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屠殺のエグザ

第四章第一話:寝顔 と 寝息

 あたたかい。
 何だろう、安心する。

 ひとりじゃない。
 包み込むような優しさが、溢れている。

 きっと、ずっと。
 たぶん、ずっと。

 俺は、それが欲しかった。

「ん……」
 柔らかい。温かなそれは、心地良くて。
 鼻腔をくすぐる甘い香りが、夢と眼醒めの狭間にある意識を、まどろみへと引き込もうとする。
 何だろ、これ。
 腕の中で微かに動くそれは、規則正しく呼吸を――。

――――――。

――呼吸、を……。

「って何だそれはぁっ!」
 絶叫と共に、晶はベッドから落ちた。昨夜は確かに客間に押し込んだはずのそれが晶のベッドで、しかもあろうことか――自分の腕の中で寝ていようとは、一体誰が予測出来ただろう。
――否、相手が相手だ。予測して然るべきだった。
「なっ、なっ、なっ……」
 突然の出来事に(そして自分が置かれていた状況に)心臓は早鐘を打ち、舌が全く回らない。俗に言うパニックである。冷静な現状認識など、望むべくもないのである。
「んぅ……」
 ベッドの中の不法侵入者が、普段の行動からはおよそ想像もつかないような可愛らしい寝息を漏らした。いや、可愛らしいのは寝息だけではない。
(危うく……騙されそうに……)
  すぐに飛び退き(そしてベッドから落下した)、視界から消えたものの、飛び退くまでの僅か一瞬の間に、晶の類稀なる能力〈変成〉持ちを誇る「物体の本質を 見る眼」〈析眼〉は、余すことなくその能力を発揮し、自分の腕の中に眠る少女の寝顔、その映像を脳へと送り届けた。そしてそれは、端的に言えば非常に可愛 らしかった。まだあどけなさの残る顔立ちが、自分を抱く少年を信頼しきっているように、安心した表情でその身を預けているのだ。晶の超絶優秀な〈析眼〉 が、視界の端で昨日の朝同様、涎でヒタヒタになった枕を視認していなければ、間違いなく騙されていた。いや本当に大変危険な状態だったのである。
「いい加減……っ」
 晶は、肩を震わせながらこよりの耳元に口を近づけた。
「起きろこの腹黒超能力者ぁ!」
 腹の底から叩き出した大声に、こよりは――別段動じた様子も無く、実にマイペースに眼を覚ました。
「ん……ぁふ、おはよぉ」
「変な声で挨拶すんな!」
「は……あ……んっ」
「欠伸なら欠伸らしくしろっ!」
 晶は血管が切れそうだ。
「昨日に引き続き、何で今朝もここで寝てるんだ! お前にはちゃんと客間を与えただろ!」
「んー……だってぇ」
 こよりはと言えば、まだ半分……というか傍目には開いているのか自体が疑わしいほど薄っすらと眼を開け、ほとんど寝ている体である。
「別の部屋だと、君に何かあった時に対応遅くなるしー」
「だからって、同じベッドに入る奴があるか! ちょっとは女の子だっていう自覚を持てよお前は!」
「自分が男として見られているかどうかっていう前提を確認しなかったのが故意かどうかは置いといて、昨日は君をベッドから追い出したから怒られたわけでしょー? だから、今回は一緒に寝てみましたー」
 ちょっと、今何かサラッとショックなこと言われた気がするんですけど。寝惚けていると更に凄いですねこよりさん。
「分かった、いいから、早く出て行け。着替えるから」
 晶は諦念の混じった声で言うと、まだ惚けているこよりを部屋の外に放り出し、ドアを閉めた。

「今日はちゃんと、朝ごはん用意してくれたんだね」
 昨日に引き続き、二人並んでの登校である。晶もこよりも、手にそれぞれ提げているコンビニの袋は昼食で、こよりが嬉しそうに言った通り、今朝は彼女の分も食事を用意した。そのためか、こよりは非常にゴキゲンである。
「まあ……一応は守ってもらう立場だしな。ウチに置くんだし、食事くらい出すのが礼儀かな、と思って」
 本当は、食料くらい自分で調達してこいと言いたいところだが、さすがにそれは自分のポリシーに反する。
「うんうん、結構結構。ようやく自分の立場が自覚出来たみたいで、こよりちゃんはとっても嬉しいぞ」
 立場云々言うのなら、自分に宛がわれた部屋で大人しくしていてほしい。
 晶は、満面の笑みで通りを闊歩する少女の背中にため息一つ、気を取り直して話題を変えた。
「で、今日はどうするんだよ? お前のことだから、また何だかんだ言って押しかけてくるつもりだろ?」
 さすがに毎回それでは身がもたない。来るたびに不穏な噂が立つのも耐え難い。どうせ場所は屋上と決まっているのだから、最初からそこで会おうという提案は、
「あの教室での騒動も含めて一イベントよ?」
という一言で、あっけなく片付けられた。

 屋上から、次々に登校してくる生徒たちを見下ろす人影があった。射るような視線は、やがて一組の男女に留まり、切れ長の眼が不快そうに細められる。
「まさか、〈協会(エクスラ)〉のお膝元にいたとはね。それに――」
 眼を離してはいけなかった。あれは、自分に託されたものだ。守るために、守り抜くために、
「殺さなきゃ、私――」
 拳が、握り締められる。
 躊躇は無い。いや、あってはならない。これは私の不手際だ。私が始末をつけるべき問題だ。他の誰かの手を煩わせるなど、自分が許せない。
「〈血の裁決〉より先に、片を付ける」
 少女は呟いた。
 自分は、〈急進の射手〉なのだから、と。

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