インデックス

他作品

ランキング

屠殺のエグザ

第八章第六話:罪 と 罰

「〈屠殺のエグザ〉は構わない。見知らぬ〈エグザ〉もどうでもいい。だけど晶は許さない。傷付けるなど許さない」
 〈急進の射手〉小篠零奈は月を背に、〈アトラーバオ〉を構えたままゆっくりと歩み寄る。謳うように紡がれたその言葉が、〈浸透者〉を少し後ろへ追いやった。
「零奈……先輩……?」
  晶が呟くと同時に、また零奈は数百の矢を一瞬で放つ。直後に聞こえた呻き声に振り向くと、隙を見て攻撃しようとしていた〈浸透者〉の足に大量の矢が刺さっていた。弓手にも関わらず接近を止めない零奈に不穏なものを感じたか、あるいは単に突如現れた〈エグザ〉を警戒したか――〈浸透者〉は晶から大きく離れ、後退する。零奈は未だ地面に転がったままの晶の脇まで歩くと、そこで足を止めた。
「退きなさい、〈浸透者〉。まだ続けるというのなら……私にはあなたを返依せるだけの温情が残っていないことを知りなさい」
 その声はぞっとするほど冷たかった。声と同様に冷たい、そして〈アトラーバオ〉が放つ矢のように鋭い視線に射抜かれて、〈浸透者〉はじりじりと後退し始め――やがて不利を悟ったか、大きく跳躍して何処かへと消えた。
 脅威が去ったことを確認し、零奈は大きく息を吐いて〈神器〉を下ろす。そして晶に向き直ると、しゃがんで手を伸ばした。
「大丈夫? 晶……」
 その声は、先ほどと打って変わって柔らかく、表情も穏やかだった。
「え、ええ、何とか。……すみません」
 晶は零奈に引き上げられるように起き上がった。
「怪我とか、してない? ごめんね、遅くなって」
「あ、いえ。……あの、零奈先輩」
 しきりと心配する零奈に対し、晶は気になっていたことを聞いてみた。
「どうして、俺を守ってくれるんですか? 俺が……〈変成〉持ちの〈析眼〉を持ってるから……ですか?」
 こよりと会うまで、零奈とは何の面識も無かったはずだ。にも関わらず、零奈はこうして晶の危機に駆け付け――〈浸透者〉からも、こよりからも、晶を守ろうとする。それは、何故なのか。
 零奈は少し逡巡する様子を見せたが、やがて決心の固まったような顔をすると、真っ直ぐに晶の顔を見た。
「頼まれた、から」
 零奈は、ゆっくりとその事実を明らかにしていく。
「私の叔母――貴方のお母さま、希代の〈変成〉使いである彼女から、貴方を守るようにと」

 幸い、最もダメージの大きかった真琴も命に別状は無かった。さすがは身体能力でこよりを上回る〈エグザ〉である。
 この状況では逃げた〈浸透者〉を追うわけにはいかず、結局この日は解散することにした。真琴も何とか歩けるぐらいにはすぐに回復したため、特に家へ送ることもせずに、今はこよりと二人で帰路に就いている。
「そう、だったんだ……〈急進の射手〉が……」
 こよりには、零奈から聞いた話をしてある。
「ああ。……俺の従姉弟、らしい」
 晶は、そっと自身の右眼に触れた。そして零奈の話が事実なら、亡くなった母も〈変成〉持ちの〈析眼〉を持っていて、そして〈エグザ〉だったことになる。
「この眼は、お袋の遺伝なのか……?」
「考えづらいけどね、それも」
 両眼とも〈析眼〉であるなら、単に不完全遺伝で〈換手〉が消滅したのだとも考えられるだろうが、片眼だけ遺伝するなど、過去に例が無い。
「それに、普通なら〈変成〉持ちの〈析眼〉で、〈換手〉も持っていないような子供が生まれたら、個人的に〈エグザ〉に頼むんじゃなくて、〈協会〉に保護を求めるはずだもの。少なくともお母さんが亡くなった後は〈協会〉預かりになるはず」
「……何がどうなってるんだ。そもそも零奈先輩の話は本当なのか……」
 しかし。恐らくは。
 自分の出自の謎は、零奈が全てを知っている――それだけは、事実である気がしていた。

