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屠殺のエグザ

第三章第五話:誤解 と 愉快

 〈浸透者〉を返依したのは良かったが、既に五限は終了していた。今日の授業はこれで終わりなので、あとはもう帰るだけだ。裏庭から晶の教室へ戻る途中、 こよりは自分の鞄を取りに自分の教室に寄った。晶としても、自分の眼のことを知った今、こよりの護衛が無くては命が危ないと納得したので、無碍に一緒に帰ろうと言うのを断ることはしなかった。
 二人が晶の教室に戻ると、早速といった体で衣谷と黒木が寄ってくる。
「帰って来るのが遅すぎだ。もう授業終わったぞ」
「どこで何してたんだよ晶、こよりちゃんとさぁ」
 口々に浴びせられる質問に嫌な予感を感じた晶は、こよりの口を塞ごうと手を伸ばす。しかし、僅かに遅かった。
「え……えっと……ゆ、昨夜の……続き、を……」
 顔を赤らめ、両手を前で合わせてモジモジと。
「晶先輩、昨日よりも……すっごく……たくさん、してくれて……」
 教室の喧騒が消えた。視線が痛い。痛すぎる。
「おま、こら、勘違いされそうなことを――」
 言おうとした言葉は、後頭部に走る鈍い衝撃に遮られた。眼の前がブラックアウトしていく。冴え渡る技のキレ、ディクショナリーアタック。
「コロス、オマエ、コロス」
「黒木……っ、お前ちょっと、眼ぇおかしいって! つか誤解、誤解だっつーの!」
「校内淫行条例に引っかかるな。すぐに生徒会に提訴しよう」
「眼鏡をくいっとしながら言うんじゃねぇ! おい、お前が変なこと言うから誤解されてるじゃねぇかっ。訂正しろ訂正!」
 訂正しろと言われてするくらいなら、最初から言っていない。こよりは、面白がっている。
 結局、こよりが誤解を訂正しないまま、以後晶が白い眼で見られ続けることが確定した。

「お前さ、ああいうことして楽しいわけ?」
 もう怒る気力も残っていない。下校の途、晶は疲労の強く出た顔で尋ねた。
「もちろん。慌てる君を見ると楽しい」
 全く悪びれる様子も無く言い放つ。本当に楽しそうにしているこよりに、晶はため息混じりに続けた。
「お前自身の風評だって下がるんだぞ。学校で……その、あんなことする奴だって」
「いいよ、それくらい、別に」
 瑣末なことだと、こよりはあっさり答えた。
「他人の風評に左右されるほど、楽な人生歩んでないもの」
 その声に、少しだけ、寂しそうな色が混じっているような気がして、 晶は、思わずその横顔に見入った。しかし、そこにあるのは、いつものこよりと同じ顔。
 夕陽を真正面に受け止めて。
 真っ直ぐ前を見つめる、〈エグザ〉の少女。
 「やはり〈エグザ〉だと、色々あるのか」とは訊けなかった。
 多分答えたくない質問だろうし、聞いたところで何が出来るでもない。自分が出来ることなど知れているし、それ以上のことが出来ると思うのは、人ひとりの過去や悩みをどうこう出来るなどと考えるのは、きっと驕りだ。
 自分には、自分の出来ることしか出来ない。
「それでもさ」
 結局、言えたのは。
「悪いより、いい方がいいに決まってるだろ、評判なんて」
 そんな言葉だけだった。
「あはは、どーだろうね」
 少しだけ嬉しそうな顔と、寂しそうな顔をない交ぜにして、
「いい評判なんて、立ったことないから分かんないや」
 こよりは、笑って返した。

 今日は昨日のように、こよりを家に入れないということはなかった。閉め出したところで、どうせこよりはまた入ってくるし、今の自分はこよりに護衛されて いる身だ。よしんば〈浸透者〉の攻撃を何とか出来ても、〈浸透者〉そのものを返依せるのはこよりだけなのだ。ならば、いつ襲われても護衛が間に合うよう配慮するのも、護衛される側の務めだろう。
 そこまで考えて、晶はこよりを家に入れた。
 二階には、使っていない客間がある。今朝こよりに涎塗れにされた枕と客間のそれを取り替えて、晶はこよりに客間を宛がった。
「隣が俺の部屋だから。すぐ殺されるようなことはしないつもりだけど、何かあったら頼むな」
 それだけを伝え、晶は、自室に戻った。ベッドに仰向けに倒れ、今日のこと、これからのことを考える。
  自分の右眼は、〈変成〉持ちの〈析眼〉。その眼に引き寄せられて、〈浸透者〉は襲ってくる。そして、こよりのような〈エグザ〉にとっても、この眼は魅力的らしい。物体を交換出来るだけでなく、その本質を書き換えることが出来る〈変成〉は、それだけで〈エグザ〉の戦闘力を上げる。もしかしたら、良くない〈エグザ〉が、この眼を奪いに襲ってくるかもしれない。
 どうしよう、とそこまで考えて、はたと気が付いた。そういえば、自分はまだ、こより以外の〈エグザ〉には会っていない。どうするも何も、それでは考えようがないだろう。
  こよりは、戦闘にロッドを使う。武器を弾かれても〈対置〉で手元に戻し、強力な相手に対しては、どこからか剣を〈対置〉してきて、それを持って戦う。しか し、それはあくまでこよりのスタイルだ。もしかしたら、銃を使う〈エグザ〉だっているかもしれないし、そうしたら、寝ている間にでも撃たれるかもしれな い。
 じわりと、恐怖が腹の底に溜まっていく。
 殺されるかもしれない。明日が無いかもしれない。死ぬって、どんなだろうか。痛いのだろうか、苦しいのだろうか。寝ている間に殺されたら? 眠ってしまって、もう二度と目覚めないって、どんな感じだろうか。
 死ぬんだろうか、自分は。
 そう考えたとき、脳裏にこよりの言葉が浮かんだ。
――必ず君を守り抜く。倉科こよりは、〈神器〉に懸けてそれを誓う。
 昨日の昼、屋上で。
 こよりは、決して折れない強さを秘めた双眸で、そう言ったのだ。

 こよりが、守ってくれる。
 こよりが、助けてくれる。

 その安心感と、昼間の戦闘での疲労は、程なくして晶を眠りに落としていった。

「珍しいな、〈急進の射手〉。君が〈協会(エクスラ)〉に顔を出すとは」
 見るからに筋肉質の男が、廊下ですれ違う少女に声をかけた。少女は特別背が低いわけではないが、男の体格が良すぎるために、見上げる格好になってしまう。
「ええ、私は貴方と違って〈協会〉から〈執行者〉の任を受けてませんの、〈血の裁決〉」
 〈血の裁決〉と呼ばれた男は、無表情を保ったまま、端的に用件だけを尋ねた。
「それで、そんな君が〈協会〉に何の用だ? 『彼』の護衛はいいのか?」
「その件にも関係がありますけど、まあ私用ですわね。どちらにせよ、貴方には関係が……いえ、あるかもしれませんわ。――彼女、見つかりましたわよ?」
「彼女? ……まさか――」
「ええ、そのまさか。意外と近くに、隠れていましたわ」
 いずれ正式に命が下ると思うけど、と言い残して、少女は男の前から消えた。

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