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屠殺のエグザ

第十一章第五話:魔鎌 と 魔眼

「……下がりたまえ、〈析眼の徒人〉」
 突如、ラーニンが低く唸るように言った。晶が、その視線の先を追う。そこには。
「……レイス……っ」
 有効打を与えたわけではない以上、時間稼ぎでしかないのは分かっていた。だが、だとしても。
 〈四宝を享受せし者〉レイスが、〈陽炎魔鎌〉を手に、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。まったくの、無傷で。
「〈四宝を享受せし者〉だな? 私は〈協会〉の〈粛清者〉、〈血の裁決〉ラーニン=ギルガウェイトだ。お前の名は〈協会〉のリストに上がっている。〈粛清者〉権限で、お前を討たせてもらうぞ」
 言い終えるが早いか、ラーニンが〈断罪剣〉を〈対置〉し、構える。
 〈断罪剣〉には、斬れない物はない。刃の触れた対象を〈変成〉し、硬度を変えてしまうからだ。真琴の〈SHDB〉のように特殊な〈神器〉以外は、簡単に破壊してしまう。〈グラックの五大神器〉が一つ、〈陽炎魔鎌〉とて例外ではない。
 圧倒的優位は明白。しかし、ラーニンの顔に余裕はない。
「……いつまで保つか分からん。倉科こよりを連れて逃げられるか?」
 レイスに発言を読まれないよう、幅広の刀身で口元を隠しながら、ラーニンが小声で問う。
「俺たちが動いたら、レイスはそれを追うだけでしょう」
 逃げられない。逃げるわけには、いかない。
「同意見だ。……せめて、時間を稼ぐ」
 相対した〈エグザ〉のことごとくを葬り去ってきたとされる〈四宝を享受せし者〉レイス。名を知らぬ者はおらずとも、実際に姿を見たことがある者は極めて少ない。それは、今こうして〈神器〉を構えているラーニンとて同じだった。
 唯一の頼りは、〈神器〉戦では相性が良い、という──たったひとつの、要素。
 ラーニンが構えを調整し、晶が下がる。戦闘開始の合図だ。
 じり、と焼け付くような緊張感の中、ラーニンは微動だにせずにレイスを睨む。
(相手の出方を伺っているのか……? 後手に回るリスクよりも──)
 予備知識の少なさから来る、迎撃のリスクを取ったか。
 この距離ならば、レイスは飛び込みからの斬撃以外あり得ない。一度の仕合で、ラーニンなら相手のリズムや癖を掴めるだろう。それに〈神器〉の相性では、圧倒的にこちらが勝っている。受けさえすれば、少なくとも敵の〈神器〉は破壊できるのだ。
 対するレイスは、特に緊張も──いや、感情そのものを、欠片も見せていない。無表情に、構えもなく、ただラーニンを見ている。
 全くの対極にある二人の姿勢は、しかしそこに入り込む余地すら感じさせない。レイスはラーニンが自ら飛び込んでくることはないと読んでいるのか、値踏みするようにラーニンと〈断罪剣〉を眺めている。
 先に動いたのは、レイスだった。
 実際の時間よりも、何倍も引き伸ばされたかのように感じた一瞬の後、レイスは右手に〈陽炎魔鎌〉をぶら下げたまま、左手をマジシャンのように開いて見せた。
 一瞬の閃光。〈対置〉効果の反応だ。〈絶対領域〉から〈対置〉したと思しきレイスの手には、サングラス──あるいは、スポーツゴーグルとでも呼ぶべき形状の物が収まっていた。
「あれは……まさか……」
 晶の口から思わず漏れた呟きも意に介さず、レイスはそれを映画のような優雅さで掛けた。
「……厄介だな、実に」
 ラーニンの、眉間の皺がさらに深さを増す。眼を隠されてしまえば、相手がどこを見ているかという情報そのものを伏されたも同じだ。視界の確保と同じくらい、敵の視界の把握は対〈エグザ〉戦においては重要だというのに。
「おまけに、どうやらただのゴーグルではないようだ」
「ええ」
 晶が頷き、答える。
「あれは……〈神器〉ですね」
 本来であれば武器としての形状を外れることはあり得ないとさえ言える〈神器〉において、ゴーグルという形状は極めて異色だ。いや、その固定観念をいとも容易く捨て去れることこそ、作り手であるグラック=ラバロンが天才であることの証明と言えるのかもしれない。
「効果は解読できるか?」
「……時間さえあれば。でも、簡単では……」
 〈変成〉によって、物体の本質を細かく書き換え、〈対置〉効果を発生させるための回路を組み込んだのが〈神器〉だ。普通の物体のように、ひと眼で本質を読み取ることなどできない。読み取った本質は複雑な電気回路のように、あるいは一種のプログラムのように入り組んでおり、順を追ってどのような処理が行われるのか、解読しなければならないのだ。
「君でも難しいか」
 ラーニンが、特に失望した風でもなく呟く。こればかりは、〈析眼〉の性能がどうこうという問題ではない。
「……恐らく、補助型の〈神器〉、それも常時発動型です。武器の形状じゃない以上、直接攻撃に使うタイプとは思えませんし、回路をざっと見たところ、発動キーが見当たりません」
 それでも、と晶が、最低限予測可能な情報を伝える。ラーニンなら、この情報だけでかなり絞り込めるだろう。
「……感謝する。離れていろ」
 晶が、一歩下がる。今の晶の仕事は戦うことではない。ラーニンが戦っている間に、突破口を見出すことだ。