 最初に見た光景は、幸せに満ちたものだった。
 愛しい人がそこにいて、自分は彼女に向かって呼びかけるのだ。サラ、という呼びかけに応じて彼女は、こちらを振り向き透明な笑顔を見せてくれる。
 サラはまだ駆け出しの〈エグザ〉で、二つ名も持っていないくらいだった。最初は随分と冷や冷やしたもので、気になってしょうがなく、そしていつの間にか恋に落ちていた。
 彼はサラと共に、幾度と無く戦場を駆けた。同い年であった二人だが、彼は十四の頃から〈エグザ〉として戦っている。だからサラよりもずっと経験があるし、事実強かった。
  想いを告げたのは、自分からだ。〈浸透者〉を返依し、夜が明けようとしていた街中の公園で。〈絶対領域〉から〈対置〉し、少女に渡したのは〈神器〉。名を 〈エターナルエンゲージ〉、この日のために準備した、まだ若かった彼には少々身に余るほどの品だ。サラは丸い眼をさらに丸くして、おっかなびっくりそれを 受け取った。〈神器〉など、青年が使うのを見るばかりで、駆け出しの彼女は触れたことすらないものなのだ。
 サラからぶっきらぼうと評される彼は、その顔を真っ赤にして彼女に言った。〈エターナルエンゲージ〉は常に所有者と共に在る〈神器〉。自分もまた、常にサラと共に在ることを〈神器〉に賭けて誓う、と。
 今更だ。二人の心は、とうに共に在った。少女は青年の想い――〈神器〉を受け取り、そして永久に続く約束が交わされた。
 いつの間にか二人は、他の〈エグザ〉達から由来の〈神器〉から名を取り〈永遠の番〉と呼ばれるようになっていた。

 少女は優しく、明るかった。そんな彼女が好きだった。

 次に見た光景は、一生忘れ得ぬものだった。
 二人が暮らしていた山小屋に突如現れた闖入者、それがゆっくりとサラへ向かって歩いていく。少女は怯え、動けない。青年は必死に身体を起こそうともがく。彼は、床に倒れていた。自分の身体の下から流れる鮮血が床を染め上げていく。サラへと伸ばした手は力なく血溜まりの床の上を揺れるだけで、決して少女へは届かない。
 闖入者が薄く笑う。冷たい笑みから垣間見えるのは、純粋な狂気。彼の名は〈孤高のエグザキラー〉、鹿島俊一。彼の狙いは、サラが持つ〈エターナルエンゲージ〉だった。
 俊一が、手にした剣を振り上げる。青年は、サラの命が消える恐怖に声にならない悲鳴を上げた。約束したのだ、常に共に在ると。共に在り続け、そして少女を守るのだと。
 俊一が持つ剣は〈神器〉。世界最強と謳われる〈グラックの五大神器〉がひとつ、〈対置封殺(エグザキラー)〉。その刃が触れた物全ての〈対置〉効果を無効化する、〈エグザ〉にとっては恐怖の象徴。〈孤高のエグザキラー〉は、それを躊躇うことなくサラへと突き立てた。

 青年は、何千回と見たその悪夢から目覚め、汗に濡れた身体で大きく息を吐いた。
「サラ……もうすぐだ、もうすぐ、終わるから……」
 〈エグザ〉殺しを憎み、志願して〈執行者〉となり、片割れを失った番は〈血の裁決〉と呼ばれるようになった。それが生き残った――生き残ってしまった自分が、死ぬ前にしなければならないこと。成し遂げねばならないこと。
「だから殺す……〈屠殺のエグザ〉は、あいつだけは」
 〈急進の射手〉がどう言おうと関係無い。〈析眼の徒人〉が邪魔をするというのなら斬り捨てる。片を付けるんだ、今日で、過去に、未来に、悪夢に、――己の命に。
 傍らに立てかけられた〈神器〉、〈断罪剣〉を手に取り、青年――
――〈血の裁決〉、ラーニン=ギルガウェイトは立ち上がった。

ページトップへ戻る