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屠殺のエグザ

第四章第三話:狙撃 と 迎撃

 咄嗟だった。
 視界に飛び込んできた矢は、こちらに向いている。隣を歩くこよりは、まだ気付いていない。
 矢の角度、そして速度。周囲の気流。僅かに、左へ風が吹いている。このままならば、当たるのは自分ではなく――。
「後ろだ!」
 晶は叫ぶと、こよりの背に鞄を翳した。こよりが振り向くのと、鞄の中心に矢が刺さるのが同時。ひと眼で状況を把握したこよりが、矢を射た者を求めて先を睨む。
 しかし、その時には既に、人影が飛び出してきていた。
「っ! あれは……!」
 人影は走りながら、手にした弓で次々と射てきている。矢を番える様子も無く、ただ弦を引き、放すだけ。それでも間違いなく、その弓からは矢が放たれていた。
「噂には聞いていたけど……」
 雨のように降り注ぐ矢を、晶は正確に鞄で受け止めた。咄嗟のことで成功したのか、鞄は〈変成〉され、飛んでくる矢を弾き返している。
「それが〈神器・アトラーバオ〉? ということは、あなた――」
 目前に、人影が迫る。腰まで届く長い髪の少女。こよりと、同じ服の。
「――あなたが、〈急進の射手〉だったのね」
 少女の体が沈んだ。屈伸の動作に入る前に先を予見した晶たちは視界を下に動かすが、その時には既に、少女の体は上下に反転し、長い足が二人の首を刈り取ろうとしていた。
「――うぉっ!?」
 晶は辛うじて、こよりは十分な余裕を持ってこれを避け、少女を中心に割れるように二手へと分かれた。地面に手をついた少女は、そのまま進行方向へと腕の力だけで大きく跳躍、着地。少女は屈んだ姿勢のまま、再び弓を構える。
「それはこちらの台詞よ、倉科こより。まさか貴女が、あの最強のエグザだったなんてね」
 こよりが隠し持った折りたたみ式のロッドを剣へと〈対置〉する。晶は、一歩下がった。
「……まあ、いいわ」
 〈急進の射手〉と呼ばれた少女が、弓を構えたまま立ち上がった。緊張が走る。
「襲撃に失敗した時点で、私に不利だもの。〈変成〉持ちの〈析眼〉を貴女が手にしている以上、正攻法では私に勝ち目は無いしね」
 大きく、後ろへの跳躍。人間離れした動きで、〈急進の射手〉は二人と大きく距離を開けた。
「今日は退くわ。だけど、覚えておきなさい。〈協会〉は貴女を逃さないし、私は彼を渡さない。いずれ、必ず貴女の手から取り返す。たとえ貴女が、最強のエグザであろうとも」
 言い捨て、〈急進の射手〉は街路の角へと姿を消した。
 取り残された二人の周りに散っているはずの矢は、今は影すら残っていない。
「今の……」
 かなりの時間を置いて、晶が呟いた。
「ウチの学校の制服だったろ。あれ、ウチの生徒じゃないのか」
 それに、こよりの名前を知っていた。こよりも、あの〈急進の射手〉とかいう少女を知っているようだったし、そう言えば顔に見覚えがあるような気がしないでもない。
 ふとこよりの顔を見ると、信じられないものを見たかのように眼を丸くしている。
「ど……どうしたんだよ」
「君、もしかしてと思うけど……今の人、知らないわけじゃないよね?」
 知っている訳が無い。同じクラスとか言うなら別だが、さすがに全校生徒の顔と名前など把握しているはずもないだろう。
「知らん」
「うっそだー……ってかアリ? 青春を謳歌する男子高校生として、それってアリ?」
 今度は頭を抱えている。一体なんだというのだ。
「お前は知ってるのかよ、あいつ」
「知らない人は珍しい……というか、知らない人なんて初めて見たよ」
 どうやら、有名人らしい。
「いいから、勿体つけずに教えろ」
「三年の小篠零奈先輩だよ。私が入学するまでは、学校のアイドルだった人」
 名前だけは、衣谷たちから聞いたことがあった。例によって全く興味が無かったために、顔すら知らなかったが。
「まあ、知らなくて当然か。私のことすら知らなかったぐらいだからねぇ……」
 呆れ顔でため息をつくこより。まるで、自分の方が人気があるとでも言いたいかのようだ。
「衣谷の奴は、小篠先輩とお前とで人気を二分している、って言ってたぞ」
「む、そんなことないもん。私の方がウケてるもん」
 ぷっと頬を膨らませて抗議するこより。正直、晶にとってはそんなことはどうでもいい。
「で、何でその先輩が〈エグザ〉なんだ」
 こよりのような能力者なんて、そうそう出会わないと思っていた。だから、多分大丈夫だと。多分、同じ〈エグザ〉に襲われることなんて、とても低い可能性だと。そう、自分に言い聞かせて安心していたのに。
「うん、まあ、滅多に出会うことなんて無いはずなんだけどね。運がいいというか、悪いというか」
「どう考えても悪い。〈浸透者〉だけで手一杯だってのに……」
「でも、さっきのフォローはナイスだったよ」
 こよりは、にっこりと笑うと指で丸の形を作ってみせた。
「気流だけで後ろから飛んでくる矢に気付くなんて、大したものだよ。それに、矢は完全に防いでくれたしね」
 〈急進の射手〉はあの矢の弾幕が厄介なんだ、とこよりは呟いた。
「お陰で最悪の事態にはならなかったからね。うん、大丈夫。君がいれば、〈急進の射手〉なんて怖くないよ」
 さ、帰ろう、とこよりは、先に立って歩き始める。
 その背中を見ながら、晶は胸に引っかかる一つの疑問を考えていた。
 最初の一矢は、間違いなくこよりを狙っていた。確かに、風向きは僅かにこよりに向かって吹いていたが、走りながらですら正確に射ることが出来る相手だ。〈析眼〉も持っていることだし、こよりを狙って射たのは間違いない。
 しかし、何故こよりでなければならなかったのだろうか。
  正面から戦うのなら、護衛のこよりを狙うことは間違いではない。だが、背面からの狙撃となれば話は別だ。もしも零奈が晶の〈析眼〉を狙ってのことであれ ば、必要なのは眼だけであって、晶の生死は問題ではない。まずは晶を殺し、動揺したこよりを始末する方法もあったのに――。
 いや、考えすぎだろうか。どちらにしても、成功しさえすれば目的が達せられるのは間違いない。
 それでも、やはり腑には落ちない。
 その後に続いた、あの雨のような矢による攻撃も、ターゲットは全てこよりだった。晶には、一矢たりとも飛んできていない。
(小篠先輩は、あいつを倒そうとしていた――けど、少なくとも俺を殺す気は無かった、ってことか……?)
  もう一つ、零奈は晶を「奪う」とか「手に入れる」ではなく、「取り返す」と言っていた。文意のままに取るのならば、晶は元々零奈の手にあって、それをこよ りが奪ったことになる。しかし当然、晶にはそんな記憶は無い。そもそも、零奈も名前だけ辛うじて知っていた程度なのだ。
「おーい、早く帰ろうよー! 今日の晩御飯、なにー?」
 遠くでこよりが手を振っている。
「たまにはお前が作れ、この居候!」
 叫び返して、晶は頭を振った。
 分からないことは色々ある。〈協会〉って何なのかとか、零奈が持っていた、矢を番えずに射られる弓とか、あの全然強そうに見えない「最強のエグザ」とか。
(ま、後であいつにでも訊いてみるか)
 考えていても仕方が無い。
 晶は、まだ何か叫んでいるこよりに向かって、走り出した。

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