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屠殺のエグザ

第十章第七話:強さ と 弱さ

 〈浸透者〉が、だらりと垂れ下がった右腕を後ろに回す。身体的特徴から見て、武器は腕。鞭のように振るうその一撃は、当たれば致命傷となるだろう。零奈は開いた〈析眼〉から、〈浸透者〉の次の動きを予測する。ターゲットは自分ではなく――晶。
「あきらくん!」
  叫び終えるより早く、零奈は後ろにいた晶に抱きつくようにして跳び退がる。零奈の背中を掠めるようにして通り過ぎる、〈浸透者〉の指先。二人はアスファルトを転がり、そして起き上がる零奈と、目が回ったのか倒れたままの晶。眼の前の異様を、開いた〈析眼〉で睨みつける。当たりはしない、私は〈エグザ〉だ。 いつか必ず、憧れの叔母みたいに、優秀な〈エグザ〉になる――この初陣は、その第一歩。
「う……ん」
 零奈の隣で、晶が頭を押さえながら、首を振っている。眼が回ったか、徒人ならば仕方ない。
 ちらりと移した晶への視線を、〈浸透者〉へと戻す。〈エグザ〉の戦いは視界が大事。基本だ。初めての実戦だが、不安なんて無い。恐怖も感じない。あれだけ訓練を積んだのだ、これも当然のこと。
「あきらくんは、さがっててください」
「なにいってるんだよ、おまえ。あれと、たたかうつもりなの」
「とうぜんです」
 屹然と、言い切る。
「わたしは、〈えぐざ〉ですから」
 なおも何かを言いかける晶を、ぐいっと後ろに押しやる。見ていろ、生意気な徒人。私と晶は違うというところを、見せてやる。
  小さな子供が自分の攻撃を避けたからか、〈浸透者〉は警戒するように、じりじりと近付いてきていた。あと少しで〈浸透者〉の間合いに入る。リーチの長い攻撃は脅威だが、懐に入れば小回りが利かない分こちらに有利だろう。しかし接近戦の訓練はあまり積んでいない。得意な間合いはロングレンジ。相手の間合いの外からが主だが――少々地味だ。
 零奈はまだ、晶に言われたことを根に持っていた。ここでしっかり自分の活躍をアピールしておく必要がある。
 ならば――そうだ、カウンターだ。
 〈浸透者〉の攻撃をぎりぎりで避け、矢を射込む。これなら派手だし、難易度も高い。相手に与えるダメージも高く、まさにいいことづくめだ。さあ、いつでも――。
「……?」
 〈浸透者〉が右腕を後ろに回す。攻撃の予備動作だ。しかし両者の距離は、〈浸透者〉の間合いからは外れている。
(もくそくが、あまいのかな。あまりつよく、ないかも……)
 この距離で腕を振るっても、僅かに届かない。予定とは少し違うが、これはこれでいいアピールが出来るだろう。〈浸透者〉の攻撃に臆することなく、一矢を放つ――あくまで冷静に戦う、それが〈エグザ〉だ。きっと叔母なら、そうする。
 さあこい、と叫ぼうと息を吸い込んだ刹那、身体が後ろに引っ張られた。襟が首に食い込み、思わず咳き込む。全く予想外の出来事に、零奈は思わず尻餅をついた。言うまでもなく晶の仕業で、彼は零奈に釣られ一緒に尻餅をついている
 その頭上を、〈浸透者〉の腕が通り過ぎた。
「なにを……!」
 言いかけて、気付いたその事実に零奈の血の気が引く。
 ここは、〈浸透者〉の間合いの外だったはずだ。

 頭の上に、腕が届くはずが無い。

 〈浸透者〉の立ち位置は変わっていなかった。ならば、〈浸透者〉の腕が伸びたのだろう。そこまで看破出来なかったのは、やはり経験不足だったか。
 いや、それより。
 あろうことか、晶に助けられてしまった。
 いくら何でも、徒人である晶に〈浸透者〉の腕が伸びることを見破れたとは思えない。ぎりぎりのタイミングで助けたのも偶然だろう。だとしても、結果的にはこうなってしまった。
 見返してやろうと思ったのに。
 見せ付けてやろうと思ったのに。
 今の私は、ちっともカッコよくない。
 私は、〈エグザ〉なのに。
 徒人とは違うのに。
 こんなの、嘘だ――。
「なにやってんだよ、おまえ!」
 先に起き上がった晶が、まだ仰向けに倒れたままの零奈の顔を覗き込むようにして見下ろしている。上から降る声に、零奈は強い調子で言い返した。
「うるさい! たすけてなんて、いってない!」
 いつまでも倒れてなんていられない。零奈は起き上がり、姿勢を低く〈浸透者〉に向き合った。
「ただびとは、さがってて! たたかうのに、じゃま!」
「ばかか、おまえ!」
 必死の取り繕いは、「バカ」の一言で片付けられた。
「ぶきも、もたないで、どうやってたたかうんだよ!」
 晶の一言に、零奈は我に返った。そうだ――武器は?
 視線を手許に落とす。当然、まだ小さなその両手には何も握られていない。何と言うことだろう、戦うということにばかり気が行って、武器を持っていないことに気が付かなかったとは。
「あ……あ……」
 頭が真っ白になる。
 どうしよう、どうすれば――。
 徒手空拳での戦い方なんて教わってない。どこかから武器を〈対置〉して……どこかに武器は――〈対置〉には入れ換えるための物体が必要で……叔母ならこういう時は……。
 混乱した視界の隅に、〈浸透者〉が映る。それは僥倖と言うべきか、まさに攻撃を繰り出そうとした瞬間だった。
「きゃっ!」
 決して避けたわけではない。ただ、驚いて尻餅をついただけだ。しかしそれは結果的に〈浸透者〉の攻撃から零奈の身を守った。だが。
――こうげき だめ ぶき たたかえない もうだめ だめ だめ だめ……。
 零奈は、完全に混乱していた。小さな身を、初めて感じる恐怖が支配する。戦えない、逃げられない、逃げろと叫ぶ本能に、身体がついていかない。腹の底が冷える。喉がからからに渇く。いやだ、しにたく、ない――。
 ゆっくりと〈浸透者〉が……死が、近付いてくる。知らなかった、戦うって、こんなに、怖いものだったんだ。
 到底抗えない、強い衝動のままに、その恐怖が口から迸ろうとした瞬間、眼の前に影が差した。
「なにやってんだよ! たてよ! にげないと!」
 両手を広げて〈浸透者〉の進路を阻んだのは、晶だった。その小さな手も、足も、〈析眼〉で見るまでもなくガクガクと震えている。
「さっさとたてよ! こわいのは、おまえだけじゃないんだぞ!」
 晶の叫びには、色濃く恐怖が滲んでいた。それは今零奈が感じているものと同じで――零奈が屈し、晶は打ち勝とうとしているものだ。
 そしてようやく、零奈は気付く。

 これが、晶の強さだと。

 〈エグザ〉とは、強さじゃない。そこに強さなどないことは、何より今の自分が如実に表しているじゃないか。〈エグザ〉というステイタスを剥ぎ取られたら何も残らない自分の――何と弱いことか。

 だけど。

 嫌だ。
 晶には、負けたくない。
 晶の強さを知ったからこそ、その強さに自分も追いつき――追い越したい。
 だからこんなところで、――死ねないのだ。

 零奈が、立ち上がろうと身体に力を込める。
 直後。

 眼の前に、晶の身体が飛んできた。

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