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屠殺のエグザ

第十一章第七話:こより と 真琴

 「レイス」と呼ばれる〈エグザ〉については、諸説ある。彼の過去を追っても、誰もそのルーツに辿り着けない以上、それらは憶測の域を出ない。だが面白いことに、どれひとつとして彼を「単なる〈神器〉マニア」とする説は存在しなかった。
 あるいは、〈グラックの五大神器〉に魂を奪われた者。
 あるいは、〈グラックの五大神器〉の秘密を知った者。
 〈エグザ〉たちは、彼に対し、畏怖と同時にある種ミステリアスな幻想を見ていた。
 執拗に〈五大神器〉を求める姿は、狂気すら通り越し、もはや哲学である。そこまで彼を駆り立てるものは、何なのか――。

 それを知るのは、〈四宝を享受せし者〉ただ一人。
 亡霊(レイス)と呼ばれる死神は、何も語りはしない。

 真琴が指示された場所へ到着すると、そこには二つの人影が倒れていた。片方は大柄の男、もう片方は小柄な少女である。言うまでもなく、ラーニンとこよりだ。ラーニンは仰向けに、こよりは倒壊したコンクリートの壁にもたれるように座っている。真琴が近付くとこよりは顔を上げたが、ラーニンは動かない。なるほど、ラーニンは意識を失っているのか。大きな外傷がないところを見ると、恐らくは一撃で沈んだのだろう。レイスにとって〈グラックの五大神器〉を持たないラーニンは対象外、眼の前の障害を排除しただけという様子だ。
「〈血の裁決〉さん、大丈夫ですかー?」
 真琴が、やや間の抜けた声で倒れているラーニンに声をかけると、彼は「う」と顔をしかめて唸った。
「……〈疾風の双剣士〉、荻原真琴か……すまない、〈析眼の徒人〉の役には……立てなかったようだ……」
「大丈夫です、たぶん先輩もそのくらいは折り込み済みですよ」
 さらっと酷いことを言ったが、ラーニンに気付いた様子はない。意識を取り戻した直後であるだけでなく、相当な痛みに耐えているのだ。無理もないだろう。
「君が来たということは……」
「はい、〈急進の射手〉さんから」
 なるほど、そつがない、と言ってラーニンは、苦い顔をした。どうやらラーニンは彼女が苦手なようだ。
「こより先輩、傷は大丈夫で……」
 真琴がこよりを振り返り、声をかけようとしたところで絶句した。到底立ち上がれそうにない怪我であるにもかかわらず、立ち上がりあまつさえ真琴に背を向け歩き出していたのだ。
「ス、ストップストーップ! 待ってくださいこより先輩!」
 慌てて真琴がこよりの背を追う。晶が真琴をここへ寄越したのはそういうことか。放っておくと何をするか分からない。晶はそのことをよく知っていたのだ。
「無茶ですって、こより先輩! そんな状態でどうこうできる相手じゃないですよ?」
 すぐさま追いついた真琴が、こよりの腰を捕まえる。あるいは真琴でなくとも、いや、〈エグザ〉でなくとも、追いつくのは容易だったろう。恐らくは気力だけで立っているこよりには、歩くだけの余力など望むべくもないはずだ。
「……行かないと……あれ……は……わたし……の……」
 切れ切れに紡ぐ言葉は、真琴に向けられたものではない。自分に言い聞かせる言葉――自分を奮い立たせるための、ない気力を振り絞るための。
「こより……先輩……」
 鬼気迫る様子のこよりに、真琴は言葉を失う。だが、違う。こよりには、忘れてはならないものがあったはずだ。そんなものじゃない、もっと、他の。
「私の……罪を……責任を……咎を……押し付けられない、押し付けちゃ……」
 その言葉を聞いた瞬間、真琴の中で何かが吹っ切れた。後ろからこよりの腰を掴んだ両手に力を込め、〈析眼〉でこよりの重心を探る。そして――
