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屠殺のエグザ

第十章第九話:決意 と 願い

 二度。
 〈浸透者〉の攻撃を避けることに、零奈は成功した。ただのそれだけで息は上がり、両眼はキリキリと痛んでいる。〈析眼〉の活性化による肉体の最適化は、身体が慣れていなければただの毒だ。通常時以上に筋肉が疲労し、また極度の緊張という精神状態もそれに拍車をかける。
(もう、だめ、かな……)
 いや、良く持った方か。稼いだ時間は数秒か数分か――長く感じるが、当てになどならない。
(ううん、まだ、だめ)
 零奈は首を振り、ネガティブな意識を振り払う。まだ誰も助けに来てくれていない。晶を誰かが助けてくれるまでは、死ぬわけにいかない――絶対に。
 足が重い。思った以上に体力を消耗している。瞬発力が低下している以上、攻撃予測の精度が高くなければ回避など望むべくも無い。が――先の二度の攻撃で、自分の精度は思い知らされた。考えるまでも無く、次の攻撃は避けきれない。
(これで、おわりなら……せめて)
 せめて、急所を外す。そうすれば〈浸透者〉は、零奈を殺すためにもう一度攻撃せざるを得なくなる。それで得られる時間が、たとえ数秒であったとしても。
 〈浸透者〉が腕を振るい、零奈がそれを睨みつける。間もなく、これが、自分の胸を貫くのだ。〈浸透者〉の腕の筋肉が収縮を始め、全身の筋肉が、それに連動して動き出す。その様を〈析眼〉は余すことなく網膜に映し出し、そしてそうなるべくして、放たれる。
 一突きに迫る、腕。
 知りながらも動かぬ、脚。

 零奈は、最期の視界を、晶に求めた。

「おば……さま……」
 零奈の視界を遮ったのは、叔母だった。恐らくは〈変成〉で衣服の硬度を上げたのだろう、〈浸透者〉の突きを両腕で受け止めている。
「大丈夫? れいちゃん」
 叔母がこちらを見ずに声を掛けるのと、〈浸透者〉が大きく後ろに跳ぶのは同時だった。突如現れた〈エグザ〉を警戒したのか、いずれにせよその判断は正しい。しかし。
「姉さん!」
「合点っ、てね!」
 阿吽の呼吸、百戦錬磨の〈エグザ〉には、通じない。跳んだ先に待つのは、零奈の母――瞬速の〈対置〉が武器の、〈刹那の返依〉である。回避のために身体を捻る〈浸透者〉に対し、徒手空拳で挑む母。器用に〈浸透者〉の、長い腕の下に潜り、がら空きのわき腹に手をかざす。
「返依りな……さい!」
 奔る閃光も、母が言い終えた時には収まっていた。〈浸透者〉の姿は、どこにも無い。
「よく耐えたわね、零奈」
 母がこちらに歩いてくる。通常の十分の一の時間で〈対置〉効果を発生させる母にかかれば、全くダメージを与えていない〈浸透者〉であっても、触れさえすれば返依せるに等しい。〈刹那の返依〉の由来だ。
「ごめんなさい、おばさま……あきら、くん、が……」
 表情に乏しい彼女には珍しく、今にも泣きそうな顔で零奈が言った。〈浸透者〉がいなくなっても、晶が傷付いた事実は変わらない。それも、きっと相当の重傷だ。
 叔母は母と顔を合わせ、双方共に頷くと、叔母は晶の方へ、母はこちらへとやってきた。
「あなたはどこも怪我してない? 零奈」
「わたしは、だいじょうぶです。でも、……」
 後の言葉が続かない。言葉にするのが

 怖いのだ。

 遠くで、叔母が屈んで晶の顔を覗き込んでいる。その肩が、ぴくりとも動かない。ああ、やっぱり、ひどいんだ。
 わたしの、せいで。
「気になるでしょ、零奈」
「……いけません」
「怖い?」
 母の言葉は、図星だ。現実を知れば、僅かな期待に逃げられない。あれだけ傷つけて、まだ逃げようとする自分が、ひたすらに痛かった。
「責任があるわ、零奈には。あなたは、晶くんを守らなければならなかった。そして、守るために戦った。その結果には、責任を持ちなさい」
 母の顔は優しかったが、その内容は決して優しくなかった。いや、あるいはこれが優しさだったのか。何にせよ零奈は、この母の言葉で腹を括った。
「――いってきます」
「よくやったわ、零奈。あなたは頑張った。晶くんを助けたのがあなただってこと、忘れちゃダメよ」
「わすれません、ぜったい」
 数歩歩いて、そして零奈は立ち止まった。振り向かずに、続きを口にする。
「わたしだっていうこと……あきらくんを、たすけたのも――きずつけたのも」
 言い残し、駆けて行く。その後姿を見送る母の表情を知る術は、零奈には無い。そんなもの、必要無かった。

「おばさま……」
 叔母の背に声を掛ける。背中越しでは、晶の状態は見えない。いくら決意したとはいえ、やはり直視するのは躊躇われた。
「……ありがとう、れいちゃん。あなたが晶を、守ってくれたのね」
 静かなその声は、本当に安らかで。
「でも……まもりきれませんでした。――ごめんな、さい」
 だから零奈は、泣きそうになってしまった。
「大丈夫、晶はちゃんと生きてるわ。れいちゃんのおかげで、ね」
「それで、どうなの?」
 背中から投げられた声は、母のものだ。いつの間にかこっちに来ていたらしい。
「右眼は……ダメね。周辺組織の損傷も激しい。傷が脳まで達していないのは不幸中の幸いだけど……」
「治せる?」
「表面の傷だけなら。でも、内部組織の修復までは〈変成〉じゃ無理だし、眼球もここまで損傷していると……」
「そう……ごめん……」
 謝る母に、叔母が「助ける方法が一つだけあるわ」と言って、笑った。
「私の右眼を、晶の右眼と〈対置〉すれば大丈夫。〈析眼〉の能力で体組織の修復も行われるし、右眼も失わなくて済む」
「でも、それじゃ……!」
 母の言葉、制止の意思を、しかし叔母は静かに首を振って遮った。そして零奈の眼を見て、言ったのだ。
「れいちゃん。これから晶に、私の〈析眼〉をあげるわ。でも〈析眼〉を持つ以上、晶はこれから、きっと沢山の〈浸透者〉に襲われる。晶は、れいちゃんと違って戦えないから――」
 そして浮かべた、優しい微笑み。何もかもを、包むような。

「――だから、これからも晶を守ってね、れいちゃん」

 それが、叔母を見た最後となった。

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