も、怖い。俺の身には余る力だっていうのを、他でもないその〈析眼〉が俺に教えてる。だけど――」
 力が欲しいんだ。こよりを守るために。こよりと共に、いるために。
「だけど俺は、逃げません」
 力強く言い切った晶に、零奈はふーっと息を吐き、天を仰いだ。
「晶は叔母さんに似たね、絶対」
 叔母――つまり晶の母の話を出したということは。
「いいわ」
 零奈は真っ直ぐに、晶の眼を見つめて言った。
「話してあげる。叔母さんのことと、晶の眼のこと」

 零奈の家は、特に村雨家とは仲良くしていた。もちろん親戚ということもあったのだが、何より零奈の母と叔母の仲が良かったというのが大きいだろう。まだ幼かった零奈にとっては、母の姉妹という概念は少々理解しづらかったのだが。
  その叔母には息子が一人いて、その子とは従姉弟同士なのだと教えられた。零奈の家は両親共に〈エグザ〉だったし、叔母も極めて優秀な〈エグザ〉だと聞いていたので、その言葉には子供ながらに心が躍った。何しろ同年代の〈エグザ〉には会ったことがないのだ。これで友達が出来ると喜んだのも束の間、その子が 〈エグザ〉ではないと教えられ、酷く落胆したのを覚えている。
「いっかいだけでも、あってみたいです、おかあさん」
 まあ、それでも従姉弟だ。親戚は大事にしなさいと常日頃から言われている零奈のこと、挨拶くらいはしておくべきだろうと思ったのだが、母は困ったような顔で首を振った。
「村雨の叔母さんがね、『晶は〈エグザ〉とは無関係でいさせたい』って。だから、〈エグザ〉とは会えないんだって」
「おばさまも〈エグザ〉なのに?」
 小首を傾げる。零奈のその様子に、母はますます困ったような顔で
「そうね。でも、だからこそ、かもね」
と、答えるのだった。
 結局、お母さんもよくわからないんじゃないか、と思わないでもなかったが、多分――分かるからこそ、曖昧に答えざるを得なかったのだ。
  叔母は、極めて優秀な〈エグザ〉。当然、〈協会〉に籍を置いている。二つ名は――たしか、〈錬金の魔眼持ち〉だったか。彼女自身はあまり戦闘向きの能力ではなかったが、たとえサポートであっても、その能力は〈協会〉にとって有用だった。自然と、戦闘に関わる機会も増える。そして恐らく、仲間を失うことも少なくなかっただろう。自分の息子が徒人であるなら、そんな世界と距離を置いてやりたいと思うのは当然なのかもしれない。
 そして、今思えば。
 母もまた、零奈に対して、同じ思いを持っていたのではなかっただろうか。

 当時、零奈はようやく〈析眼〉を自由に開けるようになり、〈エグザ〉としての訓練を始めたところだった。齢八にして、集中すれば〈対置〉が出来るという のは、〈エグザ〉としてはかなり成長が楽しみな部類であり、自分もまた、憧れの叔母と同じ血が流れているんだ、と嬉しく思った記憶がある。
 しかし、通常ならいくら優秀な子供であっても、こんな早くに〈対置〉能力の訓練を行うことはない。〈析眼〉や〈換手〉の活性化は、少なからず個体の成長に影響を及ぼすからだ。少なくとも十歳程度までは、〈対置〉能力を使わないように制限するのが普通である。
 にもかかわらず零奈がこんなに早く訓練を受けたのには、理由があった。

 史上最悪と呼ばれる、とある〈エグザ殺し〉による、〈エグザ〉の大量虐殺である。

 〈エグザ殺し〉により大勢の〈エグザ〉が殺されただけでなく、その〈エグザ殺し〉が引き起こした空間の膨大な歪みと、それによる〈浸透者〉の大量出現。ただでさえ手駒の多くを失っていた〈協会〉は、一人でも多くの戦力を欲したのだ。
 返依しても返依しても減らない〈浸透者〉。一体を返依すと、後ろで二体が表出する絶望的な状況。次第に敗走を強いられる〈エグザ〉。毎夜激しさを増す戦場――この街を、零奈の母も例外無く駆けた。
 戦線は拡大し、ついに晶の家が〈協会〉の指定する「危険区域」の範囲に含まれた。零奈の家はとうに〈浸透者〉の跋扈する異界と化していて、まだ戦えるだけの力を持たない零奈はついに――村雨家、晶の家に避難するよう、母から言われたのだった。
「あきらくんに、あってもいいのですか、おかあさん」
 夜道を、手を繋いで歩きながら、零奈が母を見上げて問うと、彼女はまっすぐに零奈の眼を見つめながら頷いた。
「お母さんは行かないといけないから。零奈は、村雨の叔母さんに守ってもらいなさい」
「わたしも、いきます。〈しんとうしゃ〉を、かえせば、いいのですか」
「お母さんなら大丈夫。それより、零奈の方が晶君よりひとつお姉ちゃんなんだから、優しくしてあげないとダメよ?」
 遠く、剣戟と咆哮が聞こえる。
 戦火は、すぐそこまで迫っていた。

 村雨家の門を潜り、リビングに通された零奈の眼に飛び込んできたのは、強張った表情の叔母と――同い年くらいの男の子、晶だった。母親の緊張を敏感に感じ取っているのか、印象的な大きな眼が不安げにこちらを見ている。
――ああ、確かに、徒人だ。
 こちらを見つめる大きな双眸も、母親の袖にぎゅっとしがみつくその小さな両手も――〈エグザ〉のそれとは違う、ただの眼、ただの手。本当に、〈エグザ〉じゃなかったんだ。
「いらっしゃい、れいちゃん。おめめ開くの、上手になったわね」
 こちらを認めると、叔母は表情を緩めて笑いかけてくる。零奈は内心の落胆を悟られぬよう平静を装いながら頷くと、傍らの母を見上げた。
「ごめんね、この子、頼むわ。ちょっと好戦的で、扱いに困るかもしれないけど」
「大丈夫よ、姉さん。れいちゃんはとってもいい子だもの。ね?」
「とうぜんです」
 にこっ、と笑った叔母に、むん、と胸を張って答える。ばっちりだ、〈析眼〉も開けられれば、〈対置〉だって出来る。頑張れば〈浸透者〉くらいは返依せるはずだ。こんないい子が他にいるはずがない。
「それよりごめんなさい、姉さんたちにばかり負担を掛けて。せめてもう少し〈浸透者〉が少なかったら……」
「気にしない気にしない。さっさと〈浸透者〉の数を減らして、あんたのための舞台を整えてあげるから」
「……責任重大、ね。事件収束の為の切り札だなんて……」
 そう言って叔母は、自身の右眼に触れた。〈錬金の魔眼〉と称される、〈協会〉最高峰の〈析眼〉――超高精度の〈変成〉を持つ、その眼に。
「あんたの眼があれば、この空間の歪みを矯正出来るからね。まあ、〈変成〉持ちでも並の〈エグザ〉じゃ無理な芸当なわけだけど」
「せめてもう少し、戦闘向きの能力なら良かったんだけど……」
「誰しも苦手なものはあるわよ。それより――」
 母はそこで、一度言葉を切った。声音から軽さが消える。
「手強そうなら、迷わず二人を連れて逃げるのよ?」
 言い含めるように、母はゆっくりとそう言った。それだけで叔母は母の言いたいことを悟ったのだろう、頷き、晶の頭を二度、撫でた。
 二、三の言葉を交わし、母がリビングを出る。向かう先は、死地だ。

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