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屠殺のエグザ

第三章第四話:裏庭 と 変成

 どう考えても、分が悪い。晶は思わず、こよりの顔を窺った。「大丈夫」というようにこよりは笑って首を振ったが、その表情もぎこちない。
――無理だ。
 裏門の方から五体、南校舎の奥から十五体。挟撃する形で現れた〈浸透者〉の援軍は、すぐにもここに到達するだろう。こちらには、まだ五体以上の残存だ。このままでは、遅かれ早かれ殺される。
 こよりがどう、とかではなく。
 覆せない、数の論理で。

(……ならっ!)
 数を、増やしてやればいい。
 晶は隙を見て、残っている〈浸透者〉の囲みから抜けた。こよりが返依したお陰で、それ自体はさほど労せず成功する。
 晶が目指したのは、窓の下、植え込みの影に捨てられた、古い箒の柄だ。転がるようにそれを引っ掴むと、正面に構えた。
 戦う。戦える。
 こんなところで、

 死んで、たまるか。

 囲みを抜けた晶を、〈浸透者〉の一体が不規則な動きで狩りに来る。
――眼を逸らすな。全神経を集中しろ。俺のこの眼には、世界のすべてが視える!
 迫り来る〈浸透者〉。口から空気を吸い込み、それを左右と後方の穴から噴出することで移動を行っている。なら、視えるはずだ。読めるはずだ。肺にあたる器官があるのなら、その筋肉の動きを知ることで、敵の動きが。
 大きく左に動いた後、左の空気穴が僅かに弛緩する。ダメだ、それだけじゃ遅い。もっと、もっと先を知れ。
 左の空気穴からの噴出が始まる直前、流速を上げるために空気穴がキュッと窄まる、その一瞬。硬直させた筋肉の反動か、右は弛緩している。しかし、後方の空気穴には、僅かな緊張が残っていた。それは、きっと、

――突進の、前兆。

 晶は正面に構えた箒に、力を込める。もはや用をなさなくなったそれはあまりに弱く、人の手で簡単に折れてしまいそうだったが、それでも。
――これは、折れない。折らせない。
 ひと睨み、向かってくる〈浸透者〉に意識を集中する。跳ねるように右に動いた〈浸透者〉の、次の動き、既に知っているそれに合わせて、箒を振るった。
 激しい火花と、甲高い金属音と共に、〈浸透者〉は地を跳ねた。
「おい、お前!」
 晶は叫ぶ。自分には、出来ないことがある。
「俺がこいつらを叩くから、お前は片っ端から返依していけ! お前はどう言うか知らんが、このままだと絶対に二人とも殺される!」
 叫びながら、晶は次の目標に突進する。まだこよりに掛かっている〈浸透者〉の動きなど、読むまでもない。続けざまに二体、叩き落した。
 とりあえずは三体に減った囲みに戻った晶は、ロッドを構えるこよりと背中合わせに立つ。実際はこの囲みも、あとものの十数秒で元の倍くらいに増えるが、逆に言えば、十数秒の猶予はあるということだ。
「戦う気、無いんじゃなかったっけ?」
「お前がフツーに仕事してりゃ、俺が戦う必要なんて無かっただろうが!」
 言い合いながらも、眼の前の一体をこよりの方へ跳ねるように叩き落した。地面でバウンドした〈浸透者〉を、こよりはどこに跳ねるのか知っていたような自然さで手に触れ、返依す。
「数の少ない方から返依すわ。君に切り込んでもらうことになるけど――」
「ならさっさと行くぞ。ボーっと立ってても状況が悪くなるだけだ」
 こよりの言葉を遮り、晶は体を沈ませた。頭上を、〈浸透者〉が通過する。体だけ回転させて、箒で重心とは別の位置を突いた。バランスを崩した〈浸透者〉は、立ち直れぬままこよりに返依される。
 屈んだ姿勢から、五体いる〈浸透者〉の群れへ、晶が一気に加速する。体が軽い。自分の体を、どう動かせばいいのか、今どう動いているのかが、解る。
 これなら負けない。どんな敵でも、負ける気がしない。
――俺は今、この眼で。

 世界のすべてを、知っている。

 裏庭に普段の静寂が戻るのに、十分も掛からなかった。返依された〈浸透者〉の痕跡は〈此の面〉には残らない。歪んでいた空間も、〈浸透者〉を全て返依したことにより、正常に戻った。
 今、晶は、こよりと差し向かいで、裏庭の中心に立っている。こよりの手には、晶が武器として使っていた箒があった。
「〈析眼〉で見れば判ると思うけど、この箒、鋼鉄並みの強度があるよね?」
 それは最早、箒と呼べる物ではなくなっていた。
「俺がそれを拾った時は、確かにただの箒だった。このままじゃ殺される、戦わなきゃって思って……そうしたら、何だかその箒が、どうしたって折れないような物に思えてきて――」
 こよりの手が、柄を撫でる。ややあって、こよりが口を開いた。
「君の眼は、ただの〈析眼〉じゃない」
 初めて会った夜。〈浸透者〉を弾き返したビニール傘。
 今の戦い。〈浸透者〉を打ち据えても折れない箒。
「君の〈析眼〉は、とびっきりの特別製。〈変成〉持ちの〈析眼〉だわ」
 右眼だけの〈析眼〉で、晶は。
「〈変成〉持ちの〈析眼〉は、物の本質を見るだけじゃない、本質を書き換えていける。世界を、〈変成〉していける」
 〈変成〉を使い、無意識に。
 傘や箒の硬度・弾性を上げていた。
「……その〈変成〉持ちの〈析眼〉って、珍しいのか?」
「珍しいどころじゃないよ。〈エグザ〉が百人いたって、その中に一人いるかどうかっていうくらいの確率でしか生まれないんだから」
 これで、本当に気を付けないといけなくなったね、とこよりは言った。
「どういう意味だよ」
「〈変成〉持ちの〈析眼〉なんて、〈エグザ〉にとっては喉から手が出るほど欲しい代物よ。〈浸透者〉だけならいいけど、まず間違い無く、他の〈エグザ〉が君の〈析眼〉を狙って襲ってくる」
「お前も〈エグザ〉だろ。お前は違うのか?」
 晶が冗談めかして訊くと、こよりは例の黒い笑みで答えた。
「盗る気ならとっくに盗ってるけど? なぁに、私に奪って欲しいって?」
「……お前にだけは、やらん」
 風が吹いた。乾いた裏庭の砂を巻き上げ、辺りを一瞬、黄色に染める。
 〈浸透者〉、そして〈エグザ〉。狙われているのは、この〈析眼〉。〈変成〉能力を備えた、特別な。
 〈エグザ〉の少女を見る。こよりは、スカートの裾を押さえて、笑っていた。
「……戻ろっか」
「ああ、そうだな」
 答えながら、晶は感じていた。これが、まだ始まりでしかないことを。

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