「どおおおっせええええい!」
 後ろ向きに、放り投げた。当然、真琴はこよりの下敷きになる。二人重なって地面に倒れこみ、真琴はこよりの下でぐえっ、と呻いた。
「……離して、真琴ちゃん。私は……」
「いい加減にして下さい、こより先輩!」
 真琴が、こよりの下敷きになったままで怒鳴った。もがいていたこよりの動きが止まる。
「何で分かんないんですか! 何で気付かないんですか! 何で……晶先輩を、無視するんですか!」
 腰に回した腕に、ぎゅっと力を込める。こんなんじゃないのに。本当は、違うはずなのに。
「逃げないで下さいよ! ちゃんと今を見て下さいよ! 晶先輩がどんな思いでこより先輩と一緒にいると思ってるんですか! そうやって過去に……自分に甘えるのは、やめて下さいよ!」
 だけど、無理をしているんだ。見ていないんだ。見えない振りをして、眼を閉じているんだ。
「その眼は、その〈析眼〉は節穴ですか! 今まで何を見てきたんですか! 晶先輩が、何で戦ってると思ってるんですか! 何で傷付いてると思ってるんですか! 晶先輩を傷付けているのは……誰だと思ってるんですか!」
 怒鳴り続けながら、涙が溢れそうになるのを、真琴は必死に耐えた。違う、きっと泣きたいのは晶だ。今ここで、自分が泣くわけにはいかない。どれだけ悔しくても――泣くわけには、いかないのだ。
「……でも、彼は……」
「他人ですか!」
 こよりの肩が、ぴくりと震える。温い言葉では駄目だ、今ここではっきりと言わなくては、きっとこのままになってしまう――そんなのは、嫌だ。
「気付いてないと思ってるんですか! 〈血の裁決〉さんや〈急進の射手〉さんは気付いてないかもしれませんけど、ボクは気付いてます! たぶん、晶先輩も!」
「……やめて……」
「こより先輩が何かを隠してること! ずっと『演技』を続けてること! どうしてなんですか、どうしてこより先輩は、晶先輩を受け入れないんですか! あれだけ――」
「やめて!」
 悲痛な叫びが、真琴の詰問を阻む。
「言わないで! わかってる! でも、だけど、だって、私は――!」
――ああ。
 これは、本音だ。この声だけは、本物だ。
 溢れ出る感情を抑え込むかのように、あるいは自身の感情から必死に耐えるように、こよりは肩を震わせている。こよりの身体の下で、真琴にはそれが痛いほど伝わった。
 同じなのに。
 晶先輩もこより先輩も、きっと想いは同じなのに。
 「何か」に縛られたままのこより先輩には、その想いすら枷なんだ。その想いすら――咎なんだ。
「……先輩。ボクは悔しいんです。何もできないことが、何もできないまま、間違ったままのこより先輩を、ただ黙って見ていることが。でも、そんなの嫌なんです。だから――」
 大好きな人には、笑っていて欲しい。ただ、それだけの願い。
「だから、これがボクの戦いです。こより先輩には、本当に笑って欲しいから」
「真琴……ちゃん……」
「先輩の戦いが何なのか、ボクは知りません。まだ言えないのなら、それでもいいんです。だけど……晶先輩の戦いを、ないがしろにしないで下さい。晶先輩の想いを、なかったことにしないで下さい」
 言った。言いたいことは、全部。
 この後どうするかは、彼女の問題だ。
 ――長い沈黙。
 気付けば、こよりの肩の震えは止まっていた。真琴はこよりの下で、辛抱強くこよりの答えを待った。
 そして。
「……真琴ちゃん。状況は?」
 冷静な――あるいは、何かを決意したような、静かな声。
「もちろん、こより先輩の下でぺっちゃんこです!」
 そうじゃなくて、というこよりの声を聞きながら――真琴は、密かに涙を拭った。

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