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屠殺のエグザ

第五章第八話:夢 と 現

 その頃は、何の力も無かった。
 だから、あの時も、何も出来なかった。ただ眼の前で、両親が〈浸透者〉に殺められる様を、見ていることしか。
 失われていく命。次にその凶刃が向くのは、自分、そして、自分の後ろで泣きじゃくる、弟。
  両親は、優秀な〈エグザ〉だった。だからこそ、少女と少年は、その危機を生き残った。並の〈エグザ〉なら、突然の来襲に対応しきれず、一家揃って全滅して いただろう。だから、子供たちが――子供たちだけでも生き残れたのは、紛れも無く、両親の突出した戦闘力のお陰なのだ。

――それが、何だって言うの……。

 少女は、物言わぬ骸を抱きかかえる。その小さな手で、その細い腕で、まだ小さな、その胸に。
 大きな声で泣き叫んだ。多分、父と母を呼んでいるのだろうが、泣き声が混じって聞き取れない。少女本人も、自分が何を叫んでいるのか、分からないだろう。
「お父さんとお母さん、死んじゃったの……?」
 少女の背後で、声がした。振り返るとそこには、頬を涙で濡らした、弟の姿。

――死んだ? お父さんと、お母さんが……?

 抱いた身体が重かった。血に滑る手から、その身体が、がくんと落ちる。
 少女は顔を伏せた。両親の死という事実、否応無く突きつけられるその現実に、耐えるように。
 肩が震える。少女はぎり、と歯を食いしばった。
「何を……してたの……?」
 少女が漏らしたのは、小さな声だった。誰に問うでもないその問いに答える声もまた、ここには無い。返るはずも無い答えを求めるように、少女は叫んだ。
「〈此の面〉の〈エグザ〉は、何をしてたの!」
 ここ〈彼の面〉に〈浸透者〉が現れるのは、二つの世界のバランスが崩れているためだ。〈此の面〉に現れる〈浸透者〉を、向こうの〈エグザ〉がちゃんと返依していれば、〈彼の面〉に〈浸透者〉が現れるなどあり得ない。
「許さない、〈浸透者〉も、〈此の面〉の〈エグザ〉も、〈此の面〉の奴らは全部!」
 怨嗟に塗られた咆哮が、惨劇の家に響く。そして、その日から、

 少女は、剣を手に取った。

 こよりが薄く眼を開けると、真っ先に視界に入ったのは、晶の顔だった。
「眼、覚めたか」
 一瞬、彼がとても心配そうな顔をしているように見えたが、それは気のせいだろうか。
「あれ、どうしてここに……?」
 問いかけてから、倒れる前の記憶が一気に戻った。確か自分は、〈浸透者〉と戦っていて、倒されて――。
「し、〈浸透者〉は――ッ!」
 起き上がろうとして、呻く。そう言えば、かなりのダメージを負っていたのだった。意識すると、体中が砕けそうなほどに痛む。とりあえず周囲の状況を確認するが、どうやらここは晶の家で、自分に宛がわれた部屋の、ベッドの上のようだ。
「いいから寝てろって。〈浸透者〉は、お前が返依してくれたよ。――俺があいつに、踏み潰される直前にな」
 そっか、返依したのか、私。こよりは、安堵する。そして同時に、ある疑問が浮かび上がってきた。
「えっと……じゃあ君が、私をここまで?」
「かなり重かった。お前普段何食ってんだ?」
 くそう、殴ってやりたいけど、痛くて体が動かせない。しかし晶はすぐに「冗談だ」と続けた。
「傷がかなり酷かったから、とりあえず傷口だけは〈変成〉して出血を止めたんだけどな。病院にも行けないし、けど、その傷放って置く訳にもいかないだろ。どうすればいい?」
 表面的な傷だけならともかく、内部にまで干渉する〈変成〉を、人間相手に行うわけにはいかなかったのだろう。成功すればいいが、失敗したら手の施しようが無くなる。
「大丈夫。意識さえ取り戻せれば、あとは〈析眼〉と〈換手〉の効果で、体組織の自動修復が行われるから」
 便利な体だなお前ら、と言って、晶は今度こそ、ひと息ついたようだ。一転、表情を険しくして、こよりを睨む。
「それじゃあ、お前に言っときたいことがある」
 ああ、怒ってるな、この顔。
「お前、無茶しすぎだ。お前は俺を守るって言っときながら、あんなところで死ぬつもりか? お前がああいうことするから、俺は一人で戦わなくちゃいけなかったんだぞ」
「ご……ごめん……」
 間違ってない。確かにこよりは、晶を守ると誓った。それが謀りだと言われても、仕方が無い。
「――俺、〈析眼〉の開き方、覚えたから。〈変成〉も、自由に出来るようになったから。だから……」
 お前と一緒に、戦えるから。そう言って晶は、視線を横に逃がした。
「い……今……何て……?」
 戦わない。何度もそう言っていた晶の言葉だとは、思えなかった。
「だ、だからだな。お前にあんなところで死なれたら、誰が俺を守るんだって言ってるんだ!」
 心なしか、晶の顔が赤い。晶の「弁解」は、なおも続く。
「お前に死なれたら俺が困るんだよ。だから、お前が死なないように、俺が――」
「守ってくれるの……? 私、を……?」
 晶は何も言わなかった。肯定はしないが――否定もしていない。
 ふと、こよりが視線を下げると、こよりの右手を、晶の両手が包んでいる。
――ああ、守ってくれるんだ、私を。
 不思議な人だ、彼は。
 私はこの世界に、彼を守りに来たのではないのに。
「お前、危なっかしいから」
 こよりの手を握る、その手に力が込められる。
「だから……俺は戦うよ、こより」
 それは、彼の「宣言」だった。彼は一歩を踏み越えた。安穏とした日常と、殺伐とした非日常を隔てる、その一歩を。
「……初めて、私を名前で呼んでくれたね」
「そ、そんなこと無いと思うけど?」
「だっていっつも、『お前』なんだもん」
 なら、私が踏み越えないでどうする。元々私には似合わない世界だ。永遠に続く夢なんて無い。私は、私がすべきことをするために、ここに来たのだ。
「まあいいよ。とにかく、今度からは俺も一緒に戦うから。――こよりと」
 ああ、だけど。
 それでも、このぬるま湯に浸かっていたいと思うのは、罪だろうか。
「うん、分かった。――頼りにしてる」
 気を失っている間に見た夢は、忘れてない。あれこそが、今私がここにいる原初の理由。思い入れるなんて、許されない。でも――。

 認めなきゃいけない。
 私にとって彼はもう、特別な存在になりつつあるのだと。

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