 レイスが、〈陽炎魔鎌〉を構える。いや、右手にぶら下げている、と言った方が正確か。何気ない動作だが、実際にはどこにも隙を見出せない。踏み込むのを躊躇させる、そんな雰囲気が、オーラのようにまとわりついている。それはもちろん、ゴーグルに遮られた眼も無関係ではないだろう。
 普通の〈エグザ〉なら、焦れて踏み込みそうな間合いを、しかしラーニンは冷静に耐えた。時間稼ぎでもいい、少なくともこよりが動けるようにならない限り、ジリ貧なのだ。
 対するレイスにも、焦れた様子は見られない。だが、しかし。
 一瞬、レイスの体が沈む。直後、レイスがラーニンに急接近していた。間合いは内、ラーニンは完全に主導権を握られる。〈神器〉に頼ったものではない、純粋に〈エグザ〉としての、戦闘能力。こよりを奇襲した際にも見られた、恐るべき速度の踏み込みだ。
 下から〈陽炎魔鎌〉が襲い来る。避けることは叶わない。いや、仮に回避を選んだとしても、〈陽炎魔鎌〉は外れない。必中の〈神器〉なのだ。
 ラーニンが〈断罪剣〉を左へ倒し、〈陽炎魔鎌〉を受け止めようとする。刃が触れさえすれば、たとえ〈神器〉と言えども両断する――それがラーニンの〈神器・断罪剣〉だ。
 気付いたとしても振り上げる軌道を変えることができないレイス。そのタイミングを、狙ったはずだった。
 レイスは流れるような動作で左腕を引き、〈陽炎魔鎌〉の軌道をずらす。下から上へと向かっていたはずの刃は、〈断罪剣〉に当たる直前で、右から左への軌道に変わった。
 手元へと襲い来る刃に対して、今度はラーニンが対応を迫られる番となる。必死に腕を引くが、相対的に前へ出た肩が、〈陽炎魔鎌〉の切っ先に触れた。
 ぐっ、とラーニンが呻くのと、裂けた肩から鮮血が飛び散ったのは、ほぼ同時。それでも一矢報いんと〈断罪剣〉を立てたラーニンの腹に、レイスは容赦ない蹴りを叩き込んだ。一八〇センチを超える体が、トラックに撥ねられたかのように吹き飛ぶ。
「ラーニンさん!」
 相当のダメージなのだろう、晶の呼びかけに応じて一度は立ち上がろうとしたものの、途中で力尽き、倒れこむ。見たところ致命傷ではないようだが、そうそう動けはしまい。
 障害を排除したレイスが、まっすぐにこちら――こよりを、見ている。
(くそっ……どうすればいい……?)
 先の戦いを見る限り、あのゴーグル状の〈神器〉は、〈析眼〉の能力を底上げする、増幅装置のようなものと考えられる。わずかな情報から、ラーニンの動きを事前に読み取ることができたことと、〈析眼〉の能力上昇によって、より運動能力の最適化が行われた結果が、先の一撃の真相だろう。見たところ、あの〈神器〉を使ったレイスの〈析眼〉は、晶と同等のレベル。実戦経験に乏しく、〈換手〉も〈神器〉も持っていない晶は、その分だけ不利だ。
(それでも……やるしか、ないんだ)
 意を決し、レイスを睨み付けた時、背後で声がした。

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