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屠殺のエグザ

第八章第一話:質問 と 答え

 いつもの時間がやって来た。
 もう恒例となったのか、見慣れて面白みも薄れたか、昼休みの度に教室へやって来るこよりに注意を払う者は、もうほとんどいない。
「こんにちは晶先輩! ……とそのお友達さん!」
 極上の笑みで右手に握ったコンビニ袋を高々と掲げるこより。相変わらず妹系アイドルを熱心に演じているこよりだったが――
(ま、戻ったんなら良かったか)
 こうして、何事も無かったかのように振舞える。それはこよりが元に戻った証だ。こよりが語った過去も、今背負っているものも――それが彼女を縛り得ないのならば、きっとまだ戦える。
 それは多分、こよりの戦いで。
 自分がずっと、踏み込めない領域の話。
 名前を省略された二人が必死にアピールしている。ちゃんと名前を呼んであげればいいのに――と思いつつ、いやこよりのことだから本当に覚えてないのかもしれない、とも考えた。
 彼らを上手にスルーしながら晶に近付き、こよりはその手を掴もうとする。しかし。

 コツ。

 教室に響いたのは、学校指定の上履きの底が床を叩く音。決して大きくはないその音に、しかし教室の中は水を打ったように静まり返った。こよりもまた、晶に手を伸ばしかけた姿勢のまま固まっている。晶がゆっくりと、その音の源へ振り返ると、

 そこには、小篠零奈が立っていた。

 艶やかな黒髪は腰まで伸び、それは零奈がひとつ歩を進める度に控え目に踊る。涼しげな眼許には縁の無い眼鏡が光を反射して、殊更にシャープさをアピールしていた。ゆっくりとした歩調、眼は正面からこよりを睨みつけて、その迫力が周囲に冷気を放っているかのような錯覚を与える。
 零奈はゆっくりと晶の前まで歩くと、こよりを睨んだまま、彼の腕に手をかけた。
「返して」
 物音ひとつしない教室の中、零奈の細くてよく通る声が響く。
「これは、私のものよ」
 教室中から一斉に、息を飲む音が聞こえた。晶の気が一瞬遠くなる。
(だ……ダメだろ小篠先輩、そういう言い方は……)
 どう考えても誤解された。教室中に誤解された。今この瞬間、晶はこよりと零奈に二股をかけていたことになっている。これがこよりなら怒るところだが、相手は零奈だ。どう考えても真面目にしゃべっての結末である。つまり、彼女は思ったより天然さんだ。
「貴女には渡さない。彼も、私と一緒にいた方がいい」
 天然さんが駄目押ししてくれた。もうこの誤解は解けると思わない方がいいのかもしれない。
(しかし、状況的には厳しいよな、これは)
 零奈はつまり、以前のような戦いをここで繰り広げようとしている。〈執行者〉以外は他の〈対置能力者(エグザ)〉に攻撃を加えることを認められていない。それを押してでも戦いを挑んだ以上、つまり彼女にはそれだけの覚悟があるということだ。そしてそれを受けるこよりには、引け目こそあれ言い返せるだけの強さは、まだ持てないでいる。
「小篠先輩、それはこんな所でする話じゃないでしょう」
 なら、自分が止めるしかない。晶はやんわりと仲裁に入った。
「……零奈」
「は……?」
 零奈は晶に顔を向け、一言呟いた。
「……名前で、呼んで」
「あ、ああ……じゃあ、零奈先輩」
 再び、一斉に息を飲む音。何かもう、本当にどうでも良くなってきた。
「とりあえず、場所を変えましょう」
「私は倉科こよりと話をするつもりなんてないの。時間の無駄。話をするとしたら……晶、君」
「だ、ダメっ!」
 こよりが、そこで初めて声を上げた。その声音には、慌てた色が濃く含まれている。
「危ないよ、付いて行っちゃダメ!」
「私は晶に危害を加えたりしない……貴女と違って。――行きましょう、晶」
 零奈は晶の腕を掴んだまま、ゆっくりと歩き始めた。
「ちょ、零奈先輩!」
 零奈の動きは静かだ。荒々しさの欠片も見当たらない。しかしそれでも、晶の身体は零奈の引く手に引き摺られるようにして動いてしまう。
「こより、大丈夫だ。零奈先輩は俺を襲ったりしない」
「でも……!」
 こよりがなおも食い下がる。まずい、このままでは零奈先輩が〈神器〉を持ち出しかねない。
「ずっと眼を開いておくから、だから大丈夫だ」
 その言葉を最後に、教室のドアは閉められた。

 屋上に出ると、少し強い風が吹いていた。その風に煽られるように、零奈の長い髪が方々へ踊っている。
「随分、乱暴な手を使いましたね」
 屋上へ着いた零奈は、すぐに晶の腕を握っていた右手を放した。晶の言葉を背中に受けて、しかし零奈はそれに応えるでもなく、向こうを向いたままである。
「いくつか、聞きたいことがあります。〈急進の射手〉小篠零奈先輩」
 どうしてこよりを狙うのか。
 〈執行者〉じゃないにも関わらず攻撃したのは何故か。
 どうしてそこまでして自分を守ろうとするのか。
 晶の問いに、零奈は答えない。代わりに投げられたのは、こんな言葉だった。
「どうして貴方は〈屠殺のエグザ〉を信じられるの? どうして貴方は〈屠殺のエグザ〉と一緒にいるの? どうして貴方は〈エグザ〉全員を敵に回してまで彼女を守ろうとするの?」
 風の音が耳元でうるさい。その中で投げ返された問いは、晶にとっては考えることを避けていた事実そのものだった。それをそのままぶつけられて、晶は自覚した。自覚せざるを得なかった。
 零奈はまだ背中を見せたままだ。晶は眼を瞑り、ゆっくりと口を開く。
「……俺が」
 その答えを口にしたら、多分もう戻れない。それでも構わない、もう誤魔化すなんて出来ないのだから。
「俺がこよりを――好きだからだ」
 零奈は身動きひとつしない。風の音で聞こえなかったのか。しばらくの間、二人の間には、ただ風の音だけが流れていた。
 そうして、数分ほどの沈黙の後、零奈が口を開く。
「……それが、彼女の罠。彼女の計画。彼女の、目的」
「………………」
「貴方は計画通りに動いてしまった。でも、今ならまだ戻れる。私と一緒に来て」
 晶は答えず、ただ首を横に振った。背中を向けている零奈だが、しかしそれは知れたのだろう、静かなため息が聞こえた。そしてそのまま、晶を置いて校舎へと戻っていく。
「さっきの貴方の質問」
 不意に立ち止まり、振り返って零奈は言った。
「答えは、貴方と同じ」

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