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屠殺のエグザ

第五章第一話:食パン と 浸透者

 窓から差し込む朝日の眩しさに、晶は眼を覚ました。
 もう朝か、などと、寝起きの頭で考え――すぐに、意識が覚醒した。同時に、慌てて自分の状態を確認する。

 ここは自分の部屋だ。
 少なくともベッドから落ちてはいない。
 あまつさえ隣に誰か寝ているなどということもない。
 とりあえず、自分はベッドの中央で寝ていたようだ。

 どうやら、こよりは昨夜、ちゃんと自分の部屋で寝たらしい。
 ほっとすると同時に、少し残念なような――寂しいような感情が湧き上がり、晶は頭を振り慌ててその思考を追い出した。
 流されるな、これはあいつの罠だ。
 枕元に置かれた時計を見る。
 いつもより、三十分遅れていた。

 食事の準備をしている時間は無い。
 晶は急いで制服を引っ掴み、袖を通した。身支度もそこそこに、部屋を飛び出る。
――何かすぐに食えるもん、あったっけ?
 階段を駆け下りながら、冷蔵庫の中身を思い出してみるが、どれも調理しなければ食べられない物ばかりだ。
 こうなったら食パンだけかじるか、とダイニングに飛び込み、
「あ、おはよう」
 先に起きてきていたこよりに出くわした。
「お前、先に起きて……って、もしかして、それ――」
 あの寝起きの悪いこよりが、晶よりも先に起きていたこと自体が驚きだが、さらにその手には白い平皿と、その上には狐色にこんがり焼けたトーストが載っていた。
 「それ」を晶に言及され、こよりはばつの悪そうな顔を赤らめる。
「だ……だって君、全然起きてこないしさ。このままじゃ朝ごはん食べそびれちゃうし。そ、それに――」
 ふとテーブルを見ると、同じように平皿に載ったトーストが、晶がいつも座る席に置かれている。
「昨日、君言ったでしょ。『たまには作れ』って。うん、まあ、それで……」
 思わず、呆気に取られてしまった。まさか、あの厭味を真に受けて――?
 少なくとも、晶の中では護衛の対価として居住空間と食事の提供を行っている、ということで納得出来ているし、てっきりこよりもそのつもりなのだと思っていた。それに――。
(こいつが、居候だからって殊勝にメシなんざ作りそうには見えんだろ……)
 今ひとつパッとしない晶の態度が気に入らなかったのか、こよりは
「嫌なら食べなくていいよ。私が全部食べるから」
と膨れっ面で言った。どうやら、晶が食べたがっていないのだと勘違いしているらしいが、まあちょっとばかりドン引きしていることを思えば、あながち間違っているとも言い切れない。
 ま、折角作ってくれた物だしな……。
「何を寝惚けたことを言ってるんだ。この家の材料を使っている以上、このトーストの所有権は俺にある。お前に食うななどと言われる筋合いは無い」
 言いながら、晶は自分の椅子を引いた。
「……食べるの?」
 不機嫌な声のまま――しかし表情は期待と不安をない交ぜに、こよりは上目遣いで確認する。
「さっさと食べないと遅刻するぞ。遅かったら、お前置いていくからな」
 一口、トーストの角をかじる。焼き色を見て想像はしていたが、これは――。
「焼きすぎ。硬い。っていうかかなり焦げ臭い」
「しょ……しょうがないでしょ、料理苦手なんだから!」
 淡々と事実のみを告げる晶のトースト批評が刺さったのか、こよりは涙眼で抗議する。
「お前、この間学校に弁当持ってきてただろ」
「あれは弟が作ってくれたの」
「というか、そもそもトーストは料理とは言わん」
 なおも反論しようと何かを喚き散らすこよりを聞き流しながら、晶は黙々とトーストを口に運ぶ。

 上手ではないトーストだったが、決して不味くはなかった。

 この騒動で結局家を出るのが遅れてしまった。
 少し歩調を速めた二人が公園に差し掛かると、何故かそこに人垣とパトカー、そして数人の警官が立っていた。
「何だろ、事件かな」
 この公園は晶が初めて浸透者に襲われた場所の近くで、自宅とも結構近い。これだけの野次馬が集まるような事件が、こんな近くで起こるのはあまり気分がいいものではない。
 周囲を見ると、どうやら公園のぐるりはテープで進入禁止にされているらしい。
「お、お二人さん、おはよう。今朝も同伴出勤か?」
 野次馬の中から手が上がった。黒木だ。
「違う」
「はい、『出勤』じゃなくて、『登校』です」
「訂正するところはそこじゃないだろ!」
「夫婦漫才は置いといて、だな。気味悪いよな、今回の事件は」
「黒木、お前これが何なのか知ってるのか?」
 晶の問いに、黒木は眼鏡をくいっと持ち上げた。レンズがキラリと光る。
「もちろん。事件発生は昨日の深夜だ。この公園は、ほら、こっちの道路から向こうの道路まで抜けられるだろ? だからこの公園を通って、向こうまでショートカットする人は多いんだけど、今回の被害者も、向こうの道路に出ようと公園を抜ける最中だったんだ」
 被害者は地元の、この近くに住んでいる人らしい。
「そうしたら、突然象くらい大きさがある何かに、襲われたらしい。幸い、一命は取り留めたんだけど、結構な重傷だったらしいぞ」
「象くらい……?」
 いくら様々なペットが捨てられる悲しい世の中だとは言え、まさか象を捨てる人はいないだろう。というか、飼っている人はいるのだろうか。
「さらに不思議なことに、その様子を見ていた目撃者によれば、その何かは突然現れ、被害者を襲って、またすぐにすーっと消えてしまったんだそうだ」
「突然現れ、消えた……ってことか」
「ま、不可解な事件なんで、警察も動いてはいるけど――すぐに犯人が分かるかどうか。っと、ヤバ、もうこんな時間だ」
 黒木が携帯の時計を確認するのを見て、晶も腕時計を見た。ちょっと冗談じゃない時間になっている。
「じゃ、先に行かせてもらうよ。お二人さんは、ごゆっくり」
 いやゆっくりしている暇なんてないだろう、というツッコミを背中に受けた黒木が見えなくなるのを待って、晶は言った。
「なあ、これってもしかして……」
「うん、多分、間違いない」
 〈浸透者〉。
 この世界〈此(こ)の面(も)〉の裏側〈彼(か)の面(も)〉から来る来訪者。
 通常は〈対置能力者(エグザ)〉以外が干渉し干渉されることは無いが、長期間〈此の面〉に留まっている〈浸透者〉は、やがて完全に〈此の面〉に馴染み、〈此の面〉の全てに干渉出来るようになる。一般人が襲われたということは、つまり。
「完全に表出する直前の、〈浸透者〉の仕業だね」

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