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屠殺のエグザ

第八章第五話:傷 と 月

 何人もの〈エグザ〉を屠ってきたというその〈浸透者〉は、しかし思ったほど手強くはなかった。一撃が強力なのは事実だし当たれば即死の危険すらあったが、何より動きが緩慢過ぎる。ましてや〈析眼〉を有する〈エグザ〉にとって、〈浸透者〉の筋肉の動きから次の動作を予測し回避するなど造作も無いことだ。 ろくな作戦も立てられないまま発生した〈浸透者〉との会敵だったが、戦ううちに三人から不安感は霧散した。これだけの巨躯を有する〈浸透者〉だ、その体力 を奪いきり動きを封じるのはかなり骨が折れる作業だろうが、決して難しくはない。この時点で、勝利はいつの間にか確定事項となっていた。
 真琴の〈神器・SHDB〉が〈浸透者〉の注意を引き、晶の放つ小石の弾丸が〈浸透者〉の攻め手を鈍らせ、こよりの剣が〈浸透者〉の身を裂き体力を奪っていく。戦闘開始から既に三時間が経過、さすがと言うべきか、未だ〈浸透者〉に衰えは見られない。
「いい加減……しぶとい!」
 こよりが叫び、斬り付ける。既に〈浸透者〉に与えた攻撃はかなりの数に上るはずだが、それでもなお動き続けるこの胆力はどうだ。攻撃している自分の方が疲れているのではないだろうか。
「っくそ、さすがに……厳しい……」
 晶が撃った小石も相当な数になる。遠距離からの援護が主な晶は体力的な消耗こそ無いが、休まず〈変成〉を続けるのはかなり精神を磨耗する。見える範囲の小石は既に撃ち尽くし、弾切れも目前となっていた。〈浸透者〉の周りはさぞかし小石が積もっていることだろう。
  そして二人以上に消耗しているのが真琴だった。真琴の〈析眼〉はその特性上、行動予測をほとんど為さない。真琴の回避行動は全て反射神経によるものだ。そ の機動性は他の〈エグザ〉のそれを上回るが、短時間で多くの体力を消耗する諸刃の剣でもある。その真琴が〈浸透者〉の注意を引き、攻撃を受け持つ役割なの だ。誰よりも多く消耗する真琴が、誰よりも多く攻撃を受ける――既に真琴に、言葉を発する余裕など残っていなかった。
 真琴の速度が見るからに落ちている。幸いというべきか、〈浸透者〉の動きは相変わらず鈍い。あれなら捉えられる事も無いだろうが、しかし。
「いくらなんでも元気すぎだろ、あの〈浸透者〉……」
 自分の小石がどれだけのダメージを与えているのか甚だ怪しいものだが、あれだけこよりが攻撃しているのだ、それでもまだ動けるどころか、全く消耗が見られないというのもおかしい。
――おかしい……?
 晶は、自分の思考の中に違和感を感じた。おかしいのは感じている、だがその違和感の正体はどこにある――?
  離れた場所で戦う二人を見た。真琴は既に消耗しきっていて、あとどれだけ持つのか分からない。こよりも真琴ほどではないにせよ、かなり体力的にまずい状態 だ。何しろ相手は今まで見たこともないような大きさの〈浸透者〉。その全体像は、かなり離れたこの位置からでも視界に全て収めるのがやっとという大きさ だ。その足元で戦っている二人には、自分が今斬っているのが足なのか腕なのかの見分けすら怪しいだろう。真琴は〈浸透者〉を中心にぐるぐる回っているし、 こよりもそれに合わせて安全な場所へ移動しているため結果的にはぐるぐる回っている。必死で攻撃を続けるこよりだが、そのせいで一箇所に攻撃を集中するこ とが出来ず、攻撃箇所が散漫になってしまっていた。とはいえ、もう三時間も戦っているのだ、〈浸透者〉は傷だらけで――。
「……なんてこった……!」
 どうして気付かなかった。あれだけ戦い続けた〈浸透者〉の体に、

 全く傷が無いという事実に。

 「傷付かない体」を持っているとかいう話ではない。こよりの攻撃は確かに〈浸透者〉の表面に傷を作っている。なら、どうして傷が無い?
 晶は 〈析眼〉を凝らし、〈浸透者〉の傷を追いかけた。こよりの剣が〈浸透者〉の皮膚を裂き、直後にこよりへと向けられた注意を反対側にいる真琴が引き付ける。 〈浸透者〉の攻撃をかわして真琴が〈浸透者〉を中心に横へ移動し、それに合わせてこよりも移動、斬りつける。こよりが新しい傷を〈浸透者〉に付けると同時 に、古い傷は消えていた。そしてこの時、傷はどちらの視界にも入っていない。
「くそ、してやられた!」
 晶が〈変成〉するためには、〈変成〉したい物体を視界に収めている必要がある。間を置かずに〈変成〉し続けるためには、常に〈浸透者〉から視線を外しているしかない。何ということか、誰も〈浸透者〉の回復に気付けなかったのだ。〈浸透者〉の、その巨躯故に。
「こより、真琴、一旦下がれ! そいつは……」
  晶が叫んだ直後だった。真琴は〈浸透者〉の攻撃を避けるために地面を蹴り――そのまま、身体ががくんと下がる。晶が撃ち尽くした小石、〈浸透者〉の周囲に 散らばるそれに足を取られ、バランスを崩したのだ。すぐさま体勢を整えようとする真琴だったが、疲労が足に来ていた。辛うじて転倒は避けたものの、重心が崩れていることに違いは無い。そして、〈浸透者〉の腕は回避行動を起こせない真琴へと迫っている。〈浸透者〉の体を挟んだ向こう側にいるこよりにはそれが見えておらず、仮に見えていたとしても援護など望むべくも無い。唯一事態を目撃している晶の手元には、今は小石が残っていない。
 鈍い音を立てて、〈浸透者〉の腕が真琴の身体を薙ぎ、彼女の小さな身体は高く飛ばされた。抵抗することも出来ず地面に叩きつけられた真琴は、ぴくりとも動かない。
「真琴!」
 突如動きのパターンが変わった〈浸透者〉を前に対応を逡巡していたこよりだったが、晶が叫んだその言葉に初めて事態を理解する。素早く周囲へ向けた視線、その視界の一端に映る、動かない少女の姿。
「真琴ちゃん!」
 こよりの脳裏に、最悪の光景がよぎる。昼間聞いた真琴の話が蘇った。「もう何人もの〈エグザ〉が、その〈浸透者〉に殺されている」――。
 その一瞬の動転が命取りだった。真琴を叩き飛ばし、〈浸透者〉は邪魔なこよりをも蹴り飛ばそうとしていたのだ。真琴の姿に気を取られたこよりは、それに気付くのが遅れてしまい、気付いた時にはもう回避出来ないほどに敵の攻撃がすぐそこまで来ていた。
(受けるしか、ない……っ!)
  〈浸透者〉の足がこよりに当たるのに合わせて、自ら軽く跳躍し接触時間を稼ぐ。直接触れている間に〈対置〉することで返依せればよかったのだが、接触時間などコンマ数秒も無い。触れたと思った直後にこよりの身体は空高く打ち上げられ、そして地面へ吸い込まれるように落ちていく。
「ぐ……っ」
 一応、受身は取った。真琴と違って受ける体勢を取れていたために受けたダメージは比較的マシと言えるだろうが、それでもとても動けるだけの余力など残っていない。衝撃に霞む視界で確認出来たのは、晶へと突進を始めた〈浸透者〉の姿だった。
「逃げ……あ……き……」
  その呼びかけは小さすぎて、遠く離れた晶には届かなかった。いや、晶にとっても到底それを聞き取るだけの余裕など残っていない。真琴が倒れ、こよりが倒れ、今〈浸透者〉は残った獲物――自分へとその巨体を疾駆させているのだ。受ける晶に武器は無い。〈換手〉が無ければ返依せない。長時間続けた〈変成〉に よって疲弊した今の〈析眼〉では、回避行動すらどれだけこなせるか疑問だろう。〈浸透者〉は、すぐそこまで迫っている。
「ダメかな……ちくしょう」
 まだ何もしていない。まだこよりに、何も出来ていないのに。これからなのに。
 〈浸透者〉という名の死神が腕を持ち上げる。その底に殺意があることを、晶の〈析眼〉は明確に映し出している。その腕が振り下ろされた時、自分は死ぬ。それが分かる。分かるのに動けない。もうそれだけの、心の強さが残っていない。
「負けないで、晶!」
 夜の公園に、凛とした声が響いた。その声に弾かれたように、晶は全力で側方へと転げる。その頭上を通過する、数百からなる矢の群れ。それが一斉に、持ち上げられた腕へと吸い込まれるように刺さっていく。〈浸透者〉が、地響きに似た咆哮を上げた。
「晶を傷つけさせはしません、〈浸透者〉」
 地面に転がった晶は顔を上げて、声の主を見る。そこには、

 煌々と耀る満月を背に立ち弓を引く黒髪の少女、〈急進の射手〉小篠零奈が立っていた。

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